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「なぜ……よりにもよって、こんなところで待ち合わせなんですか……」
「The darkest place is under the candlestick. エリオット達もまさか、私たちが教会で相談をしているとは思わないだろう?」
ここはロンドンの外れにある小さな教会の告解室。格子越しに聞こえるカッシーニの声がどこか楽しげだった。
本来は一対一で話すべき場所だが、今リチャードのすぐ隣にメアリーがいる。二人で入るには窮屈で、あまりに近すぎて落ち着かなかった。メアリーはずっと俯いているので、その表情はわからないが、やはり気まずいようだ。
「それで……あのタイプライターは盗られてしまったわけだ。実に残念だ」
「申し訳ありませんですの。でも……わたくしはもっと強くなりたくて、色々教えていただきたいのです……」
スカートをぎゅっと握りしめる手が震えていた。
「タイプライターの件は気にすることはない。それよりももっと重要なのは、レディだ。指を……触らせてもらえないかな?」
メアリーはおずおずと手袋を外して、格子の隙間から指を差し込む。カッシーニはその指に触れ、撫で、じっくり観察をした。リチャードはなぜかイライラしたし、落ち着かなかった。
しばらく観察してやっとメアリーは解放された。
「メルヴィンの手記も見させてもらったよ」
「僕はその『ミス・ベイリーは完成された<Born China>』の部分が引っかかってるのです。骨ならBoneです。綴りミスなのか……」
カッシーニがクククと笑い声をあげた。
「綴りミスだよ。正しくはBorn in Chinaだ」
「……おかしいですよ。意味が通じない。ミス・ベイリーは英国人だ。中国生まれなはずがない」
「レディは英国生まれだろうが……レディの体、特別製のボーンチャイナが中国生まれだと私は推測する。中国で作られ、英国に持ち込まれ、レディに移植された。リーという男がレディに拘るのも、他のボーンチャイナと違う、特別製だからじゃないかね?」
あまりに驚いて、思わずメアリーとリチャードは目を合わせた。互いに、まさか……という感じで口を開けてしまう。
「ベアトリクスから受け取った、骸骨のボーンチャイナ、以前少し見たタイプライターのボーンチャイナ。この二つとレディのボーンチャイナは明らかに質が違う。ベイリーとノースブルックは、レディのような完成品を英国で産み出そうと、実験を繰り返していたのだろう」
「実験を繰り返す……なるほど。そう考えるとメルヴィンの手記の意味がわかりました。研究状況を調べて、もし成功したならその情報を手に入れたかった」
「それもあるだろうが……。彼が誰の命令で動いていたかが気になるね」
「誰の命令?」
「この手記は報告書形式だ。誰か上の人間がいたのだろう。今私たちを取り巻く勢力は三つ。ヴァチカン、英国国教会、どちらにも属さない個人行動」
そう告げてから、カッシーニは鷲鼻をかいた。
「私も君達もどちらの陣営に属さない個人行動。レディの存在を、どちらの異端審問官にも知られたくないのだろう?」
既にカトリック側のクリスに知られているのだが、クリスがカトリックの所属だという事は話さなかった。
「君達と行動を共にしているベアトリクスも一緒の個人行動だと考えてもいいだろう。エリオットとグスタフは英国国教会。あの落第生の退魔師はヴァチカン。彼一人で来ているとは考えにくいだろうから、仲間はいると思うがね。クリスの事は……ひとまず置いておこうか」
含みのある言い方が、クリスの正体を知ってるのか、知らないのか、リチャードは内心冷や汗をかいたが、表には出さなかった。
「英国国教会の異端審問官に殺されたなら、メルヴィンの上司が英国国教会というのはありえない。かといってヴァチカンに裏切ったとも考えにくい。つまり……さらに他の組織や仲間の存在がいる可能性がある。私としても敵は増やしたくないのでね。メルヴィンの上に誰がいたか……リチャード心当たりはないかい?」
「わかりません。先生にわからないのに、僕がわかるとも思えませんが」
「それは買いかぶりすぎだね。まあ……そこはお互い何かわかったら話をしよう」
ぎしりと音が聞こえて、カッシーニが立ち上がったのがわかった。メアリーが先に部屋をでる。リチャードも立ち上がったところで声が聞こえた。
「レディの事は預かろう。短期授業でしっかり強くなってもらう。……わかるだろう? この戦いは最終的にレディの争奪戦だ。レディにも自衛力が必要だ」
クリスは手出ししないと言ったが、もしもメアリーのボーンチャイナの良さを、ヴァチカンの上の人間が知ったなら……確保命令を下すかもしれない。
リーもメアリーに執着していたし、カッシーニも目をつけている。メルヴィンの上司に当たる人物は、確実に欲しがるだろう。
あまりに頭の痛い状況に、リチャードは深くため息をついた。
告解室を出た時にカッシーニと目があった。いつものように、何を考えているかわからない笑顔ではなく、真剣な表情で厳かに告げる。
「リチャードへの最初の課題をだそう。君の最大の武器はその異能だ。しかしその力は、私よりもより良い教師が他にいるはずだ。忌まわしい力だろうと向き合って、磨いて来ること。以上だ」
『より良い教師』について、話した事がないはずなのに、見抜かれていたことに、強く唇を噛み締める。
メアリーが手段を選ばず成長すると決めたのだ。自分も覚悟しなくては。そう決意してリチャードは歩き出した。
トン、トン。ト、トン。トン、ト、ト、トン。
いつものノックの後に、扉が開いた。
「お帰り、坊や。今日はお嬢さんはいないのかい?」
「はい……僕一人です。お祖母様にまたお願いがあってきました」
リチャードの顔をじっと見て、バーバラはため息をついて背を向ける。
「お入り。話をゆっくり聞こうじゃないか……。嫌な話になりそうだがね。妖精達が騒がしい」
差し出されたハーブティーを飲みながら、ポツポツとリチャードは今までの出来事を語った。
メアリーの正体も、メアリーと友人となると約束したことも。
「昔、お祖母様に口伝でドルイドの技を教わっていましたね。僕が退魔師になると決めてから教えてもらえなくなりましたが……」
リチャードが苦笑いを浮かべると、バーバラは穏やかに微笑んだ。
「時代遅れのドルイドよりも、退魔師の技の方がよっぽど役にたつだろうさ」
「オックスフォードにいた頃、ドルイドの研究書を色々と読みました。ドルイドの口伝を、聞き取り調査してまとめたものですが。その時気づいたのです。お祖母様が教えてくれた事は大幅に偏っていた。薬草の扱い方、精霊との付き合い方、占い、治癒術。どれも平和的なものばかりです」
「何が言いたいんだい?」
「お祖母様はわざと僕に、ドルイドの呪いの口伝を教えなかった。でも……僕はそれを教わりたいのです」
「ダメだよ、坊や。私は坊やに優しい子のままでいて欲しいんだよ。危険な呪いなんて……」
バーバラが苦い表情を浮かべ、首を横に振る。
リチャードはまっすぐにバーバラを見つめ、真剣な表情で強く訴えかけた。
「でも僕は、もう大切な友人を失いたくないのです。彼女を守るため、戦うために、どうしてもその技が必要なんです」
リチャードの言葉に、バーバラは大きく身を震わせた。
リチャードが親を亡くした時、どれほど悲しみ苦しんだかをバーバラは知っている。リチャードの決意をはねのける事ができなかった。
長い沈黙が続いた後、バーバラはやっと口を開く。
「坊やにも守りたい人ができたんだね……わかったよ。教えよう。ただし……危険なことは承知して、慎重に使うんだよ」




