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レディBの時間

 二等客室のラウンジについたベアトリクスは、さっと人々の観察をした。

 一等ほどではないにしろ、落ち着いた雰囲気がある。着ている服装も、華やかな貴族的流行ファッションはないが、堅実な服の男性が多い気がした。

 独り身の女が少なく、浮いている気がする。乗馬服に着替えた方が良いかとも思ったが、もっと浮く気がした。


お嬢さん(フロイライン)、一人で何してるんだい?」


 ドイツなまりの英語が聞こえ振り返ると、50代くらいの男が立っていた。仕立ての良いスーツにハット、片手に紳士用ステッキを持つ姿は、紳士らしいのだが、姿勢があまりよくない。

 黒髪と黒目で日焼けした肌の精悍な顔をしているが、整ってないひげが、無精ひげのようで品がない。

 中産階級の成り上がりと推測する。


「ちょっと捜し物をしてますの。貴方は……なんてお呼びしたら良いかしら?」

「アレックス・ガーフィールド。しがない商人さ」


 おどけてお辞儀をしてみせる。まるでピエロのように滑稽な仕草だ。

 自分も名乗ろうとして、一瞬躊躇う。リチャードにも言ったことがない家名を、こんな見知らぬ男に、やすやすと言いたくない。

 ベアトリクスに声をかける男は、たいてい邪な下心を持っている。色仕掛けで聞き出すのも手口だが、あまり安っぽく見せると舐められる。


「ベアトリクスよ。ミスター・ガーフィールド。どんな商売をなさってるの?」

「アレックスと呼んでくれ。女王(クイーン)がお好きなもの。世界中で必要とされているものさ」

「あら、英国王室御用達? 世界って何処までいかれたの?」

「そんなお上品なものではないさ。色々行ったが、一番遠くて清かねぇ」


 清……そう言われてふと気づいた。男の後ろ、少し離れた所に若いメイドがいるのだが、珍しく東洋人だ。


「ああ、あれはうちのメイドだよ。清の出身だ。雪蘭(シュェラン)


 手をひらひらさせると、メイドは音もなく歩いて近づいてくる。その隙の無い仕草が気になった。


「旦那様、御用でしょうか?」

「いや、なに、男の俺だけだと、お嬢さん(フロイライン)に警戒されそうな気がしたから、近くにいろ」

「畏まりました」


 男の態度が意外に紳士的で驚く。だがさっと、腰に手を回されそうになって、すかさず手の甲をつねって見せた。


「私の許可無く、いきなり触るなんて、ずいぶん性急ね」

「ははは。気が強い女は良いね。気に入ったよ、ベアトリクス」


 馴れ馴れしい男と、内心苛立つも、それは隠してにっこり微笑んだ。


「ここは紳士が多くて、女性は少ないですわね。それに……なんだか若い方が少ないわ」

「ここにいるのは、だいたいそこそこの商人か、元軍人か、教師・医師・会計士。そんな所かね、一等ほど金持ちでもないけれど、三等ほど下品でもない。中途半端な奴ばかりさ」


 大きな商売をする金持ちなら、一等にいるかもしれないが、商人だからこそ、無駄なことに金をかけないシビアさもあるのかもしれない。

 女性はだいたい男の妻か娘という感じに見えた。独り身の女がぽつんといれば、どうしても目立ってしまう。

 悔しいことだが、この男と連れ立ってる間は目立たずにすみそうだ。


 アレックスの足取りがぎこちなく、杖に寄りかかっていることに気づいて、ベアトリクスは立ち止まった。


「もしかして……足が悪いのかしら?」

「片足が義足なんだ。昔の古傷ってやつでね」


 左右がアンバランスなせいで、姿勢が悪いのだろう。メイドがかいがいしく世話を焼くのも、主人をあまり歩かせないようにするためなのかもしれない。

 ベアトリクスの父も若い頃は戦争に行って、足を痛めた。戦争に行って一財産稼いで、それを元手に商売を成功させた。おかげでベアトリクスは豊かな生活をさせて貰えたのだが。

 美味しそうにワインを飲むアレックスの横顔に、ふと父の面影を探している自分に気づいて、慌てて俯いた。

 見た目は全く似てないし、こんな下品でもなかった。


 本来の目的を忘れてはいけないと、大きく首を振る。

 ベアトリクスはエクソシストの教育を受けた。エクソシストとは本来、人間に憑依した悪魔を祓う役職である。従僕(サーヴァント)も一種の悪魔憑きとも言える。

 しかし、あの大魔術は東洋と西洋の交わる、東洋趣味(シノワズリー)なのだ。西洋の知識だけでは解らないかもしれない。

 リーの立場を考えるなら……清と関わりのある者が狙われる可能性もある。


「ここにいる方で、他に清と関わる方はどれくらいいるかしら?」

「ここの男の半数以上は関わっているだろう。俺みたいに清と貿易する商人もいるが、清と戦争した軍人や、従軍した医師だっている」

「……アヘン戦争」

お嬢さん(フロイライン)くらいの年頃なら、昔の話って思うんだろうがな。俺らにとっては生々しい記憶だよ」

「もしかして……その足も?」

「ああ。戦争で持ってかれた。そのメイドも戦災孤児を拾ったんだよ」


 顔色を一切変えずに、淡々と使えるメイドが、自分達を殺した国の人間に仕えるというのは、どんな胸中なのかと思ってしまう。


「ベアトリクスは清に興味があるのかい?」

「ええ……妹の恋人が清の人で。私ももう少し東洋文化に興味を持ってみようかしらと。東洋的な方を見なかったかしら?」

「なるほど。東洋的ね……ん? あれは……」


 アレックスが一瞬笑顔を消して、目を細めた。瞬きする間に、また軽薄な笑みに変わったが、ベアトリクスは見逃さない。

 ただの商人ではないのではないか? そんな嫌な予感が湧いてきた。


「悪いが、ちょっと野暮用ができた。失礼するな」

「ええ。ごきげんよう」


 ラウンジから出て行こうとする、アレックスとメイドの姿をこっそりつけることにした。

 二等客室は小さい個室が多く、長い廊下に多くの扉が続いていた。こっそり後をつけるのが難しく、少し距離をとって気配を探る。

 アレックスとメイドが角を曲がって、一瞬姿が見えなくなった。慌てて距離をつめ曲がろうとして、ぎゅっと引き寄せられる。

 得意の組技(グラップリング)で拘束から抜け出して、逆に腕を背中側にねじり上げて見せる。


「ストップ。お嬢さん(フロイライン)俺だ。もう顔を忘れちまったのか?」

「あら? ミスター・ガーフィールド。急に淑女(レディ)に抱きつく貴方が……」


 そう言いかけて、唇に指を押しつけられた。静かにという仕草だ。

 ベアトリクスが曲がった角の方向に目配せされて、思わずそちらに意識がいく。

 異臭を感じた。甘い阿片のような。あるいは腐った屍人のような。


「……ベアトリクスは俺達を追う意識が強すぎて、つけられてることに気づいてなかったんじゃないか?」


 耳元で微かに囁かれた言葉にはっとする。

 追われていることに気づかぬふりをしていたとは。メイドのシュェランが音も無く奥からやってきて、すっと指さした。


「そっちが貨物室だな。広さと適度な障害物がある。隠れるのにはもってこいか。ついてきな」


 片手で杖をついて、ぎこちなく歩いていたのが嘘のように、ベアトリクスの手をとって滑らかに歩き始める。

 この男は何者だ? 強い違和感があるが、自分をつけていた異臭の主こそ、従僕(サーヴァント)だとベアトリクスの感は囁いた。

 三人が貨物室に辿り着いた所で、紳士服の怪しい男がゆっくりと廊下から歩いてくるのが見えた。

 虚ろな目はぼんやりとベアトリクスを見据え、右手からギシギシと軋む音が聞こえた。肩の辺りも不自然な黒影が戦慄く。怪しい男が貨物室に一歩足を踏み入れたその時、シュェランはランプを振り上げて、男へ突きつけた。

 ぼとり。男の頬の肉がごっそりとこそげ落ちて、骸骨の顔(スカルマスク)が薄暗い部屋に浮かび上がった。右手はナイフに変形し、肩の影は伸びて広がりまるで黒いマントの用に広がった。

 タキシードとマントを羽織った骸骨紳士に変貌し、右手のナイフを振り上げて襲いかかろうとしてきた。


雪蘭(シュェラン)

「お任せください。旦那様」


 シュェランはランプを足下に置くと、スカートをばさりとまくり上げ、緩やかなカーブを描く小刀を取り出した。柄に飾り紐がついた見慣れない形は、中国の武器なのかもしれない。

 刀を打ち合わせ、骸骨紳士のナイフを受け流す。化物を前にして、躊躇いもなく鮮やかな技を繰り出す様は、戦い慣れた戦士を思わせた。

 マントがひらりと翻ると、マントの中から蝙蝠が現れて、アレックスの方へ飛んでくる。ベアトリクスは咄嗟に庇おうとした。義足の足では満足に戦えない。庇わなければと思ったのだ。

 しかしその動きをアレックスは制した。


「俺は大丈夫だ。お嬢さん(フロイライン)は下がってろ」


 手に取った杖を掴んだかと思うと、すらりと抜き放った。中から刃物が現れる。仕込み杖だ。

 迷い無く蝙蝠を切り伏せて、切っ先を骸骨紳士の方に向ける。義足とは思えないほど俊敏に動く。


「強いのね……でも、私も守られているだけのお姫様じゃないわ」


 ベアトリクスはポケットから取り出した銀の手袋を取り出して身につける。手の甲に紋様が刻まれた手袋には銀糸が編まれている。対化物用の武器だ。

 スカートの裾を勢いよく引っ張ると外れて、下半身が乗馬用のズボンのようになった。いつでも戦闘モードになれるよう改造していた服だ。

 飛んできた蝙蝠に拳を叩きつけ、殴って撃墜する。


「……なるほど。お転婆なのは嫌いじゃない。だが気をつけろ、まだいるぞ」


 シュェランと骸骨紳士がつばぜり合いを続ける間に、マントの下からぼとりと蟲が現れた。骸骨紳士は左手で蟲を掴んでベアトリクスに投げつける。

 気味の悪い蟲を見て、ベアトリクスが思わず跳ねて避けると、背後で派手に音が鳴った。振り返ると蟲は壁に激突し、壁にヒビが入っていた。

 ヒビからミシミシと音が聞こえ始める。


「……あの壁って……まさか……」

「ああ、船底の一部だ。ヒビに水圧がかかって、広がってるんだろう。そう時間もかからず穴が空く」

「早く片をつけないと、この船、沈むわね」

「沈没までに時間がかかる。それまでにできる手はある。やるぞ、シュェラン」


 三人を相手どって、骸骨紳士はよく逃げ回り大立ち回りを繰り広げる。ベアトリクス達が苦戦するのは、船を傷つけない様に庇うからで、敵はお構いなしに攻撃を放ち、余波で貨物が崩れて大きく船を揺らした。

 このままでは埒が明かないと思ったベアトリクスは、避けることを諦め、敵に接近戦を仕掛けることにした。

 二人が何者なのか知らない。信用できるかも解らない。けれど腕が立ち、船の乗客を守る気はあるのだ。それだけでベアトリクスは信じることにした。


「アレックス。左胸に急所がある可能性が高いわ。私が動きを抑えるから、その隙に狙って」


 そう言いながら骸骨紳士の左腕を掴み、足払いを決める。倒れ込んだ所で、ベアトリクスは足と足を絡めて、関節技をキメて敵が起き上がれないようにした。

 敵が右手のナイフでベアトリクスを刺そうとするのを、シュェランが刀で弾いて防ぐ。その隙にアレックスが突撃して、刃物の切っ先で正確に左胸を突き刺した。

 アレックスが上から体重を乗せて、左胸を深く穿つと、燃えるように赤い石が胸の奥から零れ落ちた。骸骨紳士の身体は炭のようにぼろぼろに砕け散る。


 戦闘を終えて、荒い呼吸を繰り返しながら、ベアトリクスは立ち上がった。

 アレックスは厳しい表情で、シュェランに命じた。


雪蘭(シュェラン)。無線室に行って、近くの船に救助要請を出せ。俺は船長室に行って事情を説明する。この規模の船なら救命ボートを積んでるはずだ。それを用意させる」

「かしこまりました。旦那様」


 すでにヒビは広がり切って、海水が貨物室へと流れ込み始めていた。一刻の猶予もない。


「ベアトリクスは、他の乗客を見て回ってくれ。船が沈没するとなると、他の人間を押しのけて逃げだそうと客が揉める。そういう時に一番の犠牲になるのは大抵女子供だ。しかも下層階級のな。そいつらを見捨てるのは気にくわない」


 アレックスの冷静な判断は、至極まっとうなものばかりで、船が沈むかもしれない緊急時にとても頼もしく見えた。しかし同時に疑問も残る。

 化物相手に躊躇いもなく戦いぬいたこの主従が何者なのか?


「アレックス。……貴方は、何者?」


 その問いかけに、アレックスはニヒルな笑みを浮かべて答えた。


女王(クイーン)から教会(バチカン)まで、商品を売り歩く、しがない武器商人さ」

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