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リチャードは自室に戻り、鞄を持って歩き出した。ゆっくりと慎重に廊下を歩く。
窓の外を観察すると、月光の光さえもない深淵の闇の中、壁にへばりつく屍人の気配があった。リチャードが鼻をすんと鳴らして、鋭く階下を睨みつけた。
「僵尸に、屍人に、人形に……さらにいるな。化け物屋敷の大掃除。つくづく面倒な仕事だ」
リチャードは鞄から瓶を取り出し、中から油を垂らしながら廊下を歩く。古い油の匂いが廊下に漂った。
「臭い油だが……死臭よりもはマシだな」
ポツリとこぼして、マッチの火をこすって床に落とした。床に落ちた火は油に燃え移り、リチャードの歩いてきた道が、次々と燃えていく。
「これで雑魚は焼けるだろう。僕まで丸焼けになる前に、終わりにするか」
瓶を叩きつけて割り、そのまま玄関へと駆け出した。
「このまま帰えられては困る」
男爵の低い声が玄関ホールに鳴り響く。リチャードを待ち構えていたかのように不敵に笑っていた。
「ここにいるのは予想済みだ。僵尸達は裏口方面に向かってるし、窓の外には壁に張り付く屍人がいる。玄関以外に逃げ道を塞いでお待ちかねとな」
「それがわかっててここに来たという事は、私にようがあるのかな?」
「大有りだ。何故こんな化け物屋敷を作ったのか。それを知るのも仕事のうちでね」
銀のリボルバーと真鍮のリボルバー。2つの銃口をを男爵に向けても、一向にひるむ様子がない。威嚇にもならない事はリチャードにもわかっていた。これはポーズなのだ。
「奥方は東欧の出身らしいが……ルーマニアかな?」
「想像通り、吸血鬼の末裔だった。期待はずれな程に中途半端な能力だったが」
リチャードが左右のリボルバーを引き金を引いて、男爵の間合いへ飛び込む。
男爵は体を半身にひねって、紙一重のところで、二つの弾道を避けてバックステップを踏む。
年を感じさせない身のこなしに舌を巻きつつ、リチャードは左足に重心を置いて溜め、その勢いに乗って跳躍し、右足で男爵に向かって回し蹴りを放つ。
胴に食い込む足の感触は、男爵の骨を折り、内臓を破壊してると感じた。それなのにまだ男爵は余裕の笑みで笑っていた。
男爵が片手をあげると、窓ガラスを割って、大型の蝙蝠が飛び混んできて、男爵の腕に乗った。その蝙蝠は、まるで腕に闇が絡みつくように男爵の体に溶け込む。
男爵の体が一回り大きく膨張した。危険を感じてリチャードは、男爵の胴を蹴りつつ後ろに跳ぶ。その胴の感触は先ほどとは比べ物にならない程硬かった。
「その蝙蝠がミセス・ベイリーか」
闇を纏った男爵は、生き生きと笑った。
「もはやコレに意思など存在しない。私の道具だ」
「娘も……お前の道具って事か?」
リチャードは不快げに言葉を吐き捨てた。眼鏡の奥の瞳が男爵を睨みつける。男爵は片眉を跳ね上げて、笑みを浮かべた。
「側にいる間に情が移ったかね? 警察の犬」
「同情するつもりはない。理由を知りたいだけだ」
「理由? 吸血鬼の妻の血を引くのだ。吸血鬼の力を受け継いでもおかしくない。それなのに……アレは、コレ以上に使えなかった。だからわざわざ手間をかけて改造したのだよ」
メアリーは一度死に、僵尸として蘇生され、そして体のパーツは特製のチャイナボーンに作り変えられた。
その実験の過程を男爵が生き生きと語れば語るほど、リチャードの苛立ちは募っていく。
「手間ね……この東洋趣味に溢れた悪趣味の結果か?」
「西洋の吸血鬼の研究はし尽くした。それでもまだ解らぬ事ばかり、故に東洋の知識も調べた。そして生まれた西洋と東洋の力を併せ持つ、継ぎ接ぎだらけの人形。それがアレだ」
娘を人体実験に使う事に、欠けらも罪悪感を感じていない男爵の姿を、リチャードは冷たい眼差しで射抜いた。
「おもちゃ遊びがしたいなら、人間でなく大人しく人形を使うことだな」
リチャードは苛立たしげに引き金を引く。確かに弾丸は男爵の眉間に的中しているのに、弾は弾かれかすり傷一つつかない。青白い光もまた、男爵の表情一つ変えることはできなかった。
「家族をコレとかアレとか物呼ばわりして、他人をさらって僵尸や屍人に作り変え、さらに人骨で作った陶磁器を屋敷中に並べ立て……吐き気がするほど畜生だ。それでいったいアンタは何をしたいんだ?」
「初めは不老不死に興味があったが……今は研究する事が楽しいのだよ。知的好奇心は人類を進化させる。化学と魔術を融合し、どこまで進化できるか楽しいと思わないか?」
「思わない」
きっぱり断言して、リチャードは一気に男爵へ詰め寄った。真鍮のリボルバーを投げ捨て、銀のリボルバーは男爵に向けたまま、片手をコートのポケットから取り出したものを手に、殴りかかる。
殴られても痛くもないという顔で笑う男爵の口に、ソレをねじ込んで後ろに飛んだ。
「爆ぜろ」
リチャードの言葉とともに、バン! と男爵の口から音が鳴り響き、口から煙が溢れ出す。
しかし男爵は全く答えた様子もなく、笑っていた。
「爆薬ごときで私が倒せるとでも?」
「コレも化学と魔術の融合さ」
そう言ってリチャードは、懐からパイプを取り出し火をつけた。