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ウィンチェスターの街で、三人はティータイムをしていた。
メアリーはスコーンに、ショートブレッドに、お菓子をしっかり堪能し、ミルクティーを啜る。
ベアトリクスは、ノンシュガーのストレートティーだけを口にして、羨ましそうにメアリーを見た。
「いくら食べても太らない、肌も荒れない……というのは、羨ましいわね」
「なら……貴女も一度死んでみればいいのだわ」
「それはお断りするわ」
リチャードはいつものように、キューカンバーサンドイッチを食べ、ミルクティーを飲みつつ、二つのメルヴィンの手記を見比べていた。
「ベイリーと、ノースブルックの研究結果を探った記録……か? これを見る限り、メルヴィンは、ベイリーやノースブルックの仲間ではなく、調査していたという感じだな。教会に黙っていたのは、泳がせてさらに探ろうとしていたのか……」
ブツブツと呟きながら、パイプを咥える。
メルヴィンは教会以外の存在から、何か指示されてるように読み取れた。退魔師としてでなく、別の任務があったのかもしれない。
手記のある部分に引っ掛かりを覚え、その項目を指でなぞる。
「綴りが間違ってる。『ミス・ベイリーは完成された<Born China>』Bone Chinaの間違いだろう。しかし……完璧メルヴィンがこんな初歩的なミスをするだろうか?」
「メルヴィンは本当は完璧じゃないと、クリスが言ってたのでしょう? 間違えることだってあるんじゃない?」
ベアトリクスの言葉に同意したいところだったが、リチャードの何かが引っかかった。しかしそれが何かわからずに、思考を止める。
「ベアトリクスはノースブルックの屋敷で何か掴んだのだろう?」
「ええ……あの屋敷に残ってた、ボーンチャイナの骸骨の骨を……舐めてみたの」
舌なめずりをして笑みを浮かべるベアトリクスに、リチャードもメアリーも引いた。骸骨を舐めるなど狂気的すぎる。
「でも……お嬢さんの肌と、ちょっと違う気がしたのよね。それでエリオットに報告した後、調べようとしたら……会ったのよ。カッシーニ先生に」
「先生に?」
「ええ……。また生徒に戻らないかと誘われて断ったわ。でも入手した骨を見せてみたら、『興味深い調べておこう』と言って、オックスフォードに行くべきだと勧められたの。メルヴィンが何か調べていたなら、調査記録はあそこに隠すはずだと。実際調べてみたらあったし、さすが先生よね」
ベアトリクスは素直に感嘆していたが、リチャードは内心カッシーニを呪った。ベアトリクスの手紙を見せた時、すでに会っていたはずなのに、それを隠していたとは……。油断できない食えない爺さんだと、苦虫を潰す。
「そのリーという男の居場所も気になるわよね。東洋人がロンドンをウロウロしてたら目立つもの。チャイナタウンに隠れてるんじゃないかしら?」
「その可能性は高いな。しかし……チャイナタウンに、我々が調査に行けば、目立つだろう。あそこは東洋人の町だ」
「ジュリアの恋人が中国人なのよ。彼から聞いて見るわ。先生があの骨について、何かわかったことがあるかもしれないし、ドレスの材料はロンドンじゃないと手に入らない。私はロンドンに帰るわ。リチャードはどうするの?」
リチャードは悩んだ。ロンドンに近づけば、またエリオットと会うかもしれない。グスタフも戻っているなら、メアリーの正体が暴かれる可能性も高い。危険すぎる。
とはいえ、いつまでも逃げ回っているわけにもいかない。
その時、黙って菓子を食べていたメアリーがおずおずと手をあげる。
「ミスター……そのカッシーニという男。教師としては優秀なのですわよね? わたくし授業を受けてみようと思うのですが……」
「何故だ! ミス・ベネット。あの男は胡散臭すぎる」
「もちろん、何か下心があるのでしょう。でも……なりふり構っていられませんわ。悔しいけれど、今のわたくしではあの野蛮人に勝てない」
強く唇を噛みしめるメアリーの姿に、リチャードは頭を殴られた気分になった。
逃げ回るのではなく、敵に勝つために成長する。その手段を問わない。それは素晴らしい発想だ。
「クリスが言っていた。ミス・ベネットは『鋭い観察力と柔軟な吸収力は素晴らしい』と。彼は滅多に人を褒めない。カッシーニから学んだら……強くなれそうだ」
「わたくし才能あるのかしら! それは嬉しいですわね。次にあの野蛮人に会ったら、あっと言わせて見せますわ」
「僕も……ミス・ベネットに見習うべきかもしれない」
カッシーニはエリオットを指導したのだから、その実力も弱点も知ってるかもしれない。過去の遺恨に囚われず、素直にこうべを垂れるべきなのだ。
「ロンドンに戻ろう。カッシーニと連絡する手段はある。ピザが上手い店らしい。僕はイタリアの食べ物なんて食べたくもないが、食わず嫌いで逃げるのは辞めよう」
あの喰えないイタリア男を喰ってやる。そう覚悟を決めて。
ウィンチェスターから馬車でロンドンで帰ることもできたが、リチャード達は汽車を使うことにした。
ベアトリクスは別の座席に座り、メアリーとリチャードが向かい合わせで座る。
リチャードはぼんやり外の景色を眺めていた。その横顔を見て、おずおずとメアリーが話しかける。
「あの……ずっと気になってたのですが……カッシーニという男の事、質問してもよろしいですか? ミスター」
「もちろん。それは重要な事だ」
「その……あの男が、ミスターのご両親を殺したと……」
「……その事か。事実だ。仕方がない事だったし、それを恨むのは筋違いだ。だからといって、露骨にそれを話題にするのは、あの人の性格の悪さだが」
リチャードは眉間に皺を寄せて、視線は外を向いたまま、ポツポツと語る。
リチャードが退魔師の仕事を始めた後のことだ。
その頃すでにリチャードは独立して、実家を出ていて、久しぶりに家に帰ってすぐに気づいた。
両親も使用人も、全員既に人間の皮をかぶった化け物になっていると。
助けるすべはない。殺すしかないとわかっていても、自らの手で始末をつけるのに躊躇いがあった。無駄なあがきとわかっていても、殺さずにすむ方法はないのか……と迷っているうちにカッシーニがやってきた。
「あの居間で、僕の目の前で、僕の両親だったモノは死んだ。本来は僕がやらなければいけない仕事を、グズグズ迷っていたから、教師としての責任で殺した。そういう事だ」
あの家が狙われたのは、リチャードが退魔師になったから。自分の身元を教室内で明かすという事は、どこかに情報が漏れやすいという事でもある。
そこに油断があった、自分の責任だと、自責の念に囚われた。
涙を流すこともできずに、墓の前で何日もぼんやりと過ごしていたリチャードを、見かねてヘンリーが何度となく励ました。
「カッシーニ先生も、何もリチャードの前でする事はなかったんだ。いくら退魔師と言っても、人間だろう」
ヘンリーの気持ちは嬉しかったが、同時に退魔師ではないヘンリーに、自分の気持ちは理解できないのだという諦めが、リチャードの心に影を落とす。
そんな時やってきたのがメルヴィンだった。
「皆……君の心配をしていたが、大勢で押しかけるのもどうかと思ってね。僕が代表できた」
メルヴィンはリチャードの両親が死んだことについて、何も言わなかった。デリケートな部分だから、あえて触れないでいてくれた。そう感じた。
「リチャード。君は今日まで泣いたか?」
首を横にふった。泣くのは男らしくない気がしていたのだ。
「今日は思い切り泣いて良い。そして明日から笑うんだ。You have to laugh otherwise you'd cry. 空元気でも何でも、笑わないと、いつまでも泣き続けて未来へ進めない」
その言葉を聞いた時、かつてメルヴィンに言われた言葉を思い出した。
『リチャード、常に考えろ、一歩も二歩も先を読め。未来を見据えて、考え抜いた上で、決めるんだ』
そうだ……。自分は考えぬかずに、決められずに、他者に判断を委ねた。だから今こうして後悔してるのだと気づく。
同じ過ちは繰り返さない。考え抜いて、いつだって自分の事は自分で決める。
声が枯れるほど、号泣して……他者に判断を委ねないと、あの日リチャードは誓った。




