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夜明け前にロンドンを出て、農家の馬小屋に潜り込み、寒さを堪えてわずかに睡眠をとった。
メアリーも旅行鞄を抱え、リチャードの隣で横に座っていた。
碌な準備もせずに飛び出したから、このまま旅を続けるのは難しい。
「近場の都市の銀行に寄って、金を引き出して旅支度を買わないといけないな」
「どこにいけば良いでしょうか? ミスター」
「……ベアトリクスの行方が気になる。エリオットと会った後がわからない。未だに何も連絡がないのは、何かトラブルに巻き込まれているかもしれない」
ジュリアと約束をした。ベアトリクスにカフスボタンを返すと。
「あの女は、ミスターを探す時に、何か魔法のような事をしてましたが……ミスターはできませんの?」
「探知の術は、あらかじめ相手に品を渡しておいて、それを目印にする」
メアリーに説明しながら、改めてベアトリクスから預かったカフスボタンを見つめた。そして気が付いた。
わずかに色が違う。よくよく比べて見ると、重さも違う。
「もしかして……片方は偽物か? セットの片方だけ……偽物?」
それでわかった。ベアトリクスが、もう片方を持っているのだ。
片方のカフスボタンに紐を結びつけ、地図の上にかざす。ダウジングだ。
ゆらゆらとカフスボタンが揺れた後、一つのところでピタリと止まる。
「オックスフォード……。ロンドンの西にある、大きな学園都市だ。僕達の学び舎があった所」
「ミスターの学校が? そこにあの女がいるのかしら?」
「わからない……。だが行ってみる価値はある。行こう、ミス・ベネット」
「……」
メアリーが返事もせずに顔を背けたので、リチャードは困惑する。
「何が気に入らないのかね? ミス・ベネット」
「ミスター。わたくしはミスターの友達なのですわよね? ならどうしてメアリーと呼んでくださらないのですか?」
「ミス・ベネットこそ。僕をリチャードと呼ばないだろう」
「そ……それは……」
しどろもどろになるメアリーの様子がおかしくて、リチャードは笑いを咬み殺す。
メアリーにとって『ミスター』の意味が、特別な事はわかっている。だから変えたくない。それなのにリチャードには呼び方を変えて欲しいと思っている。それが滑稽だ。
「……あの女の事は……ベアトリクスと、名前を呼ぶのに……」
「ああ……それを気にしてたのか。仕方がない。なぜなら僕は、ベアトリクスの家名を知らない」
「え? ご学友……なのですわよね?」
「退魔師の学校だ。普通の学校と訳が違う。あの教室に入った時、出自も家名も捨てて、全員が個人名で呼ぶのが決まりだった。僕は自分の身分を隠す必要がなかったから、皆知っているが、僕は他のメンバーが、どこで生まれ、どんな経歴を持っているか知らない」
メアリーは学校に通ったことがなかったので、それがどれだけ非常識なことなのかわからなかった。
ただ……階級社会の英国において、身分の差が全くないという事は、極めて特殊だ。
乗合馬車に相乗りし、西へ西へと進んで、オックスフォードに向かった。
「どちらが……だろうか?」
「え?」
リチャードの声は小さくて、メアリーは聞き取れずに、思わず聞き返す。
周りに聞こえないようにそっと耳元で囁いた。
「異端審問官の一人はエリオットだった。だが……たぶんジミーは違う。ベアトリクスも違うだろう。ということは二つに一つ」
グスタフかクリス。どちらかが異端審問官だ。
二人は一緒にエジンバラに行ったはずだが、片方は犯人を知っていて茶番を演じていることになる。
メアリーの事を、もう一人の異端審問官に知られるわけには行かない。だが……逆に異端審問官でない方は、味方に引き込めるかもしれない。
メルヴィンを殺したのは、異端審問官のエリオットなのだから。
オックスフォードについて、すぐに銀行で金を引き出し必要な物を揃える。
オックスフォードの地図も買って、再度ダウジングを試みたが、くるくると回り続けて、位置が定まらない。
「やはり……ダメか。オックスフォードで人探しは、これだから困る」
「どういうことですの?」
「この都市は魔術に満ちている。教会はもちろん、博物館には聖遺物や魔術の触媒になる品もあるし、街の建物自体が古いから魔力を帯びている。多くの魔術が干渉しあって、こういう探索系の魔術と相性が悪いんだ」
「では……地道に人に聞いて回る……とかですか?」
そう言いつつも、メアリーは自信がなさそうにあたりを見渡す。
オックスフォードの街中は人が多い。大学都市であるため多数の学校があり、そこも当然だが人は多い。
何の当てもなく聞いて歩くのは、砂漠の砂の中で一粒の宝石を探すより難しいだろう。
「リチャード。こんなところで会うとは……これも何か意味があるのか?」
名前を呼ばれてリチャードが振り向くと、クリスとグスタフがいた。
とっさに不味いと思ったが、今更メアリーを隠す事もできない。
「お、そっちのお嬢ちゃんが噂の協力者か。可愛いじゃん、ベアトリクスと挟まれて、リチャードも隅に置けないな」
メアリーは恥ずかしげにリチャードの背中に隠れておし黙る。
下手に話をしないほうがいいので、普通の子供らしく振舞ってくれた方がいい。
「グスタフ……おかしな詮索は辞めてくれたまえ。彼女はそういうのでは……」
「リチャード。ベアトリクスと一緒に行動してたのではないか? 彼女はどこに?」
クリスがじっと探るような眼差しを向けてきたので、慎重に言葉を選ぶ。
なにせ片方は敵だ。
「ノースブルック子爵の舞踏会の調査の後、一度別れて、音信が途絶えた。おそらくオックスフォードにいると思うんだが……」
「この街で探し物は難しい……か。僕達と同じだな」
「クリスとグスタフもこの街で何かを探してるのか?」
「結局エディンバラで手がかりはつかめなくてさ。で、メルヴィンがなぜ殺されたのかを、探ることにしたわけ。最後にオックスフォードに立ち寄ったみたいだし、もしメルヴィンが何かを隠すなら、ここが一番だろ」
メルヴィンが、ベイリーやノースブルックの動向を知っていながら、隠蔽していた理由を知ることは、一連の事件の重要な手がかりを得ることになるかもしれない。
「互いに探し物があるなら、協力しないか? ひとまず話は……喫茶店で」
「ええ……俺はパブで腹の溜まるもの食いながら、ビールをぐいっとの方がいいなぁ」
「淑女がいるのだ。パブという訳にも行かないだろう」
「甘いお菓子が食べたいですの!」
「……僕はどこでも良い」
こうして奇妙な四人で喫茶店に向かうことになった。




