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カッシーニの人格は信用していないが、能力は信用している。
今までの事件の概要を語り、ベアトリクスの暗号文を取り出して見せた。
「ふむ……簡単な暗号だね。ラテン語の応用だ。私が教えたことだよ」
リチャードも自分で確認してみる。カッシーニの言う通りのようだ。
内容はベイリーとノースブルックは、四年前にあの東洋人・リーに会って、新しい事業を提案されたこと。
二人とも魔術に興味を持っていた。
リーの言われるがままに、ベイリーは磁器を焼き、ノースブルックは菓子を焼いた。それをマクレガーがセットにして売った。
「まあ! あの男。嘘をつきましたのね……他に何も知らないだなんて……」
メアリーが怒って黒いタイプライターを持ち出してきた。リチャードが慌てて止める。
「これを使うのは、僕のいないところでと頼んだはずだ」
「ほぅ……面白い。これは人骨のボーンチャイナかな? 中に石がある」
カッシーニは一目で見抜いて、タイプライターを舐めるように見た。タイプライターを撫で始めたので、慌ててメアリーが取り上げて、唇を尖らせる。
「この事件を解決し、ミスターとわたくしの無事が保証されたら、お見せしても構いませんわよ」
「ははは。これはやられた。レディ。なかなかに策士だ。その魅力的な提案を飲もう」
笑っているがカッシーニの目は本気で、あのタイプライターを欲しがってるのがリチャードにはわかった。
だから多少信用することにした。メアリーも慌ててタイプライターをしまって、取られまいとしている。
「ヘンリーから今日聞きました。マクレガーの商会の系列店で、人骨のボーンチャイナのティーカップと、ノースブルックが経営するユニバー社の菓子が売られていたと」
「ユニバー社のお菓子!」
メアリーが突然大きな声をだした。
「どうしたんだね、ミス・ベネット?」
「えっと……ミスターのご学友のエリオットという方が、わたくしにお菓子をくださった事が二度ありましたわよね」
「ああ……そうだった」
「これですわ!」
メアリーが取り出したのは、ショートブレッドの菓子の缶。ユニバー社のロゴがある。
「癖になるような不思議な香りがしたけれど……まさか……」
缶の中にまだ一つだけ、ショートブレッドが残っていた。カッシーニが摘まみ上げて、じっと観察をする。
「リチャード。何か感じるかね?」
「今……強く五感を意識してるのですが、ぼんやりとしか」
「私も……かすかに魔術が宿っている気がする……程度だな。これを一度食べた事があるくらいでは、まだ平気かもしれない。しかし……もし、これに麻薬のような常習性があって、一度食べたら辞められないとなったら?」
「格安のティーカップに釣られて、セットでこの菓子を買い、一度食べたら、また食べたくなる」
「その繰り返しがこの石か」
地図に乗せられた石に目を落とす。
「エリオットがこのショートブレッドを持っていた。信徒にもらったと言っていた。ただの偶然だろうか? あの潔癖なエリオットが、人を害する魔術の片棒を担ぐはずが……」
「エリオットは気づいてない。気づいていたら、彼なら即座に販売者を裁きにかけるだろう」
カッシーニの断定にリチャードも頷いた。
カッシーニはニコッと笑って、空に黒板があるかのように、指で文字を書き諭す。
「さて。ここでリチャードの二つ目の質問に答えよう。なぜメルヴィンは殺されたのか? 答えは彼が異端だったからだ」
「異端?」
「異端の定義は? レディ。答えられるかな?」
「キリストの教えに従わない人?」
「ノー。正確には……キリストの教えに一度はしたがったものが、それを裏切り、教皇に破門されることだ。カトリックにおいてはね。英国国教会での定義は曖昧だが……まあ、裏切りものと考えればいいだろう」
そこまで聞いてリチャードは体が震えた。脳内が高速回転し、ある答えに到達したからだ。
「まさか……七人会の中に『異端審問官』がいたのですか?」
「私が英国国教会から、退魔師の教師になることを依頼された時、異端審問官の候補生だと聞いた。誰が選ばれたか知らないが、主席と次席。二人いるはずだ」
「つまり……メルヴィンは英国国教会を裏切った。だから七人会の中にいる異端審問官に殺された」
「イエス。メルヴィンはベイリーとノースブルックの計画を見逃していた。三年も事件が明るみに出なかったのは、彼が意図的に隠していたからだ」
隠していたという言葉に、リチャードは思わず眉根を寄せる。
悪事を隠蔽するという、恥ずべき行為は、メルヴィンに似合わない。そんな感傷を一瞬抱いて、それをすぐに掻き消した。思い込みで思考を鈍らせるべきではない。
「僕がベイリー男爵の事件を解決した事で明るみになった。……そして裏切りに気づいてメルヴィンは殺された」
カッシーニはよくできましたとばかりに拍手をした。
「そこで先ほどの話に戻る。私がなぜエリオットは気づいてないと断定したか。なぜなら……私は彼が異端審問官だと推測する。七人の中で、もっとも信仰に篤く、英国国教会への忠誠心が高いのはエリオットだ」
カッシーニの言葉に、長年エリオットに抱いていた違和感がやっとわかった。
彼が天使に見えたというあの感覚。
個性的すぎた七人会のメンバーの中では、異彩を放つほどに彼は清廉だ。
「では……次席はジミー? それならあそこまで懐くのも、納得がいく」
「それはどうかな? 答えを出すのが早すぎる。しかし……彼はレディと会ったことがあるんだろう? ジミーは気づかなくても、エリオットが気づく可能性はある。気をつけなさい。レディはこの一連の事件の一番の鍵だ。私がリチャードに手を貸そうと思ったのも、レディがいるからなのだよ」
「わたくしが?」
話を聞くばかりだったメアリーは、きょとんと目を瞬かせ、小首を傾げる。
「マクレガーが欲しがり、リーが隠したがった『完成品』それが君だ。リーにとってレディは重要な存在だと私は推測する。リチャードが舞踏会の日に殺されずに捕まったのは、レディにいうことをきかせたかったからじゃないのかね?」
メアリーは言葉に詰まって、俯いて震える。
リチャードは薄々感じていた。メアリーが何か隠しているということを。それを言うべきか迷っているのかもしれない。だが……カッシーニの前で言わないほうがいいだろう。
「先生。ひとまず僕はユニバー社の菓子の販売停止を、ヘンリーに提案します。エリオットがこの事件に関わっていないなら、悟られる前にスマートに処理したほうがいい」
「私もそう思う。まだ完全にこのロンドンから化け物が消えたかわからない。私はまた探して殺して回る。あのリーという男も、魔術を行うつもりなら、またロンドンに現れる。警戒しておこう」
話は終わったとばかりに、リチャードはおもむろに立ち上がって、玄関の方を指し示す。
「話はこれで終わりです。早々にお帰り願いたい。貴方とこれ以上この部屋でお話ししたくはありませんので」
カッシーニは眉を跳ね上げた後、やれやれと肩をすくめて立ち上がった。
「飯が不味くて有名なロンドンにも、まずまず美味しいピザを焼く店があってね」
胸ポケットの手帳に、ペンを走らせサラサラと店の名前と住所を書き付ける。
「もしも私に連絡を取りたくなったら、ここへ伝言を頼みなさい。レディの事を考えると、しばらくロンドンを離れたほうがいいかもしれないがね」
そう言ってからカッシーニは帰っていった。




