初めてのキャッチボール
「それで、具体的に私の超能力をどうやって野球に使うの?」
屋上の柵に腰かける二人。
空になった弁当箱を包みながら、才子が尋ねる。
「フフフ……そこはぬかりないよ! じゃーん!」
由香がテンション高めな効果音とともにバックから取り出したのは、一冊のノートだった。
表紙にはマジックで『数学』と書かれている。
「なにこれ? 数学のノート?」
「表向きはそうだけど、中身は全然別物だよ!」
才子は由香からノートを受け取ると、パラパラとめくり始める。
きれいな字で記されていたのは、数式……ではなかった。
「投手タイプ別の配球の組み立て方に、ボールカウントごとの打者の思考……こっちのページは牽制を入れるタイミング――って、野球のことばっかじゃん!!」
「その通り! 来たる日のために、月・水・木・金の計6コマ分を費やして、日々野球の研究をしてたんだよ!」
「それって、数学の授業を全部ボイコットしてるってことだよね!?」
才子のツッコミを無視して、由香が自慢げに続ける。
「そして、最後のページをご覧ください!」
パラパラとめくられた先。
最新のページには、今日の日付とともに、他のページに比べてやや大きめな文字でこう記されていた。
「『超能力の野球への応用 ~サイコキネシス編~』……?」
「そう! 今日の数学の授業中はずっとこのことを考えてた!」
「なにしてんのさ……」
「いいからいいから! ほら、読んでみて!」
興奮気味に鼻息を荒げる由香に気圧されながら、才子は渋々そのページに目を通す。
5/14 (木)『超能力の野球への応用 ~サイコキネシス編~』
・ボールを操って、170 km/hの剛速球を投げる
・上下左右に何度も変化させたブレ球を投げる
・相手バッターのバットの軌道を無理やり捻じ曲げて空振りさせる
・相手ピッチャーの投げたボールを操って、必ずバットに当たるようにする
・そしてその打球を全てホームランに――
パタン。
才子は無言でノートを閉じた。
「どう? すごいでしょ?」
「ごめん。途中で読むのやめた」
「えぇ、どうして!?」
「由香が私の超能力を過剰評価しすぎだからだよ!」
スパンとノートを地面に叩きつける。
「あぁ! 私のノートがぁ!?」
叩きつけられたノートを慌てて回収する由香。
才子に抗議の目を向けてくる。
「ど、どこが不満だって言うの!?」
「全部だよ!! こんな大掛かりなことできるわけないでしょ!」
才子が髪を逆立てながら怒りをあらわにする。
それを聞いた由香がわなわなと震えだした。
「え、できないの……?」
「そこッ! 露骨にガッカリしない!」
ズビシッと人差し指を由香に向ける。
「だいたい、もしこんなことが本当にできるんだったら、今頃世界中の人に超能力を認めさせてるよ!」
「あ、それもそうだね」
由香はノートを見返して、ポンと手を叩く。
授業中は超能力という無限の可能性に興奮していたからか、自分の書いた応用方法に一切の疑問を抱かなかった由香だったが、冷静になって見てみると、ここに記されているのはどれもアメリカの特撮ヒーロー顔負け、万が一実現すれば世界を破滅に導くレベルの内容だった。
「ねえ、才子ちゃんって本当に超能力使えるんだよね?」
「ここにきてまさかの裏切り!?」
『何ができるの?』とでも言いたげな由香が、疑惑の眼差しを才子に向ける。
「あー、いいですよー! そっちがその気なら、こっちだってもう野球なんてしないから!」
「じょ、冗談だよ冗談! マイケルジョーダン!」
「なんか少しムカつくんだけど……」
そう言いつつも、才子は自分を落ち着かせるようにため息をつくと、
「ちょっとそのボール貸してみて」
由香のグローブを指さした。
由香は言われた通り、グローブの中に入っていたボールを手渡す。
「私にできるのはこれくらい」
才子は手に握ったボールに意識を集中させる。
すると、フワリとボールが手から離れる。
今朝見た時と同じ、ボール1個分浮いた位置でとどまった。
「うん。だから、それはもう見たよ。他にはどんなことが――」
「これだけ」
「え?」
下を向いてボソリと呟く才子に、思わず聞き返す由香。
「だからッ! 私にできるのはこれだけなの!!」
ポトリとボールが落ちる。
「これ、だけ――?」
才子は何も言わない。
「せ、せめてもっとこう、縦横無尽に動かせるとか」
半ば懇願するかのような視線を由香が送るが、才子は首を横に振った。
「私のサイコキネシスは不完全なものなんだよ。操れるのは手に触れた小さな物だけ。しかもボール1個分……1回につき1方向しか操れない……」
「1個、1回、1方向――」
由香はまるで呪いの言葉のようにそう唱えると、がっくりと地面に手をついた。
落胆する由香の様子を見て、才子は腕を振って反論する。
「だ、だから言ったじゃん! 『私にできるのかな』って!」
「あれって『私にこの強大な力を制御できるのかな……』って意味じゃなかったの……?」
「当たり前でしょ!? なにその中二病的発想!?」
由香と才子の思考はかみ合わないようだ。
「これはもう、最後の可能性に賭けるしかないな……」
由香が地面に向かって苦し紛れに呻く。
「最後の可能性って?」
「それは……才子ちゃんの野球センスにだよ! 超能力の不完全さは、野球の上手さでカバーするしかない!」
「元も子もないっ!?」
超能力を野球に活かすはずが、逆に超能力の弱さを野球の上手さで補おうというのだ。
企画倒れにも程がある。
「さあ! まずは私に超能力を使わずにボールを投げてみて! 実践あるのみだよ!
」
「わ、わかったよ……」
有無を言わさぬ由香の勢いに戸惑いつつも、とりあえず才子は貸してもらったグローブをはめ、右手でボールを握る。
こうなればヤケだ。今できることは全力でボールを投げることしかない。
才子は左足をゆっくり上げ、
「おりゃっ!」
思いきり腕を振った。
才子の指から放たれたボールはふんわり山なりの軌道を描くと、パスンと小さな音を立てて由香のミットにすっぽりと収まった。
「「……」」
無空の時間が二人の間を流れる。
ボールを受けた由香は、なびく髪もそのままに、自分のミットを見つめたまま固まっていた。目の前の事実が受け入れられないといったように、その顔も“無”そのものだ。
「ちょ、ちょっと由香! なんとか言ってよ!」
恥ずかしさのあまり、大きなジェスチャーで由香の反応を促す才子。
それに気づいたか気づいてないか、由香が声のトーンを2段階ほど低くして口を開く。
「才子ちゃん……」
のっぴきならない由香の声音に才子は制服から汗を滲ます。
「な、なんだよ! しょうがないじゃん、野球なんてやったことないんだから!」
今の捕球音から察するに、おそらく由香にとってはあまり良い投球ではなかったのだろう――そう思った才子は、間を取り繕うように言い訳を並べる。
しかし、返ってきた由香の反応は才子にとって予想外のものだった。
「才子ちゃんって――実は昔、野球やってたりしてたのっ!?」
「へ?」
「ねえ、やってたの!?」
しつこく聞いてくる由香に才子は、
「子供の頃よくお母さんの教えでキャッチボールとかさせられてたりはしたけど……」
頬を掻きながらそう言った。
「お母さんの教え?」
「うん。『健全な精神は健康な体に宿るもの』っていうのが三船家の家訓の1つで、それでよくいろんな運動をさせられてたんだ。お母さん監修のもと、運動という運動はほとんどやらされたよ」
「う~ん、経緯はよくわからないけど、とにかく才子ちゃんのお母さんに感謝だね。ありがとう才子ちゃんママ!」
由香は才子の母親に届けと言わんばかりの声で、感謝を送る。
「ありがとうって、どういうこと?」
「野球初心者なのに、重い硬球をあんなにきれいな回転で投げられるなんて、普通の女子にはできないよ!」
「そ、そうなの……?」
「うん!」
由香は力強く肯定する。
才子の投球は、確かに高校の女子野球選手と比べれば弱弱しいものだったが、初心者である点を考慮すれば、及第点の内容だったからだ。
「これなら、才子ちゃんにピッチャーを任せても大丈夫だね!」
ホッとしたのもつかの間、由香がそんなことをのたまってきた。
「ちょっと待って、私がピッチャーやるの!?」
「才子ちゃんの超能力をフルに活かすにはピッチャーが最適なんだよ! それに、野球で一番目立つポジションだしね」
「な、なるほど……」
ピッチャーへの起用は、超能力を世に認めさせたいという才子の思惑とも一致する。
才子は難しい顔をしながらも納得した様子だった。
頷く才子に対し、由香がさらに続ける。
「私のポジションはキャッチャーだから、才子ちゃんがピッチャーやるときに意思疎通しやすいし、何より才子ちゃんの超能力のことを知っているのは私だけだからね」
由香が自分の黒髪を自信ありげに手でなびかせる。
そして、ニコッと唇を結んで微笑んだ。
「う~ん……。心強いような、不安なような」
由香は自分の超能力をすぐに信じてくれたり、決して悪い人間ではないのだろうが、野球のことになると途端に暴走する傾向がある……気がする。
勝手に話進めるし。
「さあ! 試しに、今立っている位置から私のミット目がけて投げ込んでみて! 昼休みももうすぐ終わるころだし、早く早く!」
「……」
勝手に練習始めようとしてるし。
気づけば、由香は才子から10数メートル離れたところで、器用にスカートを畳んでミットを構えていた。
おそらく今の2人の位置関係が、マウンドからキャッチャーまでの実際の距離なのだろう。
由香はこっちの気などお構いなしに、期待と高揚感に目を輝かせながら才子の投球を今か今かと待ちわびている。
本当に自分勝手だ。
まあ、でも――。
「体を動かすのは、悪くないかな」
由香には聞こえない声量で才子は呟く。
さっきよりも小さく見える由香の姿。
けれども、今の才子にとって、不思議とその距離は遠くに感じなかった。
革を弾く2つの異なる捕球音は、次のチャイムが鳴り終わるまで続いた。




