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面会室の鉄格子越しに見て、似ていない姉妹だとリチャードは思った。
赤毛と菫色の瞳は同じだが、つり目で見るからに育ちが悪い。狂気的とはいえ、まだ姉の方が淑女としての立ち振る舞いができていた。
「ミス、ジュリア・オニールだね」
「あんた……誰だよ」
「リチャード・チェンバー。ベアトリクス……君のお姉さんの友人だ」
「姉貴の……? 本当に?」
親指の爪を齧りながら、胡乱げな目でリチャードを見上げる。
「お姉さんから君の事を頼まれている。妹を助けてくれと」
「へー。じゃあ、この刑務所から、あたしを出してくれんの?」
「僕が身元引き受け人になれば可能だ。でも……もうしばらく外に出ない方がいい」
「なんでだよ」
「今、ベアトリクスは危険な事件に関わっている。君を巻き込みたくない。だから刑務所の中の方が安全だ」
「姉貴が危険って、どういうことだよ!」
ジュリアは興奮して、鉄格子を両手で掴んで揺すった。
「お姉さんは僕が助ける。約束する。だから……落ち着いて。警察に僕の友人がいる。上等な独房に、変えてもらうおう」
「あたしは牢屋だろうが、どこだっていいんだよ! それより姉貴は!」
「無事だ。ただ……今ここに来られないだけで」
「嘘臭い……。紳士ぶって、偉そうに……憐れみ? 施し? Shit!」
またジュリアは親指の爪を噛んだ。粗野な野生児で、手がつけられない。ため息をつきそうになって、飲み込む。
ヘンリーから聞いた話では、ジュリアは何度も屋敷に忍び込んで物を盗む、泥棒の常習犯だ。
ベアトリクスとは腹違いの妹らしい。ジュリアの母親は商売女だったようだ。
「あんたさ……姉貴に気があるの? 綺麗だし、色っぽいし、男はみーんな姉貴に夢中になるよね」
「ベアトリクスは友人だ。気があるとかそういう事は一切ない」
「どーだか。紳士を気取ったところで、下半身は変わんないっての」
話が通じない。普段下品な人間と付き合いがないから、どう話をしていいか困る。手を顎に添えて、本気で悩んだ。
すると突然ジュリアが顔をあげた。
「あんた! それ! そのカフスボタン」
「ああ……これは、ベアトリクスに借りてるものだ」
「姉貴が……貸したのか?」
「ああ……宝物だと言っていたな。冗談かと思ったが……」
「冗談じゃないよ。冗談で人にそれを貸すもんか。それを貸すって事は、姉貴は本気であんたの事……」
そこで言葉を区切って、食い入るようにリチャードを見る。
「その眼鏡外して、目を見せて」
赤い唇から舌がちろりと見える。その仕草がベアトリクスを思わせて、ぞくりと恐ろしくなった。
自分の目が好きではないし、見せたくない。だが……信用してもらわないと話が進まない。渋々眼鏡を外した。
「へー。不思議な目の色だね。青の周りに金色の縁」
目を凝視されるといたたまれない。思わず足元に視線を落とす。
「似てる……っていえば似てるかもしんないな。あんたのその目。そのカフスボタンの主に。だから姉貴はあんたを好きになったのか」
ジュリアが不思議と納得して笑う。不意にリチャードは『私はその眼に恋したの』というベアトリクスの言葉を思い出した。
「その……カフスボタンの主は誰なんだ?」
「へー……気になるんだ。妬きもち?」
「違う。これは借り物だ。主に返さなければいけないだろう」
「それは……姉貴に返してあげてくれ。だって……そのカフスボタンをつけてた親父は、もう死んじまったから」
父親と似た男を好きになる?
リチャードには笑えない冗談だった。リチャードも、いまだに母親に囚われている。
「姉貴にそのカフスボタン返すってんなら協力するよ」
「約束する」
「じゃあ……これ」
ジュリアが首から取り出したのは、黒曜石でできたロザリオだった。
「姉貴との連絡は、いつも預かり屋を通してる。それを見せれば姉貴から届いた手紙を読めるよ。何か届いてればね」
「ありがたく、借りておこう。ミス・オニール」
ジュリアはぶっと吹き出す。
「あたしみたいなあばずれに、最後まで敬語でさ……あんた変わってるね。面白い」
「女性に礼儀を尽くすのは、紳士の礼儀だ」
例えどれだけ下品な相手でも、自分の流儀を変える気はない。
ジュリアから借りたロザリオを見せて、預かり屋から手紙を受け取る。
預けられたのは、ノースブルックの夜会の直後。おそらくエリオットに会う前だろう。
エリオットを警戒していたベアトリクスの保険なのかもしれない。その後現れていないという話に、胸騒ぎを覚えた。
妹への心のこもったメッセージと一緒に、リチャードに届けて欲しいという手紙が一緒に入っていた。
手紙は暗号になっていて、直ぐに読めない。帰ってからじっくり確認しようと、家路へ急ぐ。
すっかり日も暮れて、霧のせいで視界が悪い。またジミーに隠れられないように、五感を鋭く研ぎ澄ませた。
「……お、おかえりなさいませ……ミスター」
メアリーは震えた声で出迎えて、帽子を受け取った。
「何かあったのかね? ミス・ベネット」
「ミスターに……お客様が……」
嫌な予感がして居間に急ぐ。ソファに座って悠然と構えていたのは、鷲鼻の初老の男。
「カッシーニ先生! どうしてここに!」
「ジミーに与えた宿題の答えを聞きにきたのだよ。生徒達の中で、一番真相に近いのは、リチャード。君だろう」
「大人しく答えるとでも?」
「私も君に重要な情報を持ってきたんだがね。……いいのかい? 簡単に追い返してしまって」
メアリーが困ったように首を傾げていた。メアリーもまた、カッシーニの情報が気になるからこそ、追い返すこともできずに、リチャードを待っていたのだろう。
「太ももを撃ち抜かれた、悪い生徒がいただろう。その後も君の周りを間抜けにうろちょろしてたようだから、昔馴染みに一報入れておいたよ。最近ここに来てなかっただろう? 今頃上司に叱られてるだろうね」
穏やかに微笑みつつ、酷いことを言う。食えない男だとリチャードは舌を巻いた。
「先生は……教皇から『異端宣告』を受けて破門されたのではないのですか?」
「イエス。しかし……だからといって、ヴァチカン内部に知り合いの一人や二人、いてもおかしくないだろう?」
「では……単刀直入に聞きます。ヴァチカンの退魔師が英国に来た理由は? なぜメルヴィンは殺されたのですか?」
「その二つの質問は、講義の後にしよう。その方が理解が早い」
カッシーニはもったいぶったように、懐からロンドンの地図をだす。
さらにポケットから、いくつかの石を取り出した。
「そ! それは……心臓の石」
「イエス。レディの目は鋭いね。しばらく化け物狩りを続けて面白いことがわかった。死体から心臓を取り出しても、直ぐに壊れる。生きてても寝込みを襲ってはだめだ。意識があって、強い感情が現れた時に、取り出す方がもっとも大きく輝きを放つ」
「恐怖で震えた人間から、心臓を引きずり出したのですか?」
「手遅れの化け物を殺すのは退魔師の仕事だろう? 感情的になるのは減点だ。リチャード」
取り出した石を地図の上に並べ始める。
「これが切り裂きジャック事件の被害者の住まい。こちらがその後、秘密裏に私が殺した化け物の住まい……」
並べられてリチャードにもはっきりわかった。
「魔法陣……になっている? だがまだピースが足りない。これだけではなんの陣かわからない」
「そう。あの東洋人はこのロンドンで盛大な魔術を行おうとしている。私はそれを調べに英国に舞い戻った。ロンドンの住人全員が生贄になるような、大魔術は阻止されなければいけない。ヴァチカンも私を追って英国にきて、事件の匂いを嗅ぎつけたのだろう」
笑みを消して神妙な顔で語るカッシーニの言葉に、リチャードもメアリーも息を飲む。
「さて……欠けたピースを埋めるために、リチャード。君の話を聞こうか。過去の遺恨に囚われている場合ではない」
「貴方が……それを、ココで言いますか?」
「手遅れの化け物を殺すのは退魔師の仕事だろう? 感情的になるのは減点だ。リチャード」
わざとのように同じ言葉を繰り返すカッシーニに、苛立ってリチャードが震える。
「ミスター……」
メアリーがリチャードの手に手を重ねて、心配そうに見つめる。
硬く冷たい人形の手。それが心を落ち着かせてくれた。
「ええ……そうですね。たとえ僕の父と母であったものでも、あれは手遅れの化け物だった。だから貴方はこの部屋で二人を殺した」
メアリーが驚いて口を開ける。声を出さずに、ぎゅっとリチャードの手を握る。
メアリーに無様な姿を見せたくないと、意地になったら、落ち着いて返事ができた。
「私を恨んでいるかい?」
「ノー。僕の心を乱して、試したいなら無駄です。それはもう僕の中で終わったことだから。まだ手遅れでない事件を解決することを優先すべきだ。僕達は退魔師なのだから」
カッシーニは嬉しそうに笑って、拍手をした。
「ブラーボ。合格だ。リチャード」




