レディBの時間Ⅱ
ベアトリクスがロビンを連れて甲板にあがってくると、アレックスとリチャードが握手をしているのが見えた。
「アレックス・ガーフィールドだ。ボートは確保してある」
「リチャード・チェンバーです。ご協力、感謝します」
「チェンバー?」
一瞬アレックスの表情が変わって見えたが、すぐに消えた。ベアトリクスを見つけて笑顔を浮かべる。
「待ってたんだぜお嬢さん。これで全員揃った」
「ああ、残る乗客は僕達だけのようだ。なるほど、ミスター・ガーフィールドがベアトリクスの協力者か」
「ええ。そうなの。彼とそのメイドと共闘したわ」
「なるほど。三対一とはいえ、あれと渡り合えるなら、頼もしい実力者だ」
そう言いながらリチャードは周囲を見渡した。ベアトリクス、ロビン、リチャード、アレックス、シュェラン、メアリー、エリザベス、この七人が最後の乗客らしい。
アレックスはボートを指指して語る。
「大型のボートはもうない。残ってるのは二人用が二隻、三人用が一隻。悪いが三人用は俺が使わせて貰うよ。俺が一番重いし、うちのメイドが……」
「私は旦那様のお側を絶対に離れません」
「……とまあ、ワガママで悪いな。あと一人は、ベアトリクス。どうだ。俺達と一緒に」
「嫌よ。私はリチャードと……」
ベアトリクスが断ろうとした所で、リチャードが遮った。
「ミスター・ガーフィールド。よろしくお願いします」
「ちょっと! リチャード。どうして勝手に決めるのよ」
「彼らと一緒に従僕を倒したのだろう? なら安全だ」
「私が知らない男と一緒でも良いの?」
「メイドもいるから二人きりでもないし、何か問題が?」
まったく解ってない様子のリチャードにベアトリクスは苛立った。そこでエリザベスが提案する。
「その男の子怪我してるのでしょう? リチャードが守ってあげたら。メアリーさん。私達は女同士一緒のボートに乗りましょう」
「私と? ええ、まあ……確かにロビンは心配ね」
メアリーは戸惑いつつも同意しようとして、リチャードがつかつかと歩み寄った。
「リズは僕と。ミス・ベネットはロビンと一緒にボートへ」
「どうしてですの! ミスター!」
メアリーは不機嫌に声を荒げて睨み付ける。ベアトリクスも鋭い目でリチャードを睨んだ。自分達よりもエリザベスを優先する気かと。そこでロビンがメアリーの袖を引いた。
「僕はお姉さんと一緒で嬉しいな」
「そういうことだ。怪我人と一番親しい者が一緒の方が安心するだろう。それに……ミス・ベネット。こちらに」
リチャードはメアリーを連れて、皆から離れた場所にいった。二人で何か内緒話をしている。ベアトリクスはそれにも苛立った。
メアリーには説明するのに、自分には説明もなしに勝手に決めて。それほど信頼していないのかと落胆する。
二人の内緒話が終わった所で、メアリーは納得したらしい。
「ミスター。また救助船で会いましょう。こちらは任せてくださいですの」
「ああ、頼む。ミス・ベネット」
阿吽の呼吸という感じに、寂しい物を感じながらベアトリクスはボートに乗り込んだ。
三人でボートに乗るなり、シュェランはランプを掲げて主人に迫る。
「旦那様。すぐに義足のメンテナンスを」
「おいおい、そう焦らずとも。対して問題も無いし、後で良いだろう」
「东家! 请听一下!」
知らない言語でシュェランがまくし立てる姿に、ベアトリクスは思わず目を丸くした。
今までどんな状況でも淡々と主人を立てていたメイドとは思えない。アレックスはため息をついて、片足を差し出し、何か言った。これも解らない。
アレックスのズボンの裾をまくり上げると、義足が露わになる。ランプを近づけて、シュェランはじっと観察を始めた。
「うちのメイドは興奮すると清の言葉が出ちまうんだ。心配性でまいったよ」
「義足で闘うというのは……確かに心配するわね」
「こいつは特別製だから、そう心配もいらんはずだがね」
苦笑しつつシュェランを見る目は、どこか優しく、まるで娘を見る父親のようだった。
一瞬それにほだされかけて、ベアトリクスは気を引き締める。
「さっきは時間がなかったから聞かなかったけれど、教会と商売を?」
「ああ、お嬢さんは、英国国教会の退魔師だな」
「どうしてそれを?」
「さっきの銀の手袋。この前俺が英国国教会に売った物だ」
「退魔師用の武器を売る武器商人? 最近の商人は武術まで磨くのかしら?」
「俺は元軍人だし、雪蘭は中国武術の心得がある。武器を売り物にしてるんだから、当然武器はいくらでも手に入る。世界を飛び回って、武器を売り歩くんだ。荒っぽいもめ事に巻き込まれるのはよくあることなんでね。護身用だよ」
アレックスの説明は一応筋が通っている。まだ怪しさが拭えないが、これ以上ここで詮索しても求める答えがでてこないだろうとベアトリクスは諦めた。
それ以上話したいことはないとばかりに、ベアトリクスは夜の海を眺めた。遠く離れた位置にリチャードの乗るボートが微かに見える。暗く、遠く、どんな様子なのかも解らない。けれどチリチリと嫉妬の炎が心を焦がす。
メアリーに嫉妬することはある。けれど結局彼女は屍人だ。リチャードの妻になることはできない。だから恋仇として憎みきれない。
しかしエリザベスは別だ。同じ人間の女なのだから。自分は選ばれないのだろうかと焦燥感が募る。
「あの若造が気になるか?」
「え?」
「女心の解らん朴念仁なんて辞めておけ。俺がいるだろ……なんて、十歳若かったら言ってるな」
「貴方が十歳若くても、お断りよ」
「じゃあ、おっさんとして、今度あの色男にあったら、説教でもしてやろうか? 女心をもっと解ってやれとな」
「ずいぶん……お節介ね」
「ベアトリクス。俺は結構、お前さんを気に入ってるんだぜ。それにあの若造は気にくわない。誰に似たんだか」
ぶつぶつと何かを言うアレックスに、引っかかる物を感じて、ベアトリクスが口を開きかけた所で、シュェランが顔を上げた。
「旦那様。今すぐには問題はありませんが、陸に上がったら細かいパーツの交換を」
「わかったよ。そう時間もかからんだろう。近くに客船がいたんだろう?」
「はい。通信室で聞いた限りでは、一時間もすれば到着する距離かと」
「不思議なほどに海は凪いでる。流されることもないだろう。このままのんびり待つ間、雑談としゃれこむか。愚痴でも何でも聞いてやる。話してみる気は無いか? ベアトリクス」
「……」
「どうせ夜の海は暗すぎて、俺達以外、誰にも見えない。遠慮することはないだろ」
シュェランがすっと白いハンカチを差し出した。それで初めてベアトリクスは、自分が涙ぐんでいることに気づいた。
色々大変な目にあって、やっと落ち着けると気が緩んだのか。リチャードの態度にもやもやしたせいか。
ハンカチで目元を隠しながら、ぽつりぽつりと不安の言葉を零した。
かすかな夜風が、その声を遠くへ運んでいく。




