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 リチャードとエリザベスが乗る船の周りを、風の精(シルフ)が飛んでいた。船の縁に身を乗り出すように水の精(ウンディーネ)も側に侍る。


『遠くから船がやってくるわ。アレが来るまで、風を止めておけば良いのよね』

『波が立たないように、海流を操作すれば良いのよね』

「ああ。漂流しては困る。他のボートも気をつけてくれたまえ」

『後でお礼をたっぷりくれるなら』

『リチャードの頼み事、聞いてあげるわ』


 風の精(シルフ)水の精(ウンディーネ)の声が弾み、リチャードは顔をしかめた。どれだけ報酬をはずまされるか、今から頭が痛い。

 妖精達との会話を断ち切って、エリザベスに問いかける。


「リズ。君はまだ聞こえている(・・・・・・)のかね?」

「ええ。姿は見えないけれど、声は聞こえるわ。風の精(シルフ)水の精(ウンディーネ)? 流石リチャードね。妖精と交渉できるなんて」


 そう言いながらエリザベスは、自分の尖った耳に触れた。リチャードと同じ異能の印。それは二人の共通点だった。


「親に言っても気味悪がられて、友達もできなくて。困っていた時にリチャードと出会って、妖精との付き合い方を教えて貰ったわね。懐かしいわ」

「僕は君より少しだけ長く生きて、少しだけ妖精に詳しかっただけだ」

「それでも、あの頃の私にはどれだけ救いだったことか。だから、私にとってリッチは恩人で、大切な人なの。貴方の幸せのためなら、何だってするわ」


 聖母マリアの如き慈愛に満ちた微笑みを浮かべるエリザベスへ、リチャードは冷たく告げた。


「だから、僕のために、ミス・ベネットと一緒のボートに乗って、密かに殺そう(・・・)としたのかね?」


 エリザベスは困惑したように、小首を傾げた。リチャードの鋭い眼差しは、エリザベスを突き刺し続ける。


「何のことかしら?」

「最初に引っかかったのは、君の英語だ。ドイツ、フランス、スペインに行ったと言っていたが、君の英語はイタリア訛りだ。何故イタリアにいたことを隠したのかね?」

「隠したわけじゃないわ。言い忘れたのよ」

「眠りの術を解く前に目覚めたのも違和感があった。術にかかった振りをして、寝たふりを続けていたのでは?」

「眠りの術? 何のことかしら?」

「その後、僕はラテン語で『敵が空にいる』と言った。ラテン語を知らないミス・ベネットは僕に問いかけたが、君は何も聞かずに空をみた。それはラテン語を知っていたからだ。一般的な淑女(レディ)はラテン語の教育を受けない。だがバチカンなら別だ。教会内で、ラテン語は公用語だから」

「……」


 微笑みを消したエリザベスへ、リチャードは睨むように告げた。


「君はバチカンの退魔師(エクソシスト)になった。その能力も、バチカンでは重宝されただろう。僕も似たような理由で退魔師(エクソシスト)になったから解る。僕達は同類だ」

「……リチャード。貴方は昔から頭が良かったけれど、本当に凄いのね。味方にしたら頼もしいけれど、敵にしたら怖いわ」

「君の目的は何だ? ミス・ベネットのことはクリスから聞いていたのかね?」

「クリスから聞いたのは、リチャードの協力者だって事だけよ。初めて会った時は驚いたわ。人間ではありえない、陶磁器のこすれるような音がするお嬢さんで。すぐに人間じゃないって気づいたわ」


 そう言いながらエリザベスは耳を撫でた。鋭すぎる聴覚で、メアリーの異常さをすぐに見抜いてしまった。リチャードの態度と性格から、メアリーを保護しているのはすぐに解った。


「リッチは女性に優しいもの。放っておけないのも仕方ないわね。でも……彼女はダメよ。ベアトリクスさん? あの方の方がずっといいわ」

「何故だ」

「だってベアトリクスさんは人間でしょう。リッチの妻になって、子を産んで、幸せな家庭を築けるわ。でもあの子はダメ。リッチの奥さんにはなれないし、側にいるだけでリッチの周りが敵だらけになる。英国国教会にも、バチカンにも睨まれて、リッチが危険よ」


 リッチ、リッチと名を呼び続けるエリザベスは笑っていた。笑いに狂喜を滲ませながら。

 エリザベスの言う言葉は理屈としては理解できる。リチャードを心配する思いも真実なのだろう。だが心優しきエリザベスの気持ちに応えられない。リチャードは悔しげに唇を震わせた。


「だから、排除する?」

「そう。私はリッチの幸せのためなら何でもするの。それでリッチに憎まれても、恨まれても構わない。優しいリッチにできないことを、私が代わりにしてあげる」

「お断りだ!」


 きっぱりと言い切ったリチャードをみて、エリザベスは悲しげに微笑んだ。


「仕方がないわね、今は諦めるわ。でも、これからもあの子がリッチのお荷物になるだけなら。いつでも私が始末してあげる」

「リズ。残念だよ。君と価値観が相容れなくて」


 エリザベスは献身的な善意でもって、メアリーを殺そうとしていた。その強い意志は簡単に覆せず、それがリチャードの心に影を落とした。


「私の今の仕事は別件よ。クリスと連絡がとれないの。貴方なら知ってるんじゃないかしら?」

「ああ。彼は今、英国国教会が身柄を確保している」

「引き渡して欲しい……と言っても、難しい事情がありそうね」

「眠りの術にかかっていなかったのなら、僕達の戦闘をみていたのでは? あの化物が英国内に残り十体いる。それを倒すまで、クリスが解放されることはない」

「それは困るわね。上からの命令(オーダー)は、クリスの……いえ、聖遺物の回収なのよね。あれを失うことはバチカンの大きな損失だわ」

「それほど希少なら、スパイに使わなければ良いのではないかね?」

「バチカンも一枚岩ではないの。クリスを優秀な駒として活用すべきだという派閥もいれば、秘宝として補完すべきだという派閥もいる」

「どちらにしても、クリスは()扱いか」

「数百年生きた化物を、人扱いはできないの」

「なるほど。相容れない価値観だ」


 リチャードにとって屍人(ゾンビ)のメアリーが友人であるように、クリスもまた人間として扱いたい。

 幼い頃は同士のように身近に感じたのに、今は遠い異国の住人のような隔たりを感じた。


「ロンドンの大魔術阻止のためにリチャードと共闘していると、クリスから報告はあったわ。それが失敗したの?」

「ああ。結果的に阻止できず、あの化物と、その本体は英国に存在し続ける」

「船に乗って英国を出ようとしていたわね。英国内は管轄外だけど、外国に出られたらバチカンとしても困るわ。そうね。あの化物退治に協力する。その代わり、化物退治が終わった後にクリスの身柄を引き渡してくれないかしら?」

「全て倒せたとしても、クリスが無事とは限らない。倒し終えた時にクリスが無事なら、改めて交渉しよう。それしか約束はできない」

「……仕方ないわね。それで手をうつわ。上にはそう報告しておくから、今度ゆっくり話をさせて」


 そう言いながらエリザベスは遠くを眺めた。まだぽつんと小さな影が見えるだけだが、救助にやってきた船だ。エリザベスの良すぎる耳には、蒸気船が煙を吐き出し、スクリューを回す音まで聞こえているのだろう。


 到着した蒸気船に、救助ボートに乗った人々が順番に乗り込んだ。


「ヘンリーの感は当たったな。酷い航海だった」


 リチャードは甲板の隅でパイプを燻らせ、眉を顰めて夜の海を眺めた。

 エリザベスの好意は見当違いだが、懸念は正しい。屍人(ゾンビ)のメアリーと、今後どう生きていくのか決めずに、問題を先送りし続けたツケが回ってきた。


「どう、すべきか」


 リチャードが決めなければ、運命が強制的にこの友情を破壊するかもしれない。

 答えが見つからないまま、蒸気船がロンドン港につく頃には、夜は明けていた。

 長い長い夜は空け、不穏な船旅は終わりを告げる。



 混沌の箱船 END

 NEXT to be continued

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