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 リチャードはラウンジを離れ、行き止まりの廊下で胸ポケットからチーフを抜き取る。絹の布を開くと、そこにはズレた2つの五角形と、五芒星の刺繍がしてあった。

 ヘンリー曰く、これは陰陽五行という東洋式の魔方陣らしい。内ポケットから紐を通した蒼石を取り出す。

 バーバラがくれた守り石だ。

 ヘンリーの東洋趣味と、バーバラのドルイドの術。2つを掛け合わせた東洋趣味(シノワズリー) のダウジングを試みる。

 嗅覚や聴覚は遮断し、気配だけを意識して力を注ぐ。ぐるぐると回る石は、2つの点をいったりきたりしていた。


「高さが不安定だが……これは、この(フロア)とその下か?」


 最下層にいるメアリーに戻って貰おうと、連絡しようとした時だった。

 がくんと強く船が揺れた。守り石を通じて指先が震えそうなほど、嫌な気配が伝わってくる。下のフロアだ。さっとカフスボタンに触れた。


「ベアトリクス。そちらで何かあったのか?」

『船尾の貨物室で、従僕(サーヴァント)と出くわしたわ』

「すぐ、助けに……、いや、ミス・ベネットの方が位置的に近い」

『こっちは大丈夫。思わぬ助っ人がいて倒したわ。でも、ごめんなさい。船に穴が空いてしまったの。もう防ぎようがないわ。このままだと船が沈む。もう一体は?』

「このフロア……いや、上に上がろうとしてるな」

『それならリチャードとお嬢さんが追って。私は沈没に備えて色々手を打ってからそちらに向かうわ』

「本当に大丈夫なのか?」

『ええ。時間がないの急いで』


 リチャードは一瞬迷った。だがベアトリクスが大丈夫というなら、任せて良いのだろう。


「わかった。それで従僕(サーヴァント)はどんな姿をしているんだね?」

『一見普通の人間に見えるけど、甘い阿片のような匂いがするの。調べて見たけど清から帰ってきた軍人だったみたい。清と縁のある人間が取り込まれたのかも知れないわ』


 人から骸骨紳士へと変貌した様子をベアトリクスは手短に話す。


「なるほど……東洋と西洋の混じる魔術か。ありがとう。ベアトリクス」


 通信を終えてリチャードは小さくため息をついた。漠然とした位置は解るが、詳細な位置を特定するには『匂い』で辿るのが一番だろう。

 強く杖を握りしめる。感覚を研ぎ澄ませた瞬間、吐き気を催すほどに不快な匂いがした。

 海の匂い、香水、酒と食事、燃える石炭、腐った樽の中身、汗と排泄物。それらが入り交じった匂いに鼻が曲がりそうだが耐えて、甘い阿片の匂いを探す。ほんの僅かな時間が永遠に感じる程の地獄。冷や汗が止まらない。

 その中で見つけた。即座に感覚を遮断し、汗を拭って、すぐにメアリーに連絡を入れた。


「ミス・ベネット。今どの辺りにいるのかね? 船頭方面の甲板まで上がってきて欲しいのだが」

『申し訳ありませんですの。ミスター色々ありまして、今最下層からそちらへ向かってますわ』

「わかった。慎重に観察するに留めて待つ」


 ベアトリクスに聞いた話から考えると、一人で闘うには危険だ。メアリーが来るのを待って様子見が良いだろう。

 二人に連絡を終えてから、ステッキを片手に歩き出した。片手はすぐに銃を抜けるように、ジャケットの前は開けてある。

 階段を上りきり甲板に出ると、外は闇に包まれていた。

 月に雲がかかった朧月夜で、星も見えない。船を照らし出すランプの灯りが怪しく揺らめいた。

 闇に溶けるように慎重に船頭へと歩いていき、舳先に立つ人影を見つけた。

 ちょうどその時、雲の切れ間から月光が輝き、月明かりに照らされて人影の顔が見える。思わず驚きで、杖を落としそうになった。


「ノースブルック……生きていたのか?」


 すぐに趣味の悪い舞踏会を思い出す。東洋との貿易が盛んで、シガールームに阿片が漂っていたのを思い出した。

 確かに清との繋がりは深い。それにリーが利用する理由が十分にある。

 気づかれぬように距離を縮めようとしていた時だった、後ろからとんと肩を叩かれる。

 ミス・ベネットが間に合ったのか? そう思いながら振り返り、驚いた。


「リッチ。こんな所でどうしたの?」

「リズ……君こそ、どうしてここに」


 月夜に照らされたエリザベスは、ラウンジで見た時より儚げで、物憂げに見えた。


「リッチを探してたら見つけたの。大変よ。船が沈むかも知れないって船員が言ってたわ。事故で船に穴が空いたらしいの。まだ客はほとんど気づいてないみたいだけど、今にここも大騒ぎになるはずよ」


 ノースブルックに気を取られて気づいていなかったが、甲板や見張り塔にいる乗組員達が慌ただしい。

 人が増える前に決着をつけないと危険だ。だが……これから行うことをエリザベスに見られるわけにはいかない。


「……すまない。リズ」

「え?」


 リチャードがラテン語の言葉を紡いで、そっとエリザベスの額を撫でる。素早く指先で印を刻んだ。初歩的な眠りの術だ。

 急に意識を失って倒れたエリザベスの体を支えた時、メアリーがやってきた。今にも叫びそうなほど大口を開けたので、しっと人差し指をたてる。


「静かに、ミス・ベネット。せっかく眠らせたのに起きてしまう」


 犬のような牙で、今にもリチャードをかみ殺しそうな勢いで睨みつけつつ、メアリーはエリザベスの身を引き取った。


「ミスター。こちらのことはお任せくださいですの。安全な所に移動させてから合流しますわ」

「そうしてくれると助かる。あそこにノースブルックがいる」

「ノースブルックが?」


 やっと睨むのを辞めて、舳先へ視線を移す。ぱちぱちと瞬きをして、じっと暗闇を見据えた。


屍人(ゾンビ)みたいに精気が無いですわね」

従僕(サーヴァント)の宿主は、既に死んでいるのだろう。これはエクソシストの仕事だ」


 杖をメアリーに預けて、二丁のリボルバーを取り出す。右手の銀と、左手の真鍮。どちらも銃口はノースブルックに合わせているが、船が揺れるせいで安定性が悪い。もう少し近づいて確実に一撃で仕留める。

 そのときだった。

 がくんと船が傾く。船尾の方が浸水しはじめたのかもしれない。

 急に雲が分厚くなり、月を完全に隠した。船上のランプがふいに消えた。

 新月の暗闇の中、ノースブルックの瞳が赤く輝く。

 気づかれた。空を飛ぶように跳ね、リチャードへと距離をつめる。間近で見て変貌に驚いた。顔の肉はこそげ落ち骸骨となって、右手はナイフに変形し、肩から黒いマントを生やしている。

 当てやすい胴を狙って引き金を引いた。魔を穿つ銀色の弾丸と、青白い光の弾丸。銀をナイフで払い、青い光は胴を掠めその身を焦がす。

 懐にまで飛び込まれ、ナイフを横凪に振るって、リチャードを襲う。咄嗟に右手の銃身で受け止め、左手を銀のナイフに持ち変える。喉笛目がけて切っ先を向けると半身を引いて避けられた。

 リチャードの目を狙って左手で貫手が叩き込まれ、躱しきれずに頬を切り裂く。銀のグラスコードが血に染まった。

 海風にマントが揺れると、その影から蝙蝠と蟲が湧いてでた。咄嗟に後ろに飛んで逃げて、体勢を整える。銃に持ち替え蝙蝠と蟲へ弾丸を叩き込む。強い。一人で勝てる相手ではない。

 視界の隅、暗闇の中に動くものを見て、懐からパイプを取り出す。

 咥えるとパイプから甘い香りの煙が漂った。煙と共に紡がれる言葉はケルト語だ。

 煙と呪術にもがき苦しみ、ノースブルックは顔を歪めつつ、リチャードに迫ろうとする。

 それを後ろから羽交い締めにして引き留めたのは、メアリーだ。口を大きくあけ、首筋に牙が突き刺さる。すぐに唇を離した。


「……とても口にできないほど、不味いですわ」


 噛みつくのを諦めて、骨を砕くつもりで強く抱きしめる。

 煙混じりの呪文と、力強い抱擁で、ノースブルックだった体は、徐々に力を失ってぐったりと力を失った。

 すかさずメアリーが左胸を刺し貫くと、炭の塊のように脆く崩れ去る。


 メアリーの手に残された石は、燃えるように赤く、大きかった。


「今まで見た心臓の石とは比べものになりませんわね」

「なるほど。それは解析が必要なようだ……さて、レディ。そろそろ逃げるとしよう。いよいよこの船もダメなようだ」


 幸い船頭付近に人は少ないが、甲板は既に人々の叫び声で満ちていた。救助ボートに乗って次々と逃げていく。

 カフスボタンに触れて語りかける。


「ベアトリクス。大丈夫か?」

『ええ。こちらに怪我は無いわ。でも……ごめんなさい。船底を傷つけてしまって、そのせいで船が……』

「既に救助は始まっている。問題ない。それより、今どこに?」

『頭を怪我した少年を一人保護して、上にあがっている最中よ。もうたぶん生存者はいないわ。私達が最後のようね』

「ボートを確保して待っている。急いでくれ」


 ベアトリクスとのやりとりをメアリーに説明すると、さっと顔色が変わった。


「頭を怪我した少年……」

「知り合いかね?」

「……かもしれませんわ。ロビンといいますの。無事なら、よかったですわ」


 リチャードは、はっと気づいて辺りを見渡す。エリザベスが倒れたままだ。自分で眠らせておいて、忘れているとは紳士失格だ。

 抱き上げて術を解くために額に触れようとして、エリザベスが目を開けるのを見て、リチャードは眉を跳ね上げた。


「リズ……大丈夫か」

「……ん。リッチ?」


 薄ら目を開けたエリザベスの顔色は悪くない。起き上がったエリザベスは、じっとメアリーを見た。


「あの子は……リッチの大切な人?」

「……大切な友人だ」

「そう……」


 何故かとても悲しそうな目をしていた。

 リチャードは素早くメアリーとエリサベスを見て、思案する。

 空を見上げて、二人に聞こえるように言葉を紡いだ。


「……」

「ミスター? なんですの?」


 メアリーの知らない言語だったので、リチャードへ問いかける。


「いや、何でも無い。独り言だ」


 その時リチャードがじっと見ていたのはエリザベスだった。彼女が咄嗟に空を見上げたのを、リチャードは見逃さなかった。

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