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The Obliged Gentlemanー妖精紳士と人形少女ー  作者: 斉凛
東洋趣味の英国人
3/55

 老メイドに案内され食堂に着いた時、リチャードは眉をしかめた。食堂に誰もいなかったからだ。


「旦那様はすぐいらっしゃると」

「ミス・ベネットは?」

「お仕事があるそうで、食事は部屋に運んで欲しいとお聞きしてます」


 リチャードはため息をこぼして、黒いインパネスコートを着たまま、椅子に座った。

 この食堂もまた東洋趣味(シノワズリー)で、しかも香まで薫きしめられている。その甘ったるい香りにリチャードはますます機嫌悪そうに、こめかみをひくひくと動かした。

 運ばれてきた食前酒は、鮮やかな緋色で、それもまたリチャードを苛立たせた。


「僕は赤ワインが嫌いなんだ。下げてくれ」


 そう言って、コートの中からスコッチの小瓶を取り出した。老メイドは無言でお辞儀をし、赤ワインを下げ、代わりに空のグラスを置いた。リチャードは空のグラスの縁を指でなぞってから、スコッチを注ぐ。

 ちょうどその時ベイリー男爵が入ってきた。皺だらけの張りのない肌は青白く、陰気な表情を浮かべたその体は、背筋だけはぴんと伸びていた。


「ようこそ、ミスター・チェンバー。ロンドンからこんな田舎までわざわざ来ていただいて申し訳ない。面白いものなど何もありませんがね」


 皮肉めいた物言いも、声に感情がこもっていない、まるで人形のようだった。男爵が席に着くと、老メイドが食事を持って来た。乾杯すらなく、食事は始まった。

 男爵はごく自然に食事を始めたが、リチャードはスコッチに口をつけるだけで、シルバーを手に取ろうともしない。


「なぜ僕がここに来たのか、何者なのか聞かないのかい?」

警察(ヤード)と関わりのある方だというのはわかっています。調べられて困る事はない」

「調べられても、口を封じれば、困る事はない……かな」


 リチャードの言葉に、初めて男爵は表情を変えた。不遜な程の微笑を浮かべ、リチャードを見下すように視線を向ける。


「何を馬鹿な事を……」

「馬鹿な事というなら、客が口にするものに、血や人肉を混ぜてくれるなよ。吐き気がする」


 そう言って料理の乗った皿を男爵に投げつけた。男爵は年老いた男とは思えぬ素早さで半身を捻り、それを避けた。


「香を薫きしめて、誤魔化したつもりかもしれないが、あいにく僕は鼻がいいんでね。死臭は鼻につく」


 そう言いつつ、並べられたナイフとフォークを両手の指に挟む。即座に放たれたソレは、男爵と老メイドに向け、正確に投げつけられた。男爵は余裕の微笑のまま投げつけられたナイフを腕ではらったが、老メイドは避けきれずにその肩にナイフが食い込み、かしゃんと音を立てて腕が落ちた。

 落ちた腕から砕けた白い粉末がこぼれ落ちる。


「メイドは陶器人形かい?」


 男爵は眉ひとつ動かさず、手元のベルを鳴らした。ちりんと響いた途端に、天井に穴があき、ぐしゃりと音を立てて人が落ちて来た。

 男に女に子供に老人。次々と落ちてくるが、誰も彼も背筋が固まったようにまっすぐの棒立ち。両腕をまっすぐに前に突き出し、ぴょんと跳ねながらリチャードの元へと近づいてくる。

 その目は闇のように真っ黒で、生者でない事は明らかだ。


屍人(ゾンビ)……とも少し違うな。これも東洋趣味(シノワズリー)か? 悪趣味な」

僵尸(キョンシー)と中国で呼ぶらしい。これは失敗作だがな。それでも噛みついた人間を僵尸(キョンシー)にする程度の事はできる」

「それはまるで吸血鬼(ヴァンパイア)みたいだ」


 男爵が食堂から出ていくのを見て、リチャードは後を追おうとした。しかし老メイドが片腕で体当たりをして行く手を阻もうとする。リチャードはそれを飛んで躱しつつ、机の上に華麗に着地を決め、懐から札束を取り出した。


「ヘンリー。君の感は当たり過ぎて、気味が悪いよ」


 そう言って札束の間から、紙を一枚引き抜き、両手で印を結んで投げつける。僵尸(キョンシー)の頭に紙が張り付くと、ピタリと止まった。それは中国語で書かれた呪符だった。


「ここまで予測が当たるとはね。道術は専門外なんだが。ヘンリーの東洋かぶれが役に立つ日が来るとはな」


 そう言いつつ、机の上をタップダンスを踊るように、華麗に飛び跳ね、次々と呪符を投げつける。僵尸(キョンシー)達の動きを止めながら、ついでに老メイドの頭を蹴りつけた。

 ぱりんと音がしてあっけなく頭が砕け散る。ずるりと髪の束が禿げ、白い陶磁器の頭が露出した。


人形(ドール)も案外脆いものだな。それとも……これも失敗作か?」


 リチャードが思考に浸る間を与えぬ程、事態は追い詰められていく。呪符で僵尸(キョンシー)の動きを止めても、次々と天井から落ちてくるのにリチャードはうんざりした。


「この呪符……手軽に使えるのは便利だが、効果時間もわからない。あまり期待するのも危険か」


 即座に机の上から飛び上がり、食堂から逃げ出した。廊下には既に男爵の姿はない。


「ひとまずミス・ベネットと合流か」


 そう呟いて駆け出した。

 メアリーの部屋に辿り着いた時、一応手でノックしたのは、英国紳士としての最低限のマナーだ。返事が帰ってこなかったが、力づくで扉を開ける。中には誰もいなかった。


「逃げたのか……」


 部屋の片隅に置かれた、二つの旅行鞄に目を留め、つかつか歩いて、無言で鞄を蹴り飛ばした。鞄が、ぐしゃりと潰れ、隙間から血が滲み出てくる。


「その鞄の中にいるのが本物の案内人か。ミス・ベネット」

「ミスター……いつから気づいていたのですか?」


 いつの間にか部屋の入り口に、メアリーが佇んでいた。


「初めて会った時からだよ。ミス・ベネット。香水の匂いに混じって死臭がした」


 リチャードはケープの隙間から、右手で銀色のリボルバーを取り出し、メアリーに銃口を向ける。放たれたのは魔を穿つ銀色の弾丸。それを踊り(ワルツ)のように軽やかに躱して、リチャードの真後ろに回り込む。

 即座にリチャードは左手にもう一つの真鍮のリボルバーを取り出して、接近したメアリーのこめかみに銃口を突きつけた。

 頭を捻って避けたメアリーの額を、青白い光が掠めた。しかしその光はメアリーに傷一つつけることができなかった。


「銀の魔弾と、霊銃。二段構えという事ですわね」

「どんな敵と、いつ遭遇しようとも、備えを怠らないのが紳士の嗜みさ」

「犬みたいに鼻がよろしいのね。さすが退魔師(エクソシスト)。まさか呪符まで持ち歩くなんて」

「たまたまさ。僕の正体を調べるなら、さらにその友人まで調べるべきだったね」


 メアリーは鋭い牙で、首に噛み付こうとしたが、リチャードはリボルバーの銃身を盾に受け止め、左足でメアリーの腹を蹴りつけた。

 硬く鈍い感触に、リチャードは舌を巻いて飛び退る。


「随分硬い体だな。まるで金属みたいだ」

「特製のボーンチャイナですわ」


 リチャードは横に飛んですれ違いざま、左右のリボルバーを続けざまに打ち込む。

 メアリーは銀の弾丸は避け、青白い光は真正面から受け止めた。光を浴びても、メアリーの体はやはり傷一つない。

 リチャードは霊銃は効かないと判断し、即座に左手のリボルバーを投げ捨てた。

 右手でリボルバーの引き金を弾きつつ、袖の中から左手で銀色のナイフを引き出して、一気にメアリーに詰め寄る。メアリーが体をひねって弾丸を避けた所に、すかさず畳み掛けるように、リチャードはナイフを握って振り上げた。

 ナイフをメアリーの首に突き刺そうとしたが、それはメアリーの手に弾かれた。革手袋が切れ、中から白い陶磁器の手が露出した。


「人骨を使用したボーンチャイナか?」

「それも気づいてらしたの?」

「あいにく僕は中国語もわかるのだよ。君が職人と話をしていた時、人骨と言っていたのは気づいていたさ」


 メアリーは美しい顔を歪めて毒づいた。


「知ってて知らぬ振り。偽物の紳士だわ」

「それぐらい用心深くないと、退魔師(エクソシスト)としてやっていけないのさ」


 顔と顔を間近に付き合わせ、リチャードは囁いた。


「ミス・ベネット……いや、ミス・ベイリーかな?」


 一瞬メアリーの体が硬直し、目を見開いた。


「君は死んだことになっている、ベイリー男爵の娘だろう?」


 メアリーは凶暴な目で睨みつけて、リチャードのナイフに噛みつき、噛み砕いた。メアリーは口から血を垂れ流しながら叫んだ。


「その名で呼ばないで!! 私はメアリー・ベネットよ!」


 その時、メアリーの瞳から涙がこぼれ落ちた。その人間じみた姿に思わずリチャードも立ち止まる。その隙をついてメアリーはその場から逃げ出した。

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