洞窟の内部は未だに騒がしく
~~浮世の迷宮・七階層~~
コウモリ型の魔物が迫り来る。体躯に似合わぬ長い牙を携えた口が、ジルの横顔に噛みつこうとする。
「ふっ!」
スウェーし、身体を後ろに反らすことで躱す。
「ジル、後ろ後ろ」
ミノタウロス型の魔物がその巨躯に似合う、大きな鉈を横凪にしようとしていた。
体勢を仰け反らせていたジルとミノタウロスの目が合う。敵意を乗せた目つきで、鉈を薙いだ。
「うがッ!」
ジルは反動を使い、今度は前方に上体を起こす。そのまま身体を前転し、蹴り上げた足で丁度頭上を通り過ぎている鉈の腹を、下から弾く。
かち上げられたミノタウロスは万歳する様に体を仰け反らせた。
その隙を逃さんとばかりに、身体強化を乗せた拳を、がら空きとなった鳩尾にぶち込む。
ミノタウロスは、身体をくの字に曲げて吹っ飛んだ。その瞬間、ジルはミノタウロスの手を掴んだ。
「オラァッ! 死ね!」
右手を掴んで吹っ飛ぶミノタウロスに追従していたジルは、くるりと縦に周り、そのまま頭にかかと落としを食らわす。
「ぷぎょ」とも「ゴキュ」とも言えぬ音を立てて、頭蓋を陥没させて絶命したミノタウロス。
「おっと、ジル上だ上」
休む暇もなく、先ほどのコウモリ型の魔物が、今度は上からジルを目掛けて突っ込んできた。
「バカの一つ覚えかよ、『跳弾』
ジルの頭上に展開された魔法陣。それにコウモリが触れた瞬間、突っ込んできた以上のスピードで弾かれた。
そのまま洞窟の天井へとぶつかり失神。ベタリと貼りついた後に、剥がれるように自然落下。
ポタリと落ちたコウモリの魔物に歩みより、グシャリと踏み潰すジル。「ふぎゅ」っと鳴いて魔物はその命を終わらせた。
「戦闘時間32秒。遅すぎて根付いてしまうなこりゃ」
ふう。とひと息ついたジルにオッドは苦言を申す。
「うっせ!隠れてるだけのクセに」
「隠れてる? んじゃいいのか? 隠れなくて? おっけージル。お前の勇気しかと受け取ったぞ。ガンガン攻撃されるからガンガン守れよ」
「隠れないならせめて戦えよ! なんで守られる事が前提なんだよ!」
「はっは。バカだなジル。姿は見えても攻撃は見えずってね。お前らの手の動きとか全く目で追えてないから。俺くらいになるとあの1発で木片になるな」
「っく・・・一生隠れて出てくんな!」
そんなジルの言葉はオッドには残念ながら聞こえていない。言いたいことは終わったのだ。後はまた、やりたいようにやる。
それがオッド流である。
するすると根を伸ばし、ジルの身体に巻きつけるオッド。ガッチリと固定された状態でまた、肩車の体勢になる。
「よし。階層を降るぞジルサンダー。なげー戦闘のせいで遅れ気味だぞ。ん?てかジルサンダーって誰のことだ?」
「お前が付けた俺の名前だろ!」
「あー、お前の事かジル。なんかすげーお似合いな名前だな。いいじゃん似合う似合う」
ジルを見下ろしながら、手を叩いて「ジルサンダー、ジルサンダー」と煽るオッドにムカムカとしながらも、ジルは走り出した。
「オッド、10階層まで後どんくらいの魔物が入ってきてんだ?」
「ジルサンダー、ジルサンダー」とコールがうるさいオッド黙らせるために、オッドは走りながらそんな質問をした。
「ん?時間と共に増えてきているぞ。流石低層から来ているだけあって、ここら辺のザコだけじゃ抑えきれなくなってきたな」
コールと手拍子をやめたオッドがそんな事を言う。
「まじかよ、んじゃ戦闘は?」
「もちろん増える。更に今まで以上に強くなっていくだろうな。時間が経つにつれ最下層からの魔物も下から上がってくるからな」
「うげー。もっかい聞くけど、11階層いったら本当にこれも終わるんだろうな?」
「終わる終わる。そこまで俺を運びゃ後は全部乗っ取って終わらしてやるよ」
「んじゃそこまではとりあえず最速で行くぞ。休憩してる時間もねーし」
「ジルサンダーの脚力はカミナリの如く。そう言えばカミナリで思い出したんだが、この前の落雷の時分かったんだがよ・・・」
11階層以降の魔物が降りてきている現状を確認して、とりあえずの目標を掲げる。
また何かを話し始めたオッドに、シカトが最善と把握したジルはだんまりを決め込みスピードをあげる。
「…てことはカミナリで得られる光量は光合成に出来るってことだ。ならお前が走れば俺は光合成が出来るって事だな」
「…んなわけねーだろ」
「蚊かよ。ぼそぼそ言われても分かんねーぞ。言いたいことはきちんと話せよ少年。っとそこ右な。そしたら階段がある」
普段は人の話を聞かないクセに、その小さな声を無駄に聞き逃さなかったオッド。
つい突っ込んでしまったジルは、コイツとはとことん相性が悪いな。と、ジルは心の中で呟いた。
角を曲がると、確かに少しいったところに階段があった。小走りで近づく。
階段を見下ろすと、まるで強大な暗闇がこちらを飲み込もうと口を開けているかの様。その口を一瞥し、降りようとすると、オッドから声がかかる。
「八階から戦闘が多くなるぞ。避けられる道が少ない。だがまあお前程度でもまだまだ勝てるから問題ないぞ、ザコサンダー」
「俺をここのザコと一緒にすな!てかもう名前もねーじゃねーか! せめてサンダーを外せよ!」
「はっは。弱い犬ほど良く吠えるって本当だな。ザコ」
「ボケ!サンダーを取れってそう言うことじゃねーよ!」
またもや相手をしてしまったと、頭を掻き毟るジル。
気を持ち直して、8階層への準備をしようとポケットを漁る。
「何やってんだ?」
「敵が増えるんだろ?魔法のストックだよ」
「へー、そうやるのか」
万年筆の様な物を取り出し、空にその筆を走らせる。すると淡い光と共に、空間に魔法陣が描かれる。
慣れた手付きで描かれた魔法陣を、オッドは興味深かそうに見る。
「上手いな。俺は魔法とか使えないから分からんけど、これは何の魔法だ?」
「蟻んとき使ったろ?イージスって魔法だ。今俺が使える魔法の中で唯一にして最強の防御魔法だ」
「へー」
「絶対覚えてないだろ……」
「何のことを言ってるんだ?」と目を明後日の方向へ向けて、思い出す様な仕草をしながら適当に相槌を打つオッドに、ジルはジト目を向ける。
「分かってる分かってる。あん時の海の色は忘れられないよな」
「…もう喋るな、オッド」
息をする様に言葉を発するオッドだ。喋らないわけがない。
「喋るな」と言われた瞬間に次の質問を投げかける。
「これは何個ストック出来るんだ?」
「…1つ」
「コイツ、1秒も我慢できねーのか」と睨みながら、仕方なく答えたジルに、オッドは
言葉を吐く様に「ダサ」と、一言。
「仕方ねーだろ、この規模の魔法は身体への負担がデカいんだよ。慣れてねーし」
そう言いながらスラスラと筆を動かす。幾何学模様をいくつも重ねられた魔法陣が淡く光る。
「結構書くのに時間かかるんだな」
「この規模だと1分はかかるな。っと、完成」
淡く光る、美しいその魔法陣に魔力を込め、発動状態に持っていく。
光が増した所で、手を翳すジル。すると、光りが薄れていきそのまま消えていった。
「それでストックされた状態なのか?」
「ああ、後は好きな時に展開すれば使える。発動時に追加で魔力を込めればサイズや威力も自在ってわけだ」
「便利だな。でもストックまではすんげー地味だな」
「うるせーなあ」
そんな話をしながらいくつも魔法陣を描いてはストックしていくジル。
「よし、こんなもんだろ。魔力も切れそうだし、これ以上は戦闘に支障が出る」
「おし、そんじゃ行くか。俺の体内時計がそろそろ夜明けを告げている。さっさと終わらせてここを出るぞ。そいや時計で思いだしたけど、ティータイムは何してるんだ?あいつと俺の仲なのに最近顔も見せないな」
「ティータイムはどっかの街でずっと立ってるって聞いたぞ」
「へー」
「興味ねーなら聞くなよ」
そんな話しをしながら2人は、八階層へ降る階段の闇へ、飲み込まれる様に消えていった。
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ここは名も無き森
夜明けの光が、木漏れ日となり、森を照らす。
その木漏れ日に照らされる、大量の赤い眼差しがここにはあった。
ディザスターアントの女王蟻は憤っていた。森の頂点に立っているという自負がありながら、あんな小さな獲物を仕留め損ねたからだ。
今までこの森で、一度見かけた相手は何があろうとその全てを食ってきた。その実績に泥を塗られた事が女王蟻には堪らなく不快であった。
今まで培ってきたこのコミュニティ。絶対なる信頼を置くこの暴虐な迄の数は、全ての生き物に平等な死をもたらす災厄である。
だからこそ二度はない。と、獲物を仕留め損なうなどあってはならない。と、女王蟻は固く決心をする。
兵隊蟻が騒めく。
新しい獲物を見つけた様だ。そちらを見ると確かに、なかなか食いでがありそうな獲物だ。大きさもそこそこ。この獲物は、逃さないと目を光らせる。
先ほどの失敗を思い出したのか、ギチリと、その凶暴な顎門を噛みしめた女王蟻。獲物はまだこちらに気付いていない。その隙に、獲物を囲う様に蟻を配置させる。
配置が完了すると、力を貯める様に蟻の群れ全体が、ふと足を止める。
____一瞬の間
爆発させた力を解放させたディザスターアント等は、先程より更に速いスピードで襲いかかる。
男がこちらに気付いた。だがもう遅い。逃げようが何をしようが。
周りも完全に包囲している。
逃げ道など、ない。
蟻に気付いたその男は、襲い来る蟻を眺めながら呑気に一言漏らす。
「へー、これがペテクベルディが言っていた蟻か」
何かを喋った。が、命乞い等無駄だ。と襲いかかる
すると、その男はニヤリを笑った。
「無駄だ。伝播」
ものすごい勢いで繰り出された正拳突き。
いくら殴ろうが意味はないと、一斉に襲いかかるディザスターアント。
だが拳が触れた瞬間、その周辺の蟻は、吹き飛ぶのでは無く、弾け飛んだ。
その小さな身体を、さらに小さな肉片として粉々に。
更には、殴られた箇所を支点にしたかの様に、一個の個体と化していたディザスターアントは、次々と周辺を巻き込み弾けていく。その衝撃が、連鎖していき、更に周りの蟻も。
その衝撃は次々と、周りに居る蟻へと伝達され、襲いかかるより早くその身を粉々にされていく。
気がつくと、何億といた筈の蟻は1匹も残らずその身を砕かれ、森の食物連鎖の頂点からも、存在さえも姿を消した。
「…一発でここまでいくとさすがに爽快だな」
一発放った後に様子を見ていた男は、額に手を当て周りを見渡すとそう言い、後は何ごともなかったかの様に歩き出した。
「懲罰房で鈍った身体に運動をとも思ったが、この程度じゃ運動にもならねー」
もう、ディザスターアントの事はどうでも良いのだろう。久しぶりに見る夜明けの木漏れ日を眺めながら彼は歩く。
「あいつ等は仲良くやってんのか?まあオッドが居りゃ死にはしねーだろ。とりあえずジル坊は1発ゲンコツだな。喋りやがって」
一度立ち止まり、ググッと伸びをする。
「さあて、あいつ等にさっさと追いつきますか」
呑気に歩く。腰に付けられた自身をデフォルメしたであろう可愛らしい人形が揺れた。
その大きな背にも、夜明けの木漏れ日が注ぎ…




