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 蒸気機関車が、田園地帯をひた走る。新緑に降り注ぐ細い雨が、土の匂いをより一層際立たせる。リチャードはその車窓をぼんやりと眺めながらパイプを咥えていた。

 ガタンゴトン。揺れる車内を慎重な足取りで歩く少女。プラチナブロンドが揺れ、琥珀色(アンバー)の瞳はつり上がっている。青白い肌に浮かぶ唇は薄紅色。

 その姿を見た時に、思わずリチャードはパイプを落とした。床に転がったパイプを少女が丁寧に拾う。


「これは大切なパイプではないのですか? ミスター・チェンバー」

「ミス・ベネット……どうしてここに?」


 動揺のあまり、思わずリチャードの声が震えた。悠然と微笑んだメアリーがリチャードの前に座る。リチャードは受け取ったパイプを懐にしまい、深く深呼吸をする。

 小さく目を瞑った後、すでにリチャードの表情はいつも通りだった。


「君はいつから僕の側にいた?」

「行きの列車の中から、駅に着いた後まで」

「あの退魔師(エクソシスト)は君の存在に気づいてないな」

「もちろん。答えはイエスですわ」

「あの男はベイリー男爵について探ってるようだった。つまり君を探っていたわけだ」

「それは少し間違いですわ。ミスター」


 革手袋に覆われた手で、大きなカバンから、タイプライターで打たれた書類を取り出す。

 そこにはベイリー男爵への融資記録が書かれていた。

 何年も前から、かなりの金額が投資され、借金は膨れ上がっている。


「ミスターもご覧になったように、あの男の屋敷には、異常なまでの東洋趣味の作品が並び、東洋人がいた。海外にツテもなく、財源もないのに不自然でしょう」

「なるほど……誰かが資金を提供し、手伝っていたのか」

「それは少し間違いですわ。ミスター。手伝っていたのではなく、利用していた」

「誰が?」

「それはわかりません。それをヴァチカンは調べているのでしょう」

「なるほど……それで? 僕にこの話をする君の狙いは?」


 薄紅色の唇が艶やか(コケティッシュ)な笑みを浮かべる。


「ミスター。貴方は私を見逃した。それをヴァチカンが知ったら許さない。……いえ、英国国教会も許さないでしょう」

「僕を脅してるつもりかい? 僕はヴァチカンの所属ではない。英国国教会の中でもはぐれ者。一匹狼の退魔師(エクソシスト)だ」

「異端の退魔師という異名があるそうですわね。面白い噂もたくさんある。魔術師かぶれ、背教者、妖精(フェアリー)に愛された男……」

「辞めろ。僕を煽っても無意味だ。もうじきロンドンにつく。時間はない」


 車窓の景色は、いつの間にか田園から街並みへと近づいていた。雨も上がって雲の隙間から光も射し始める。その光が眩しいように、メアリーは目を細めた。


「取引をしましょう。ミスター。私を貴方の協力者にしてください」

「君を協力者に?」


 リチャードは眉間にシワを寄せ、こめかみをヒクヒクさせながら、懐から取り出したパイプを左手で弄ぶ。


「そんな事をして、僕に何の得がある? 君に何の利益がある?」

「メアリー・ベネットはミスター・チェンバーの協力者としてあの事件に関わった。それは警察(ヤード)の記録にも残っている事実。ヴァチカンだって気づくでしょう。私はただの女で協力者として、ミスターの側にいる。そのほうが互いに都合が良いと思いませんか?」

「僕を隠れ蓑に、君はただの人間のフリをしたいと」

「ええ……そして私はあの事件の情報を誰よりも知っている。ヴァチカンをだしぬく程に」

「なるほど……僕と君は、運命共同体という事か。君の正体が知られたら……僕の居場所は無くなる」

「私の居場所もないですわ。いっそ二人で東洋にでも逃げ出しますか?」


 ふふふと無邪気に笑うメアリーに、思わずリチャードは大きく口を開けて声を荒げようとした……が、寸前で思いとどまった。まるで何か天啓を受けたように。


「今回の騒動が落ち着くまで、一時的にだ。ただし、一つ条件がある」

「何でしょう?」

「僕がパイプを吸ってる時は、近づかないこと」

「かしこまりました」


 リチャードがパイプを咥えたので、メアリーは立ち上がり小さくお辞儀をして立ち去る。

 リチャードが目を閉じた時、汽車がロンドンに到着する汽笛が聞こえた。



 ロンドン駅を出て歩き出そうとした所で、リチャードは立ち止まって振り返る。メアリーが大きな鞄を持って立っていた。


「どこまでついてくるつもりかな?」

「協力者なので、どこまでも。今はパイプを吸っていらっしゃらないですし」


 リチャードは大きなため息をついて左手を差し出した。メアリーが小首をかしげると、催促をするように手をひらひらさせる。


「鞄を。女性と共に歩く時、重い荷物を持たせたままなど、英国紳士にあるまじき振る舞いだ」


 その言葉にパッと嬉しそうにメアリーは鞄を差し出す。予想以上のズシリとした重さに、一瞬リチャードがよろける。

 中に何が入っているか、リチャードは考えないことにした。


「ヴィクトリアサンドイッチというお菓子が、ロンドンで流行っていると聞きましたわ。ずっと食べてみたくて……」


 年頃の少女らしく、はにかんだ笑みに、リチャードはうんざりしたような顔を浮かべる。


「わかった。後で食べに行こう。他に何かご要望でも? ミス・ベネット」


 慇懃無礼の見本のように、皮肉げな表情のまま気取って会釈をすると、メアリーは嬉しそうに隣に並んだ。


「ミスター・チェンバーが紳士だという事は、よくわかってますわ。貴方は貴方らしく、紳士(ジェントルマン)でいてくだされば、わたくしも淑女(レディ)の振る舞いを致します」


 リチャードとメアリーが並んで歩く姿は、とても自然にロンドンに溶け込んだ。

 誰も少女が化け物だと知らず、リチャードが心底うんざりしてることに気づかないほどに。


「ミス・ベネット。君が菓子を楽しめる人間(・・)だとは思わなかった」

淑女(レディ)は死んでも淑女(レディ)。甘いお菓子とスパイスでできてるのですわ」


 リチャードはその言葉に同意できないとばかりに首をすくめた。

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