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 深夜の聖堂は静寂に満ちている。リチャードは十字架の前で跪き、両手を組んで熱心に祈っていた。

 迷える子羊の為に、いつでもこの扉は開かれている。何かに迷い、困った時、聖堂に訪れて神に祈りを捧げる。

 神に祈って願いを叶えてもらうのではない。神に問いかけ、対話し、相談をするのだ。

 神というのは鏡のようなものだと、リチャードは思った事がある。問いかけた言葉を跳ね返す。

 優しい言葉には、優しく。厳しい言葉には、厳しく。


 退魔師(エクソシスト)屍人(ゾンビ)は共に生きる事ができるでしょうか?

 退魔師(エクソシスト)を辞めたら、英国紳士でいられなくなるでしょうか?

 僕が求める英国紳士とは、いったいなんでしょうか?


 何度も問い続けて、リチャードの中で答えが出た。


「珍しいね。リチャード。こんな時間に熱心にお祈りなんて」


 声をかけられて、リチャードは立ち上がり振り向く。そこにはいつも通り穏やかな笑みを浮かべたエリオットがいた。

 真っ白な司祭服が似合う、潔癖のエリオット。


「神と対話していた。人と屍人(ゾンビ)は共存できるか」

「どうしてそんな事を? 人と化け物が共存できるわけがないじゃないか」


 不思議そうに首を傾げるエリオット。誰に対しても、等しく優しい。リチャードの事もいつも案じていた。

 潔癖すぎるのが、相入れないとは思っていた。でも決して嫌いな訳ではない。だから……これから彼を傷つける事に、わずかに躊躇いがある。


「僕も半分人間じゃない。化け物みたいなものだ」

「リチャードは人間だ。屍人(ゾンビ)とはこんな会話はできない」

「会話が通じる屍人(ゾンビ)がいる」

「礼儀だって通じない」

「礼儀正しい屍人(ゾンビ)がいる」

「罪を悔い改めることも、反省することもない」

「罪を悔い改め、反省する屍人(ゾンビ)がいる。僕が知っていて、エリオットが知らないだけだ」


 エリオットの笑顔が、ヒビが入ったように壊れていく。

 リチャードの言葉はエリオットの価値観を破壊する。受け入れられない。でも拒絶もできない。その揺らぎが表情に滲んだ。


「ダメだよ……それは。リチャード。それを認めてはいけない」

「何故だ? 神は生きるもの全て、人間だけでなく、動植物も全て、お認めになった。屍人(ゾンビ)をどうして認めてはいけない?」

「だって……もしも……もしもそこに、疑問を持ってしまったら……私達退魔師(エクソシスト)は戦えなくなる。屍人(ゾンビ)と出会う度に、分かり合える屍人(ゾンビ)か確認するのかい? 戦場では足を止めたら死ぬ、迷ったらより多くの人が死ぬ」

「エリオットは優しすぎる。人と化け物をはっきり分けておかないと、化け物さえも許してしまうんだな」

「そうだよ」

「エリオットに退魔師(エクソシスト)は向いてないんだ。大人しく司祭の仕事をしていればよかった」

「この世の不浄の全てを消し去りたいんだ! 皆が幸せに、笑顔に生きられる……平和を守りたい」


 エリオットの声が、どんどんヒビ割れていく。リチャードはその姿を悲しい目で見ていた。


「エリオット。君は嘘が嫌いだ。裏切りが嫌いだ。誰よりも潔癖だから。だから……裏切り者のメルヴィンを殺したんだな」


 その言葉がエリオットの心を叩き壊した。大きく肩を落として小刻みに震える。


「気づいてたんだね……。そうだよ。メルヴィンは教会を欺いて、嘘の報告をして。その為に……三年も化け物が野放しになっていたんだ。多くの人が死んで、多くの人が化け物にされて……悲しいし、本当に許せない」

「その気持ちはわかる。だから僕はメルヴィンに同情しない。だが……エリオット。君は後悔してるんじゃないか? 人を殺めたことを」

「違う。後悔してない。必要だったんだ」

「カッシーニ先生は、エリオットが一番、異端審問官に向いていると言っていたが……真逆だった。君はもっとも、人を裁くのに向いていない、お人好しだ」

「私は選ばれたんだ。職務を全うしなければいけない。……誰かがやらなきゃいけない仕事だった」


 エリオットは膝から崩れ落ちて、神に懺悔するように手を合わせていた。

 もっと外道で畜生ならば、これほど心が痛まずにすんだのに、エリオットは善意だけで行動し、善意と任務の狭間で壊れた。


「もう……良い。エリオット。僕が任務を変わる。君は異端審問官を辞めるべきだ」

「リチャード……」


 エリオットが微かに笑みを浮かべ、何かを言いかけた、その時だった。


「……エリオット……タスケテ……」


 リチャードとエリオットは、同時に聖堂の入り口を見た。

 髪も目も漆黒で、死神のような陰気さを纏った大男ジミー。元々暗い男だったが、いつも以上に陰気で禍々しかった。


「タスケテ……」


 一歩一歩、進むたびに、ビリビリと服が破れ、体が膨れ上がる。肌の表面が毛むくじゃらになり、顔が伸びて牙が生え、耳まで出てきた。


狼男(ワーウルフ)……」


 ジミーが変質していく様を見て、リチャードは思い出した。


「エリオット……。ユニバー社のショートブレッド。あれを食べたことがあるか?」

「いや……最近信徒によくもらっていたが、私はあまりショートブレッドは好きではないから。ジミーは甘いものが好きだし、お茶の時間によく食べていた……まさか……」

「あれに混ぜられたもののせいで、人が化け物になった。先生が狩っている、ロンドンに蔓延る闇だ」


 エリオットは息を飲んで真っ青になった。彼は気づかぬうちに、ジミーに毒を盛っていたようなものだった。


「リチャード。皆がいなくなっても……ジミーはよく私の所に遊びにきてくれたんだ。何度も一緒にお茶を飲んで……私を慕ってくれて……」

「知ってる。ジミーはエリオットのことを、天使みたいで好きだと言っていた。だからここは僕が……」

「いや……それはジミーが可哀想だ」


 エリオットが急に笑顔になったのを見て、リチャードは嫌な予感がした。

 ジミーに立ち向かったエリオットが、祈りの言葉と共に十字をきる。膨大な魔術の本流が体から湧き上がって、リチャードは思わず鳥肌がたった。

 宗教画に描かれる天使のように、荘厳な雰囲気を纏わせて、優しくエリオットは微笑み歩み寄る。


「ジミー……もう大丈夫だよ」


 主の祈りを口ずさむと、エリオットの体を包み込む光が、青へと変わる。その光を浴びてジミーの体が、ビクンビクンと痙攣しながら、動きを止めた。

 綺麗な笑顔を浮かべたまま……ジミーの太い手を軽々と操って、床へ叩き落とす。その勢いのまま、懐から取り出した、銀のナイフに青い光を纏わせて、ジミーに突き立てた。

 派手に血飛沫が舞って、白い服が赤く染まった。


「……エリオット……タ、スケテ……」

「ごめんね……苦しませて。今楽にしてあげるからね」


 ナイフで力を入れて大きく、深く傷を作り、そこに手を突っ込んだ。


「リチャード。先生は心臓の石を抜いていたんだよね?」


 リチャードは返事を返すこともできずに呆然としていた。余りにエリオットの手際が鮮やかすぎて、戦慄していたのだ。これほどエリオットは強かっただろうか?

 エリオットは返事がない事を気にしてない風に、ジミーの体から腕を引き抜く。その手には青い石が輝いていた。


「化け物の石なのに、とても綺麗だ」


 石を引き抜かれて絶命したジミーは、毛も牙もなくなって、ただの人間の骸になった。

 エリオットは笑顔のまま、リチャードをまっすぐ見つめた。


「異端は殺さなければいけない。化け物は殺さなければいけない……。リチャード。君が言っていた、会話が通じる屍人(ゾンビ)はどこにいるんだい? 殺しにいかないと」


 張り付いたような笑顔をみて、エリオットは完全に壊れたとリチャードは確信した。

 リチャードとの対話で、化け物を認めるかどうか、迷っていたはずなのに。

 ジミーを殺す事を選んだ時に、化け物を救済する道を捨てた。心を捨てたのだ。


 エリオットは本当の意味で天使になった。天使は人を助けるのではなく、神の使いである。神の命令であれば、人としての常識に囚われない。情に流されない。思考停止して、ただ任務を全うする。

 異端審問官として、退魔師(エクソシスト)として、生きる事を選んだ。リチャードと反対に。


 メアリーと退魔師(エクソシスト)でいる事。どちらを選ぶか、神に問い続け、リチャードはメアリーを選んだ。だから……もう二人は殺しあうしかない。

 エリオットの痛々しさに、決心が鈍りそうになって、立ち尽くした……その時だった。


「異端の退魔師(エクソシスト)リチャード・チェンバー!! どこだ!」


 唐突に飛び込んできたのは、ヴァチカンの退魔師(エクソシスト)ガルシア・マルケス。

 予想外の闖入者にリチャードの気が緩んだ。ガルシアは食い入るようにエリオットを見る。赤い血にまみれた司祭服と、その下に転がるジミーの死体。


「お前は人殺しか?(・・・・・)

「ちがう……違う、違う、違う。私が殺したのは化け物だ!」


 エリオットの意識が完全にガルシアの方に向いた。その隙にリチャードは入口へと駆ける。すれ違いざまにガルシアに囁いた。


「彼もシモーネ・カッシーニの弟子だ」


 その囁きによって、ガルシアにとって二人とも敵になった。目の前で明らかに人殺しに見えたエリオットの方が、問題に見えたのだろう。エリオットに向かって、ナイフを取り出した。


 リチャードはそのまま聖堂を出て、夜のロンドンへと飛び出す。

 その目の前に現れたのは、青白い肌に薄紅色の唇の少女・メアリーだ。手には大きな旅行鞄を持っている。


「ミスター。ご無事だったのですわ」

「ミス・ベネット……どうしてここに?」

「書き置きを見て、ここだろうと思って。でも……流石にわたくしが聖堂に近づくわけにもいかなかったので、あの男を唆しましたの」

「良い判断だ。ありがとう。助かった」


 あのまま……エリオットと戦うのは辛かった。問題を先送りにするだけでも、心を立て直す時間が欲しかった。


「ミス・ベネット。屋敷には帰らず、ロンドンを離れよう。しばらく身を隠したほうが良い」


 エリオットは絶対にメアリーを許さない。

 そしてリチャードはメアリーと友人になる約束をした。

 だからいずれエリオットと戦わなければいけない。教会の秩序に囚われた、哀れなエリオットと。


 秩序の囚われ人 END

 NEXT 二人の容疑者

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