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深夜のロンドンをメアリーは駆けた。
細身の体に、乗馬服とブーツがよく似合っている。ドレスより可愛くないのがメアリーには不満だったが、非常に動きやすく、戦うには便利だった。
裏路地の角を曲がると、虚ろな目をした男が、ふらふらと歩いている。口から見える牙と、ありえない程膨れ上がった腕。間違いなく化け物だ。
「ウガァァ……」
メアリーの姿を見た途端、男はすぐに殴りかかった。その攻撃を紙一重で躱し、伸びた腕を掴んで地面に叩きつけ、間髪入れずに踏みつけた。肋骨が折れた感触がする。
「ゴフッ」
男が血反吐を吐いて、のたうち回る隙に、男の胸に腕を突き刺し、心臓の石を取り出す。男はピクリとも動かなくなった。
「ミスター。この地区の化け物は駆除しましたわ」
メアリーが首のチョーカーに触れると、リチャードの声が耳に響く。
「そこから西の方面に化け物が二体いる。僕は他の地区を排除するから、ミス・ベネットに西地区は任せた」
「かしこまりましたですの」
一方リチャードは、ロンドンの中心を走るテムズ川の南側、川に面した建物の屋根の上にいた。
川の湿気を含んだ夜風が、肌を切り裂くように冷たい。指先が震えぬよう、革手袋をして、ライフルを構える。
遠目に見えるビッグ・ベンの鐘が四回鳴った。鐘は十五分毎に鳴り、鳴り方で今何時なのか、ロンドンっ子ならすぐにわかる。
今の音は夜十時一五分だ。今夜は日付が変わる前に終わらせてしまいたい……だがきっと無理なのだろうと、リチャードは思った。
杖に触れて、神経を研ぎ澄ませる。ロンドンのほとんどの範囲で、化け物がどこにいるかわかった。
肉眼で捉えるには不可能な距離に、化け物がいても手に取るようだ。ライフルをしっかりホールドして狙いを定める。
建物の上を強い風が駆け抜けて、リチャードの銀のグラスコードを揺らした。
本来この距離では、弾丸の飛距離も足りないし、命中精度も低く、的に当てることも厳しい。
──だが、これは特別製だ。
神経を研ぎ澄ませて、呼吸を止め、冷静に引き金をひく。銃口から青い光の弾丸が軌跡を描き、目標の左胸を正確に貫いた。
「ブラーボ。この距離で左胸に的中とは素晴らしい」
「この銃の性能も大きいです。実弾ではないとはいえ、この距離で敵まで届くのですから」
「開発されたばかりの新型を、バチカンから拝借してきたのだよ」
拝借ではなく盗むだろうという言葉は飲み込んだ。
リチャードが杖を握りしめて、感覚を研ぎ澄ませると、眉間に皺がよった。
「まだずいぶんいますね」
「しばらくレディのレッスンで化け物狩りができなかったからね」
「そんなに多いのですか?」
「今までに二三八体を討伐した。今日レディが三体、リチャードが五体だね」
あまりの数の多さに、リチャードは眉を跳ね上げた。
「今……南の方に五体。ミス・ベネットが向かった方に二体。北東部に三体」
「ふむ……では、私が南を担当しよう。もう君たちの実力はじゅうぶん見られたからね。今日のレッスンは合格だ」
「ありがとうございます」
カッシーニが南側の建物へ飛び移る。その跳躍力は化け物じみていた。
カッシーニはあれほど身軽だっただろうか? とリチャードは違和感を感じたが、すぐに思考を切り替え、三階建の建物から飛び降りた。
コツン──軽く足音がたち、リチャードは眉を潜める。ベアトリクスなら足音を立てなかっただろう。もう少し修行が必要なようだ。
杖とライフルを抱え、石畳を蹴り、敵のいる方角へと走りだした。
橋を渡ってテムズ川の北へ着き、そこから川ぞいに東へ。ロンドン塔を通り過ぎる時、カラスの騒がしい声が聞こえた。
霧と煤煙が混じり合い、息苦しいイースト・エンドの、狭い路地に足を踏み入れる。清掃されてない路地に漂う汚物の匂いに、思わず強く杖を握りしめる。
だから貧民街に行きたくないんだ……と心の中でぼやいて。
動き回るのに不自由のないように、ライフルを背中側にかけ、両手にリボルバーを持つ。細く入り組んだ道が多く、ライフルには不向きだ。
慎重に足をすすめ、気配を探る。建物内に大人の男女が一体づつ、子供が一体、他に誰もいない。家族全員化け物になった。そう考えたら、リチャードは思わず顔を顰めた。
家の鍵を壊して、慎重に中に入る。まだ夕飯時のはずなのに、部屋は薄暗かった。
「……ダレ?」
幼い子供の声に振り向くと、まっすぐに伸びた腕で、ぴょんと跳ねる。僵尸だ。咄嗟に右手の銀のリボルバーを向けると、虚ろな目で、怯えたように声をあげた。
「タスケテ!」
左側の部屋が、バン! と鳴って、二体の獣が飛び出してきた。グロテスクに背中から脚が生えた蜘蛛女、男と思われる体格には狼の顔がついていた。
リチャードは迷いを振り切り、僵尸に銀の弾丸を叩き込みつつ、左手に真鍮のリボルバーを持ち、青い光の弾丸で蜘蛛を焼く。
狼男が素早い動きでリチャードに向かってきたので、躱しながらリボルバーを回転し次弾装填。狼男に向け、両手のリボルバーが火を吹いた。
呆気ない程に戦闘は短時間で終わり、部屋の中は静寂に満ちていた。倒れた三人の家族の死体を見下ろし、リチャードは悲しい目で、祈りの言葉と共に十字を切って炎を生み出す。
魔法の炎に焼かれ、塵一つ残さず、死体は消え去った。
リボルバーをしまって、杖を手にとって、床に突きつける。強く握りしめて、また眉を顰める。
「……まだいるのか。少しは死者を悼む時間が欲しいものだ」
すぐにメアリーに連絡をとって、次の獲物へと向かった。
その後も湧き続ける化け物を狩り続け、三人は夜明け前にカッシーニのアジトに戻った。
メアリーもリチャードも、街中を走り回り、能力を酷使し、疲れ切っていた。だがカッシーニは一人、生き生きと笑う。
「この短期間にずいぶん二人とも成長したね。特にリチャード。君の感覚の鋭さは素晴らしい」
実に嬉しそうに拍手をするカッシーニの姿には、一切疲れが見えない。リチャードもメアリーもカッシーニのタフネスさに、心の中で化け物と呟いた。
カッシーニがロンドンの地図を広げて、化け物の出没地点の書き込みをくわえて行くと、リチャードは思わず顔をしかめる。
「これは……悪魔召喚の魔法陣に似ていますね」
「東洋式も混じっているから、詳細な事はわからないが、魔物を生み出す陣になるだろう」
「これだけの大規模な陣と生贄であれば、召喚される悪魔はかなり危険なものになる」
「そうだ。できれば陣の完成を阻止したかったが、もう……ほぼ完成と言っていいだろう。陣の中心地はウェストミンスター宮殿の北にあるビッグ・ベン。ここに悪魔が出現する」
リチャードはびくりと身を震わせた。ウェストミンスター宮殿は、英国国会議事堂がある場所だ。さらに、女王が住むバッキンガム宮殿に近い。
「まさか……リーの狙いは議事堂の議員? もしくは女王の可能性も?」
「戦争の恨みを晴らしたいというなら、議員や王を狙うのも自然だ。推測の域をでないがね」
英国人として女王を守るのは当然であり、メルヴィンの意志でもある。
リチャードは悩ましげに顎に手を当て、メアリーをちらりと見た。
「ミス・ベネット。リーから蠱毒の蟲について聞いたことがあると言っていたが、もっと詳しく知らないか?」
「確か……蠱毒の虫は、壺の中にたくさんの虫を入れて、共食いさせて、生き残った蟲に霊力が宿るとか……」
虫が大量に入った壺。想像しただけで、リチャードはゾッとした。それと同時に共食いをさせるという部分に引っかかる。
「他にも何か知ってることは? なんでも良い」
「東洋の呪術についてはわかりませんわ。そういえば……ベイリーの書斎の本を読む許可をもらって読んでいましたわ。英国の勉強だと言ってましたが……」
「確か……ベイリーは西洋の吸血鬼の研究はし尽くしたと言っていたが、黒魔術の関連本もあったのだろうか?」
「イエス。私は中身を見てませんが。あったはずですわ」
「なるほど。レディの家に目をつけたのは、財力だけでなく、その知識を盗みたかったのかもしれないね。だとするとこの魔法陣が西洋と東洋を併せ持つ、東洋趣味なのも説明がつく」
カッシーニは魔法陣を指でなぞって、楽しげに笑った。東洋趣味の魔法陣という冗談を、リチャードは笑えなかった。
ベイリーが、メアリーを『西洋と東洋の力を併せ持つ、継ぎ接ぎだらけの人形』と呼んだ事を思い出したのだ。
メアリーも東洋趣味──東洋と西洋。両者を混ぜた犠牲者だ。
「もしもの事を考えて、戦力を揃えたい。ベアトリクスはもちろん。クリスも……協力を取り付けています」
「ほう……クリスか。彼の本気は是非見てみたい」
カッシーニが目を輝かせる姿にぞくりとする。自分が命を狙われているのを、知っているのか、知らないのか、それすらも読めない。
「問題は……エリオットとグスタフです。彼らも当然、悪魔召喚など許すはずもない。だが……揉め事になれば、かえって足手まといになる」
ちらりとメアリーを見ると、強く唇を噛み締めていた。
「野蛮人に負けませんわ……と言いたいところですけれど、仲違いしてる場合ではないのですわよね」
「グスタフはまだ利害の一致で、交渉の余地もあるかもしれないが、エリオットがミス・ベネットを見逃すかどうか……」
「リチャード。悩むべきところを間違えている。エリオットの実力であれば、これほど大きな魔術が行われる痕跡を見逃すはずがない。確実に現場にくる。レディはリーへの切り札であるのだから、守るべき手段を検討しておくべきだね」
カッシーニの言葉に、リチャードは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。




