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リチャードは酷く疲れていた。
一日の間に多くの事を知りすぎて、考えすぎて、一人になりたいと思った。だからカッシーニやメアリーのいるアジトには帰らず、久しぶりに自宅に戻る事にした。
しかし家に着いてから驚く。窓から灯が見えた。厳重に施錠しているはずだし、泥棒がこんな目立つほど灯をつけるとも思えない。杖を握りしめて、門の前で感覚を研ぎ澄ませる。
思わず笑みがこぼれた。
「おかえりなさいませ、ミスター」
そう言ってメアリーは玄関で出迎え、リチャードの帽子を受け取った。
「どうして僕がここに帰ると?」
「だいぶ帰りが遅かったですし、ベアトリクスがミスターの様子がおかしかったと言ってましたの」
ベアトリクスに頼んでいた、新しい服が出来上がったから、受け取りに行った。その時に聞いたとメアリーは説明する。
「そこから先は感ですわ。何となく、ミスターはお一人になりたい気分じゃないかと思って。……私はお邪魔でした?」
「とんでもない。気持ちはとても嬉しい。暖炉で部屋が温まって、ああ……スコッチまで用意されている」
「流石ミスター。お鼻がよろしい。もう冬ですから、体を温めないと風邪を引きますわよ」
言われて気が付いた。体の芯から冷えている。それが余計に疲れを感じさせるのだろう。
メアリーの気遣いに感謝して、暖炉の前で暖まりながら、スコッチを飲んだ。メアリーも隣に座ってミルクティーを飲む。
何も言わなくても、何となくわかった。
「ミス・ベネット。僕に何か話があるのかい?」
「ミスターもですわよね?」
「ここはレディーファーストで」
メアリーが嬉しそうに微笑んで、ミルクティーを一口。
「やっとレポートに合格をいただけたので、ご褒美にお聞きしましたわ。先生が英国にきた理由」
思いの外、大きな問題に驚いてリチャードは身を乗り出す。
「なぜだ?」
「先生はイタリアに戻ってからも、メルヴィンと連絡を取り合ってたそうですわ」
メルヴィンという単語にリチャードは思わず固まった。気持ちを落ち着けるようにパイプを手に持つ。メアリーの許可を得て口に咥えた。
「どうやらメルヴィンは自分の身に何かあった時の保険を、色々用意してたみたいですわね。英国内だけでは不安で、国外にいるイタリアの先生に託したそうですわ」
メアリーの小さな手に、一通の手紙。
宛名の文字を見ただけでわかった。メルヴィンだ。宛名はリチャードになっている。
封蝋は閉じられたまま、開けた様子はない。
「本当は私のレポートはまだまだ不合格だと言われたけれど、ミスターが成長しているから、二人合わせて、おまけで合格だそうですわ。今このタイミングで渡すべきだろうと」
リチャードは思わず眉間の皺を指で揉んだ。カッシーニはどこまで知っていて、今まで活動してきたのか。
どこまでも考えが読めないが、この手紙を今このタイミングで渡してくれたことには、感謝すべきだろう。
そっとペーパーナイフで封を開け、分厚い紙の束を取り出す。
そこにはメルヴィンが英国国教会以外の者に指示され、ベイリーやノースブルックを監視していたこと。
リーの暗躍や、その素性。英国と清の問題。
自分にもしもの事があったら、リチャードに仕事を託したい事、オックスフォードに手がかりがある事が記載されていた。
カッシーニに読まれる可能性も考えていたのか、ぼかして書いてある所も多かったが、今のリチャードには、メルヴィンが言いたいことがよくわかった。
私信のように添えられた言葉に、思わず手が震える。
『今日警察に上がった、ベイリー男爵事件での君の報告書を見た。私には見てることしかできなかった問題を、君が解決してくれてとても嬉しかった。ありがとう』
事件を隠蔽し、ただ見てるだけの状況を、メルヴィンも心苦しく思っていたのだろう。それでも我慢して任務を優先していた。
そして……彼は殺された。
「ミスター」
いつの間にかメアリーの手が、そっとリチャードの手に触れていて、心配そうに見上げている。
「メルヴィンという方は、ミスターにとって大切な方だったのですわね」
「……失ってから初めて、その重さに気づいた」
両親のことも、メルヴィンのことも。
せめて、今目の前にいる、メアリーだけは、失うまい。
「もうミスターが大切なものを失わないために、お手伝いしますわ。だって私の大切なお友達ですもの」
メアリーの優しい眼差しに、言葉に、リチャードははっと気が付いた。
淑女は守るもの。それが紳士の嗜みだが、メアリーは普通でない淑女なのだ。であれば、ただ守るより、共に戦う方がいい。
「それでは……今度は僕の話だ。今日色々なことがわかった」
リーのことも、メルヴィンのことも全て話をした。リーの妹の話をしたら、もっと動揺するかとリチャードは思っていたが、メアリーは穏やかに全ての話を受け入れた。
「なんとなく、そんな気はしてたのですわ。妹扱いされてるような。私を通して別の誰かを見ているような。でも……私は誰かの身代わりになるより、私自身を見て欲しかった。だからミスターの側が良いと思いましたの」
メアリーは暖炉の火をじっと見つめて、ポツポツと語る。
「ミスターは以前、人間か、人間じゃないかなど関係ない。言葉が通じ、礼儀を重んじ、相手を尊重できる。信頼できる相手を友人と呼ぶ。そうおっしゃいましたよね? 英国と清の不幸な戦争はなかった事にはできないし、大きな文化の差もある。それでも私は東洋に憧れていたし、リーと友人になりたかった」
メアリーはぎゅっと唇を噛み締めて、リチャードを見た。
「でも彼が多くの人を殺すのを、許すことはできないし、戦うしかないのですわ」
とても強い眼差しで断言するメアリーの姿を、リチャードは美しいと思った。
暖炉の前でスコッチを楽しんだ後、寝る前に母が住んでいた部屋に行った。
この部屋に入るのが何年ぶりか思い出せないが、目当ての物がどこにあるのか覚えている。
ジュエリーケースを開けると、そこにあったのは黒いベルベットのリボンに、赤いルビーがついたチョーカー。
ちょうどメアリーの首の関節部分を隠せそうなデザインだ。
「そういえば……女性に贈り物をするのは初めてか」
少し落ち着かない気分がしつつも、そのチョーカーに術を施した。
友人を守る、お守りなのだと言い聞かせて。
中国生まれの人形使い END
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しばらく更新を止めます。
再開予定は活動報告で告知いたします。




