駆ける足は、きっと。
背後には誰も居なかった。空耳なんかじゃない。確かに誰かが居た気配もした。
ハッと異変を思い出しもう一度空を見る。
其処にはもう、先ほどまで眩く光る月も星々もなく、ただ塗りつぶされた黒が広がるだけだった。
「ギャアアアアアアアアア」
悲鳴が聞こえた。
それを皮切りに、所々から声が、悲鳴が聞こえる。
「な、何も見えないいい!」「火を付けろ!」
「だ、ダメだ!付けても何も見えない!」
「ここは何処だ・・待っ。お前は誰だ?なんで・・・俺の・・・」
「えっ」
声をあげる。
……おかしい。
見えない?うそ。
だってこんなにはっきり見えてるじゃない
黒く染まったその空の中で、だがハッキリと全ての状況を理解出来た。
良くパンの匂いを嗅ぎに行くパン屋さんの店主。
嗅いでいると「お前みたいな汚いガキが来ると客が来なくなるだろ」と私を蹴る店主さんが、店からよろよろと出てくる。
「な、何が起こってるんだ。見えない、何も見えない。だ、誰か……」
そこまで言った所で、足元に出てきたら黒い影に飲み込まれる。
「ッッ! 沈む、な、なんだ?おい!だれか! 誰か引っ張り上げてくれ!」
誰も助けには来ない。いや、来れない。
皆自分の事で一杯一杯なのだから。
全てが飲み込まれるまで、店主は助けを乞い、喚き散らしていた。が、その声も全て闇に沈んでいった。
「どうなってるの……?」
頭の混乱はしたまま、町の状況を見て回るために駆け出した。
「な、なんで」
そんなことを言いながら駆けていると、よく私から食べ物を取る男を見付けた
「いだい…だれが俺の足……」
両足が無く、両手でひきづる様に這いつくばっていた。
事実結構な距離を這いつくばったのだろう、流れた血が道標の様に続いている。
鎌の様な、地面から湧き出す波の様な…
影の鎌が地面から湧き出て、私から食料を奪う男の体を波の様に地面を這いながら縦に通り過ぎた。
泣きながら助けを求めていたその男は、通り過ぎたその形のまま2つに割れ、身体から臓物をドロリと吐き出した。
「ハアハア…!」
まるで現実感の無い風景。各所から上がる悲鳴を聴きながら、幻の町を見ている様にさえ思いながらタダ駆けた。
「私の…現実が壊れていく…」
息切れをしながら心臓をドキドキさせて走った。
このドキドキはきっと走っているせいだろう。と、心臓のあたりをギュッと摑んだ
町の中を闇雲に走り続けているうちに、いつのまにか悲鳴は聞こえなくなっていた。それさえも気付かない程に混乱していたのかと思いながら、夢中に動かしていた足を止めた。
何故か涙が溢れて止まらない。
いつのまに泣いていたのか、その疑問さえも心臓の音が消していく。
「ハアハアハアハア…」
荒くなった息と、ドキドキと昂りが止まらない心臓が五月蝿い。高鳴りを鎮めようと、息を粗く吐き出していると後ろから先程と同じ男の声が聞こえた。
「ふむ、落ち着いたか?少女よ」
バッと振り返る。
今度は居た。
背の高い、モノクロの眼鏡をかけた、髪をオールバックに纏めた男が。
見たこともない様な、黒くて綺麗な服を着たその男。
男は、私の顔を見ると小首を傾げる。何かが気になったのか……その疑問を声に出し投げかけた。
「ふむ。付かぬ事を聞くが、何故お前は笑っているんだ?」
「え?」
ボロボロと涙が溢れているその顔に、その口角に両手で触れる。…確かに私は笑っていた。
「何か楽しい事でもあったのか?」
また、そう声がかかる。
膝から崩れる。
___そうか…
気付いてしまった。この状況に恐怖を全く感じていなかった事に。少女は自分の心を、思いを、知った。
知ってしまった。
___私は…
「ははっ」
自然と笑い声が漏れる
___私は、自分の日常が壊れていく事が……嬉しかったんだ。
自分の、自分が本当に感じていた事に気付いてしまった。
ずっと下を向いて生きていた。
……汚いと罵られ、人が食べる様な物じゃない残飯や、腐ったご飯を食べてきた。
お腹をこわして一日中倒れてたこともあった。それでもみんな、倒れてる私を汚い様な物を見る目で見下した。
…… 一生懸命に仕事を探して見つけた。やっと貰えた賃金を何処かの誰かに奪われた。
お金を奪われただけじゃなく、酷く殴られた。痛みで夜も眠れなかった。
…… 次の日には「そんなヨレヨレじゃ使い物にならない」と仕事さえもなくなった。落ち込んで帰ると、昨日私からお金を奪った者が、屋台で買ったお肉を美味しそうに食べていた。
私はずっと奪われるだけだった。
こんな場所から消えてしまいたいと何度も何度も願った。
こんな場所は消えてしまえと、何度も何度も……
「お前は自由だ。幸運なる者よ」
気付いた気持ちも飲み込めないままに俯いていると急にそう声をかけられた。
「じ…ゆうって?」
じゆう?それが何かは分からなかった。
何故か町のみんなを虐殺した筈のこの男の声が、不思議と胸に染み込む。 恐怖さえもない。
「ふむ。何をしたい?お前の望むその全てを…私は肯定しよう」
何を……何をしたいかだって?そんなのいっぱい、いっぱいある……ッ!
「ご、ご飯がいっぱい食べたい!」
「ふむ、よかろう。好きにするが良い」
「あったかいところで眠りたい!」
「それも良いだろう」
「綺麗なおようふくを着たい!」
言葉は止めどなく溢れる。
その全てを許してくれているのか、頷きながらその男は聞いてくれた。
「お父さんとお母さんに会いたい!お友だちとあそびたい!」
言いながら涙が出てきた。こんな事誰かに言ったことも、聞いてくれる相手も居なかったから。
「1人でいだぐないっ!おやすみって言ってもらいだいし、おはようって言いだいっっ! 幸せになりだいの!」
男は「そうか」とだけ呟く
「生ぎ…だいんでず…」
嗚咽を漏らしながらそう言う。涙が止まらない。
その台詞を聞いた男は、ツカツカとこちらに歩みよりながら、重い口を開いた。
「ふむ…生きろ」
___世界が時間を止めた。
「お前は生きられる。全ての者がお前の生を許さなくても私だけは肯定しよう」
____誰にも言われた事がなかった。「生きろ」なんて
「わたし…生きていいの…?」
「生きるのに許可なぞ必要はなかろう。生きろ。お前がそうある事は、自然だ。」
その初めての言葉に、どれだけ涙を流したろう。
男は歩み寄り、近くで止まる。涙を流す少女をただ眺めるだけだ。だが…
「生きろ」と、自分を肯定してくれる人がいる事がどれだけ嬉しいか。 少女は嬉しさで声も出せなかった。
ただただ大粒の涙を流し、ボロボロと溢れて地面に染み込むのを見ていた。
見たこともない、初めてあった男。
町のみんなを殺した男。
___私の全てを壊してくれた人
泣いている間も、ずっと男は黙って待っていてくれた。
どれだけ時間が経ったのだろう。
男は又、おもむろに声をかけてくる。
「お前は自由だ。好きなようにすると良い」
そう言うと男はくるりと振り返り、何処かへ向かう
___待って
「ひっぐ」
涙を堪えて立ち上がる。男の背を見る。初めて私の話を聞いてくれた人。
___待って、よ
その背はもう此方を向こうともしていない、きっとこのまま離れて行くのだろう。
___待ってったら
このまま、またひとりぼっちになるの?そう思うと自然と声が出た。
「待ってえええええええ!」
男が、ピタリと足を止めた。
「お願いっ! 私を1人にしないでえ! おねがいっ!」
嗚咽と出したこともない大きな声のせいで息を吸っていなかったからからか、言葉が止まる。
言いたい事はまだ言えていない!少女はその気持ちを吐き出す為に息を思いっきり吸う。
___私はまだ言いたいことがあるんだ!貴方に!
「お願い! 私と一緒に居てええええ!」
今まで出したこともないほどの声を出した。その声を背中で受け止める男。
少女に振り向く。
少し…いやかなり、眉を潜めて此方に振り返った。
「それが、お前の気持ち…と?」
こくりと頷く。
「……もう普通の生活には戻れなくなるが?」
「それでもいい! 私を“、私を”連れでっでえ!」
「ふむ…」
深かった眉間の皺がより一層深くなった。
「ペテクベルディ、居るか?」
「はい、フェスパイア様」
地面から染み出すようにスライムが出てきた。
「え?スライム」
そんな私の疑問はなかったかの様に話は進む。
「今の話、お主も聞いておったな?」
「はい、伺っておりました」
「主はなんと?」
「本体に接続中…完了致しました。「いいんじゃね?面白そうだ。その子はお前が世話をしろ。あ、後一つ転移陣使っていいぞ。その子はこちらで預かろう。流石に子連れじゃ出来ることもできないだろう、はっはっは」と申しております」
「ふむ…」
何かを考えているだろう、その眉間に刻まれた皺をなんとなしに眺めていた。
「ふぅ…お主名は?」
「名前……ない」
「そうか、ならマイルとそう名乗れ。お主の名だ」
そう言うとくるりとまた背を向ける。
「ほら、帰るぞ。私たちの家に案内しよう。お主の家だ」
……こんなに嬉しかった事なんて今まであっただろうか、生きろと、私を連れ去ってくれる彼の背中。眩しい程に輝く月がその背に隠れた。
今まで眩しかったはずの月の明かりが、彼の背に隠れてボヤけて見えた。
「うんっ」
彼の後を付いて行くマイルとても幸せなそうな笑顔で、月を遮るその背を追いかけた。
『黒に染まれ』
効果範囲内生物の五感のうち、どれかを「否定」する。
範囲内の世界を「否定」した状態で作り変える。改変魔法。
限定された世界がそう作り変えられる為にそれが通常の状態となる為、状態異常の加護は効果を発揮しない。
魔力の量で効果範囲増大。
対価として、効果範囲内で条件を満たした対象1人の全てを永続的に「肯定」する必要が有る。条件を満たした対象は『黒に染まれ』の効果を受け付けない。
術者は対価を破ると自分の存在が否定され、消滅する。




