レディMの時間Ⅱ
小型のボートにメアリーとロビンは乗っていた。小型といっても一番小柄な二人には十分な広さだ。ボートの上で横になれる。
「身体は大丈夫かしら? 寝ても良いのですわよ」
「ありがとう、お姉ちゃん。でも怪我はたいしたこと無かったみたい。頭だから派手に血が出たんだよ。もう血も止まってるし」
メアリーはロビンの頭に触れた。栗色の髪にこびりついた血は乾燥して固まっていた。
ロビンの顔に顔を近づけて、じっと見据えてメアリーは口を開いた。
「貴方は何者?」
「ロビンだよ。メアリーお姉さん、何を言ってるの?」
「貴方はロビンじゃないわ。別人よ。怪我をして、母親の無事も確かめられないのに、ずいぶん落ち着いてて、不自然よ。それに……」
メアリーはロビンの首元に顔を近づけて、くんと鼻を鳴らした。
「ミスターが言ってたわ。死臭がすると。ロビンの姿を真似た屍人ではありませんの?」
メアリーにまとわりつく笑顔のロビンを思い出すと、胸が軋む。
本物のロビンは生きて、別のボートで脱出した。そう、メアリーは思いたかった。
「……あの男は、警察犬か? 俺が危険だと解っていて、お前を一緒の船に乗せたのか?」
ロビンの声のまま、口調ががらりと変わった。嘲るような不敵な表情もまたロビンらしくない。
「ミスターは私を信頼してるのですわ。私以外の言葉を話す屍人と会うのは初めてですわね。貴方は何者?」
「人に物を尋ねるなら、先に自分の話をするべきだろう」
そう言いながら、いきなりメアリーの腕を掴んで、一気に手袋を引き剥がした。剥き出しになったボーンチャイナの手にベタベタと触る。
「何をしますの!」
「人形に魂を移したか。李・陳敏も面白いことをする。実に興味深い」
「李・陳敏を知ってますの? 人形の身体についてもずいぶんと詳しいですわね」
メアリーの手を握って引き寄せながら、なんてこともない無表情で告げた。
「当たり前だ。この人形は俺が作ったんだからな」
「ええ! 人形の制作者! 李が作ったのではないですの?」
「アイツにここまでの技術はないだろう。お前以外のボーンチャイナの人形を持っていたか?」
「そういえば……ボーンチャイナで何か作ろうとしてましたが、人形の完成品はありませんでしたわね」
「俺の真似をしようとして、失敗していたか。愚か者め」
ロビンの姿をした屍人は、メアリーの顔を間近で見て、べたべたと触った。
見た目が子供なせいか、嫌らしい感じはしないが、じろじろ見られると羞恥心が湧く。
「顔だけは屍人のままか。だが腐敗は軽微。おい、お前。いつ死んだんだ?」
「さっきからずいぶんと酷い言葉ばかり。淑女に失礼ですわ!」
「屍人に失礼も何もあるか。それにその身体は俺が作ったんだぞ。手足の長さからスリーサイズまで解っている人形に欲情するとでも? はん! イカレタ人形偏愛者と一緒にするな」
「な、な、な、なんて失礼な!」
愛らしい少年の姿から繰り出されるとは思えない下品な言葉に、メアリーが顔を真っ赤にすると、屍人はニヤリと笑った。
「屍人なのに、顔が赤くなる。鮮度の良い屍人か。面白い。実に興味深い。俺の話をしてやるから、その身体を見せろ。服を脱がせて、よく観察したい。それが交換条件だ」
「ぎゃー! なんて破廉恥な男ですの! 信じられませんわ! 変態!」
「愚か者。メンテナンスをしてやろうと言ってるんだ。悪い条件ではないはずだぞ」
「メンテナンス?」
「その人形は俺の手を離れてずいぶん立つ。壊れたパーツがないか。強度に問題ないかチェックして、故障があれば直してやる」
「この身体を直せますの?」
「当然だ。俺は制作者だからな。この世界広しといえど、直せるのは俺だけだろうな。良い交換条件なのは、騒ぐだけが取り柄の空っぽな脳みそでも解ったか?」
「……貴方の口が悪すぎるのですわ」
苦虫を噛みつぶしたような表情でメアリーは悩む。
万が一、この身体が壊れた時に、直せる者がいるというのは、確かに心強い。それに李・陳敏にも詳しい男。色々と情報は引き出せるだろう。甚だ不本意だが、好条件なことは確かだった。
「こんな場所で服を脱がされるのは困りますの。陸に上がってからなら」
「そうだな。こうも暗くてはよく見えない。十分な光源を確保した上で、じっくり観察してやろう」
「貴方の言葉はいちいち変態じみてますわね。羞恥心がありませんの?」
「羞恥心など、好奇心の前では紙くずより価値がない。それが研究者としてのサガだ」
「研究者?」
「ああ。俺の名はパラケルスス・フォン・ホーエンハイム。錬金術師だ」
パラケルスス、錬金術師という単語に覚えがある気がして、メアリーは一瞬悩んで気づいた。
「錬金術師のパラケルスス! 十六世紀のスイス人でしょう。十九世紀まで生きてるわけ……」
「生きてない。死んでいる」
「屍人でしたわね」
「お前と似たようなものだ。俺の場合は死体に魂を移し続けているが。ただ死体だと数年で腐敗して壊れる。貨物室でお前が会った男。あれは俺だ」
「あの怪しい男が貴方でしたの」
「あの時の死体はもう限界だった。そろそろ別の死体に移し替えようと思っていた時に、手近に死体が転がっていたから乗り換えた」
そう言いながらロビンの頬を撫でる。その言葉にメアリーは背筋が凍った。
「ロビンは……死んだのですわね」
「頭を打ったのが致命傷だったんだろう。お前がいなくなってすぐに息絶えた」
メアリーは一瞬泣きかけて、目尻に力を込めてぐっと堪えた。何も知らずに自分を庇った勇敢な少年があまりに可哀想で。
「怒ったり、泣いたり、忙しいヤツだな。『私のせいで』とか思い上がるなよ小娘。コイツは自分の意志でお前を庇った。それで死んだなら自己責任だ」
「自己責任なんて、そんな! 子供になんてことを言いますの!」
「だったらこう考えろ。命懸けで愛する女を守った勇敢な少年に、哀れむより礼を言え。その方がコイツもよっぽど浮かばれるだろう」
意外なほどにロマンティックな発言に、思わずメアリーはぽかんとした。
「貴方、ロマンチストですわね」
「ふん。バカめ。飽くなき好奇心で、神秘を探求し続ける錬金術師がロマンチストなのは当然だろう」
メアリーはなんとなく、この男のことが解ってきた気がする。口は悪いし、デリカシーはないし、研究という名の好奇心が異常だ。しかし口の悪さに目を瞑れば、案外優しい男なのかもしれない。
「……解りましたですわ。ロビンに感謝して、哀悼を捧げますの」
目を瞑り、心の中で感謝と祈りの言葉を捧げる。せめてロビンの魂が、安らかに天国へいけますようにと。
しんと冷えた夜の空気に、祈りは溶けて消えた。




