監禁からの決闘!
ロッカーが左右に並ぶだけの寂しい部屋。
小窓から差し込む光は、ここが独房なのではないかと錯覚させるほどに冷たい。
無機質なコンクリートの床がその冷たさを更に助長させる。
というか、才子と由香は現在進行形でその冷たさを肌に直接感じていた。
「ど、どうしてこんなことに……」
才子は部室の真ん中で正座しながら心の中で呟く。
膝から下の体熱が全て地面に吸収されていくようだ。
寒気もしてきた。
しかし、それはなにも、コンクリートのせいだけではない。
才子は恐る恐る面を上げる。
「……」
短い黒髪に切れ長の目。制服を着ていなければイケメンモデルと見間違うほどの整った顔立ちだが、胸元で緩く結ばれた緑色のリボンは、ここ鶴羽女子高等学校の最上級生であることを意味する。
リーダーと思わしき先ほどの声の主は、パイプ椅子に行儀悪く跨りながら、二人の前でその鋭い眼光をギラつかせていた。
息苦しさが残る雰囲気の中、口火を切ったのは由香だった。
「早乙女先輩! 今日はお話があって来ました!」
由香は才子の隣で同じく正座をした状態で、右手をピンと上げる。
「てめぇ! 姉御のことは名前で呼べって毎回言ってるだろうが!」
早乙女と呼ばれたリーダーをかばうように立ちふさがったのは、小麦色に肌を焼いたこれまた少年のような出で立ちの生徒だった。制服のリボンは青。二年生だ。
「それにてめぇの場合は、『今日は』じゃなくて『今日も』だろうが!」
少年はそう言って、グリグリと人差し指を由香のおでこにこすりつける。
「あいだだだ、すみません! 瑞樹先輩ですよねっ、瑞樹先輩ぃぃぃ!!」
不良に絡まれる由香を見ながら、才子は心の中で叫ぶ。
(逃げ出したいぃぃぃ!!!)
ジャージを握る手が汗ばむ。
(なんなのこれ、いったいどういう状況!? 部室棟の前で見ず知らずの人たちに囲まれて、急にこんな薄暗いところに連行されて、挙句の果てに正座させられてるって……ちょっとヤバくない!?)
帰りたい。だが、それはできそうになかった。
由香に絡んでいる不良の他に、閉ざされたドアの前に1人、そして二人の背後にもう1人。リーダーを含めた4人によって完全に包囲されていた。
「レン。その辺にしておけ」
「あ、姉御ッ!」
リーダー――瑞樹が口を開くと、少年が素早い動きで後ろに下がった。
瑞樹は凄みを効かせた声で由香を睨む。
「また性懲りもなく来やがったな、おかっぱ頭」
「これはおかっぱじゃないです! ショートボブです!」
こういう事を平気で言えるのが由香の凄いところである。
才子にはとても真似できない。
「生意気だな。お前、ちょっとケツ浮かせろ」
「こ、こうですか?」
由香はキョトンとしながらも、瑞樹に言われた通り、踵についていたお尻を持ち上げる。
「マキ、やれ」
すると早乙女の合図とともに、マキと呼ばれた後ろの女子生徒がおもむろにプラスチッバットを取り出すと――思いっきり由香の尻目がけて振り切った。
スパァーンッ!
「ひゃうんっ!?」
響き渡るプラスチックの破裂音。
モロにケツバットを喰らった由香は、情けない声とともに尻を突き出したまま倒れこむ。
「お尻がッ! お尻が壊れるー!?」
尻を抱えながら悶絶する由香。
「やっぱこいつの尻は肉感が丁度良くてシバキがいがありますわ!」
どこかスッキリとした様子の真紀。
才子は隣で転げまわる由香を冷めた目で見つめる。
「肉感……」
出会ったときは気づかなかったが、よく見ると由香の体型は、膨らむところは膨らみ、へこむところはへこむ、そこそこ女性らしい体つきをしていた。
……ちょっと羨ましいと思ったのは秘密だ。
「アホは置いといて……」
早乙女は視線を由香から才子へと移して口を開く。
「そこのちんちくりん、お前はいったい何の用だ」
「ちんちくりん!?」
「おかっぱと一緒に居たってことは、お前もウチらに用があるんだろ?」
刺すような視線を送ってくる瑞樹に、才子は即答した。
「いえ、全然。私はそこに転がってるアホに騙されて来ただけです」
「ちょっと才子ちゃん!?」
才子の裏切りに由香が即座に反応する。
「ど、どどどうしてそんな冷たいこと言うの!?」
そして、ウルウルと瞳を揺らしながら才子にすがりついてきた。
「ぐえぇッ!? は、離せぇー!」
「いーやーだー!」
上級生にケンカ売ってるだけでも冷や汗モノなのに、ましてやその相手が不良……しかも4人なんて! 今日だけならまだいい。もしここで目をつけられたら、今後の学生生活にまで響いてくる。
それだけは絶対に避けなければ!
「才子ちゃんも私と一緒に戦ってよー!」
しがみついて離そうとしない由香に、才子が両手を押し付けて抵抗する。
「嫌に決まってるでしょ!? それに、戦うどころか一方的にシメられてるじゃん!」
「違うってば! 今のケツバットはシメられてるとかそういうのじゃなくて……挨拶、みたいな?」
「挨拶でケツバットするような人たちと戦いたくないんだけど!?」
「先輩たちだって元野球部なんだからケツバットくらいするよ!」
「そんな話信じられるわけ――「いい加減に黙らねえとぶっ殺すぞ」
「「はい。すみませんでした。もう黙るので殺さないでください」」
二人の口論に、突如割り込んでくるナイフのような瑞樹の言葉。
命の危機を感じた二人は、一字一句同じ言葉で命乞いを済ませると、元いた位置に素早く正座しなおした。
「ともかく、ちんちくりんはコイツと関係ねえってことでいいんだな」
瑞樹が睨みを利かせながら才子に問う。
「はい……」
「そうか。ならそこのおかっぱだけいつも通り、ケツバット100回叩き込んでから外に放り出しとけ」
「ひゃっ、100回は勘弁してください! お尻がもちませんっ! せめて50回に……」
「回数の問題なんだ……」
この期に及んでそんな減らず口を叩けるなんて……。
才子は呆れたように額に手をつく。
田中由香という人間に怖いものなど無いのだろうか。
あくまで自分のペースを崩さない由香に、瑞樹もため息をつく。
「おかっぱ。何回来たところで同じだ。鶴羽女子の野球部が復活することはない」
「そんな……」
瑞樹の言葉が鈍器のように由香に重たくのしかかる。
しかし、直後瑞樹が付け加えた言葉に、由香の目の色が変わった。
「奇跡でも起きない限り……な」
「奇跡……」
瑞樹の言葉を反芻するように呟く。
「奇跡なら、起こせます……」
そして、前を見据えて静かに――しかし確かな意志を持って、そう答えた。
才子は由香を止めようとしたが、もう一人の自分に押さえつけられているかのように、その場から動けなかった。
瑞樹は由香の言葉に一瞬驚いた様子を見せるが、すぐに普段の表情に戻ると、
「へえ、いったいどんな?」
試すような低い声音でそう尋ねる。
「瑞樹先輩。私たちと野球で勝負してください」
「野球で、だと……」
「はい。私と才子ちゃんでバッテリーを組んで、瑞樹先輩たちが一人もヒットを打てなかったら、野球部の活動を再開させてください」
「なっ!? 姉御に向かって調子のったこと言ってんじゃ――」
瑞樹の隣で由香の話を聞いていた蓮が詰め寄ろうとするが、
「レン。少し黙れ」
間髪入れずに瑞樹に制される。
蓮は『あぅ』と小さくうなったあと、下を向いておとなしくなった。
瑞樹は仕切りなおしたように続ける。
「野球で勝負したいのはわかったが、それが奇跡とどう関係がある?」
「才子ちゃんはこれまで野球をしたことがない初心者です」
「それがどうした?」
「そんな才子ちゃんが、“鶴羽女子野球部の元エースで4番”を打ち取れたら、それって奇跡じゃないですか?」
由香が立ち上がって、瑞樹の前に一歩出る。真剣な表情だ。
瑞樹はそれを見て含み笑いを浮かべる。
「面白れぇ。挑発に乗ってやるよ」
意外な言葉だった。
そう思ったのは才子だけではない。
取り巻きたちも困惑の表情を見せている。
「……ただし、お前らが負けた時はどうする?」
こちらの方が本題と言わんばかりに、瑞樹が口元をニヤつかせる。
自分たちが負けるなんてことは一切考えていない様子だ。
それほどの自信があるのだろう。
「その時は――」
由香が瑞樹に隠すようにして拳をキュッとしめる。
「私が一生先輩たちの言う事を聞きます」
震えていた。
逃げ出しそうな体を必死に押さえつけるように。
才子が由香を止められなかった理由はそれだった。
「由香……」
マイペースで怖いもの知らず。才子が彼女に抱いていた印象は音を立てて崩れていく。
由香も、才子と同じように恐怖を感じていたのだ。今日だけではない。きっと、これまでの1ヶ月間、1人でその恐怖と戦ってきたのだろう。
そんな由香が漏らした弱さを見て、不覚にも助けたいと思ってしまった。
才子は意を決したように立ち上がる。
「才子、ちゃん……?」
怖くて言葉は出なかった。
でも、心が、意志が、相手に伝わればいい。才子はそう思った。
瑞樹は自分へと真っ直ぐに伸びる視線に、睨みを返す。
訪れる沈黙。
やがて、瑞樹はゆっくりとパイプ椅子から立ち上がった。
横に並ぶロッカーの1つを開けて、中から古びたバットを取り出す。
「表に出ろ。今から相手してやるよ」
瑞樹は遠く外の方を眺めながら言った。