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The Obliged Gentlemanー妖精紳士と人形少女ー  作者: 斉凛
中国生まれの人形使い
39/55

「ワン・ユーハンだ。どうぞ、よろしく」

「リチャード・チェンバーだ。よろしく頼む」


 警察(ヤード)のヘンリーの私室で、ジュリアの恋人ワンという男と、初めて顔を合わせた。

 流暢な英語を喋り、握手も慣れている。東洋人にしては骨格がしっかりした筋肉質で、日焼けの為か肌が黒い逞しい印象の男だ。

 友好的な笑顔を浮かべて、和やかに話は始まった。


「姉さんの恋人って、良い男だね」


 ワンが笑ってベアトリクスに話しかけるので、リチャードは突き刺さす視線でベアトリクスを睨んだ。


「あら……両想いとは言ってないわよ。私の愛は、昔からリチャード一筋じゃない」


 笑いながら舌なめずりをして、じーっとリチャードの眼を見つめる。

 その熱視線にリチャードは鳥肌がたった。ヘンリーは眼を白黒させてあっけに取られている。


「ヘンリー気にするな。前に話をした、七人会(セブンス)のベアトリクスだ。関係はそれ以上でも、それ以下でもない」

「ああ……うん。リチャードは、昔から……その、女性に好かれるタイプだし……うん。大変そうだね」


 曖昧にモゴモゴと、色々察してしまったヘンリーは気まずそうに目をそらす。


「それで……探し人の話。リー・チュンミンって名前だけではわからないよ。英国人は知らないかもしれないけど、リーって名前は中国では一番多い名前なんだから」

「似顔絵も渡したが、見覚えはないかな?」


 リチャードが書いたリーの似顔絵を、ベアトリクスに預けておいた。改めてワンは見直すが、首を傾げる。


「俺は見たことないし、顔と名前だけじゃなく、もっと何かないの?」


 そう言われて、リチャードは考え込み、思い出した。ペンを紙の上に走らせて、サラサラと描いたのは、首にあった双頭龍の刺青。

 それを見た途端に、ワンは顔を真っ青にして、慌てた。


「首に、その刺青……。冗談じゃない。俺は帰る!」

「待って、ユーハン。どうしたの。知ってることがあったら教えて。今日だけで、これっきりで良いから」


 ベアトリクスが慌てて引き止めると、ワンは観念したように、重い口を開く。


「それは清の裏社会を牛耳っていると噂される、龍の一族(リー)家の模様だ。裏社会だけでなく、皇帝にまで陳述が可能だって噂だ。(リー)家を敵に回したら、清で生きていけない。いや……英国のチャイナタウンにも、配下がいるはずだ。俺が探すのは不可能だ」


 ブルブルと震えるワンの姿から、相当の大物だということが伝わってきた。


「その刺青を許されるのは、(リー)家直系の証。それなら(リー)陳敏(チュンミン)は……元当主の四男だろう。人形使いの陳敏(チュンミン)

「人形使い?」

(リー)家の宝とも言われた、(リー)家の末妹愛玲(アイリン)。若くして死んでしまったんだが。特に陳敏(チュンミン)は可愛がってたから、愛玲(アイリン)そっくりの等身大の人形を作って、持ち歩いてるなんて噂されてる」

「アイリン?」


 リチャードの眉が跳ねた。メアリーの本名はアイリーン。名前が似ている。その上妹の人形を持ち歩く。それを聞いて一つ閃いた。


「ミスター・ワン。中国語で女性を『メイ』と呼ぶ場合、何を意味する?」

「めい……ああ、(シスター)のことを、(メイ)もしくは妹妹(メイメイ)と呼ぶ」


 リチャードは軽く目をつぶった。リーは、メアリーを妹扱いしているのだ。しかもメアリーの体の元は、その妹代わりに作った人形の可能性が高い。

 だとするならリーがメアリーに執着する理由がわかってきた。


「他に……何か噂を知らないか? 何でも良いから」

(リー)家の中でも、特に陳敏(チュンミン)は反英派で、英国人を憎んでると聞いたことがある。わざわざ清から英国まで来てるとは……」

「どうして憎んでいる?」


 問い続けるリチャードの顔をワンが睨む。

 先ほどまでの友好的な表情とはうって変わって、まるで見下すかのような目つきだ。


「俺はジュリアが好きだし、英国人には、良い奴も、悪い奴もいると思ってる。だが……英国人を憎む中国人ならいくらでもいるよ。当然だろう。あんたは、その理由もわからないのか? そんな簡単に忘れ去るようなことか?」


 苛立たしげな声音に、リチャードも、ヘンリーも、ベアトリクスもびくりと身を震わせて沈黙する。


「アヘン戦争……」


 ヘンリーが零した言葉に、ワンは頷いた。二度に及ぶ清との戦争が終わって十年以上たつ。

 リチャードにとって子供の頃の話で、遠い中国で行われた争いのニュースは、時ともに風化し、実感に乏しい。


「申し訳ない、ミスター・ワン。無神経な話をして。あれは我が国の恥ずべき行為だと、僕は思っている」

「……そうだね。国と国の戦いだ。あんたに責任があるわけじゃない……」


 そう言いつつも、それ以上もう何も言いたくないという雰囲気で、ワンは帰っていった。



 ワンが帰った後、残された三人は、沈痛な面持ちで顔を付き合わせた。


「リチャード……。これは退魔師(エクソシスト)だけの問題じゃない。そんな清に影響力の高い人間を、英国人が殺したら、国際問題でまた戦争になるぞ」

「そうだな。ヘンリー。君から警察(ヤード)を通じて、上に報告をあげて指示を仰ぐことはできるか?」

「できるかもしれないが……国の上層部まで意見が届くのに、時間はかかるし、まだ不確定な情報ばかりだ。退魔師(エクソシスト)だ、化け物だなんて話、一般人は知らないし、そう簡単に信用されない」


 悩む二人の間に、ベアトリクスが一石を投じる。


「リチャード……。今ふと思いついたのだけど……」


 ベアトリクスの声が珍しく上ずっている。


「メルヴィンは誰かの指示を受けて、ベイリーやノースブルックの調査をしていた。わざと手出しせず、情報が教会に流れないようにしていた……。これってもしかして、メルヴィンの上にいるのは国?」

「そうか! 確定した証拠もないうちに、リー・チェンミンに危害を加えれば、国際問題になりかねない。だから手出しせずに観察を続けた」


 ふいにリチャードはメルヴィンと交わした、noble(高貴さは) obligation(義務を負う)の話を思い出す。

 目の前に飢えたものがいても、それを見捨てて、より多くの弱きものを助ける覚悟。

 メルヴィンが、ベイリーやノースブルックの所業を、ただ見逃していたというのは、腑に落ちないものを感じていたが、そう考えると、とても納得がいった。


「だとしたら……すでにこの問題は、メルヴィンから報告が上ってる可能性がある。しかし問題は……どこまで情報が伝わってるか。メルヴィンの死後、どうなったかわからない。そもそも国といっても誰が……」


 そこまで言ってから、リチャードの頭が高速回転を始める。

 たどり着いた思考に戦慄し、思わず言葉を失った。


「リチャード。どうしたの? 急に固まっちゃって」

「いや……何でもない。とにかく、メルヴィンの上の人間については僕が調べる。二人とも何かわかったら連絡してくれたまえ」


 そう言ってからリチャードは立ち上がった。

 外を見ると陽が落ちかけて、もうじき夕暮れ時だった。落ち着かない気持ちで外へ出ようと歩き出す。

 ヘンリーの部屋を出たところで、ベアトリクスが追いかけてきた。


「リチャード。どうして今日、あのお嬢さんを連れてこなかったの? リーと彼女は……深い接点があったのだもの。ユーハンに詳しい話を聞くなら会った方がよかったでしょう?」

「ミス・ベネットは今レッスンで忙しい……」


 そう言いながら、ベアトリクスを見ると、寂しげに視線を落としている。

 その表情を見て、不意にリチャードは思い出した。


「ノースブルックの舞踏会の日。僕がリーに捕まった後、ミス・ベネットとどんな話をしたんだ? どこまで聞いている?」

「……朴念仁のリチャードに話せない、女同士の秘密よ」


 ベアトリクスの棘を含んだ言葉が、リチャードには気にかかった。


「将来の約束もしない甲斐性のない男と、自分を守ってくれそうな男。どっちが良いか……迷うわよねって話はしたわね」


 リチャードはこめかみをヒクヒクさせて、肩を落とす。耳に痛い。


「過去にどんな恩があったか。それを気にするより、今一緒にいたい男を選んだら? とは言ったわよ。それであのお嬢さんは、リチャードを選んだの。もう……これ以上私の口から言わせないで」


 ベアトリクスは、人差し指でリチャードのこめかみをコツンと叩く。そっと指先で、眼鏡を上に押し上げた。


「私は貴方の眼をずっと見てきた。ずっとずっと……眼を見てると色んな事がわかるの。リチャード。貴方変わったわね。舞踏会の夜に別れて再会した時。貴方の眼に弱々しさが消えて、急に強くなった。今日はさらに強い。こんなに短期間に変わるのは……あの子のため?」

「ベアトリクス……君の目からみて、僕が変わったと感じるなら……ミス・ベネットの影響はあるだろう。彼女と約束した。長い友人でいると。だから英国国教会を敵に回す覚悟をした」


 そう言った後、ベアトリクスを見ていられなくなって視線を落とす。

 リチャードは迷っていた。もう英国国教会だけでなく、下手をしたら清まで敵に回す大事件だ。

 ベアトリクスはここで引いた方がいいのではないか。姉を想うジュリアの姿を思い浮かべると、無理はしない方はいい……それを言うべきかどうか、悩んでいいよどむ。

 ふと袖口が目について思い出した。カフスボタンに手をかける。


「君の妹さんから頼まれた。このカフスボタンはベアトリクスに返して欲しいと」


 カフスボタンを外そうとして、手で止められた。


「まだ……預かってて。あげるんじゃなくて、貸しておくわ。私はこれからも貴方の味方でいるし、さよなら、するつもりなんてないの」


 リチャードの迷いを見透かしたような言葉に、リチャードは笑った。


「ありがとう」

「どういたしまして。良い笑顔ね。舐めたいくらい」


 舌なめずりして見せたベアトリクスの表情を、リチャードは不思議と怖いと感じなかった。緊張をほぐすユーモアな気がしたのだ。

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