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「サイズはぴったりね。お嬢さんにはピンクが似合うと思った、私の見立てに狂いはなかったわ。若い女の子が舞踏会で着るなら、ピンクでしょ」
「か……可愛い……」
ベアトリクスの賞賛に、メアリーは満更でもないという表情で、そわそわと鏡を見ていた。嬉しそうにくるくるっと回って、柔らかい動きを楽しむ。
リボンやフリルをふんだんにあしらったドレスは、確かにメアリーに似合っていた。
だが、あれだけベアトリクスを嫌っておきながら、ドレスを着るとご機嫌になるとは、女は現金なものだとリチャードはため息をつく。
「可愛らしいだけではないのよ。リチャード。彼女の腕をとってみて」
許可もなしに淑女に触れるのは礼儀に反する。メアリーが手を差し出してから、その腕に触れた。
「柔らかい……」
「腰以外の部分に綿を仕込んだわ。腰はコルセットで硬いのは当たり前だし、首や肩は念入りに化粧をして素肌っぽく。首の関節部分はリボンの飾りで隠したわ。これでうっかり体に触れられても、違和感はないでしょう?」
「これはありがたい。礼を言う」
「どういたしまして」
ドレスに浮かれるメアリーの耳にベアトリクスが囁く。
「舞踏会は踊るための衣装だから、軽くて動きやすいドレスなの。動きやすい方が都合が良いわよね」
「わ……わかってますわよ。遊びに行くわけではないですわ」
「舞踏会用のドレスだけでなく、普段着や戦闘用も用意しておくわ」
唇を尖らせていたメアリーの顔が、嬉しそうに緩んだ。
真紅のドレスに身を包んだベアトリクスは艶やかだが、これも戦闘服。
豊かに膨らませたスカートの中には、いくらでも武器を仕込めそうだ。
「リチャードにも用意してたのよ。身につけてくれると嬉しいわ」
ベアトリクスが差し出したのは、銀色のカフスボタン。派手すぎず上品な意匠は、リチャードの好みだ。
「ありがたく借りておこう」
「大事にしてね。私の宝物なの」
ペロリと舌なめずりをして微笑む、ベアトリクスの言葉が、どこまで本気かわからなかったが、頷いた。
カフスボタンを身につけ、シルクハットを被り、フロックコートを身にまとって、杖を片手に舞踏会へ向かう。
リチャードの側に立つメアリーは、先ほどからデザートにしか手をつけていない。
特製のドレスを着たとはいえ、ボロが出ないとは限らない。念のため、リチャードから離れないようにと、言い含めていた為、大人しくリチャードの背に隠れている。
「ミス・ベネット。食べてばかりなのは、品がない。ノースブルックも遠すぎて、様子も観察できないな」
「……う、うう。どうすれば良いですの?」
「踊りに紛れて、ノースブルックに近づく。できるだけ声が聞こえる距離で踊りを続けよう」
「聞き取れる距離って……ミスターの良いお耳なら離れてても、聞こえるんじゃありませんの?」
「ここは人が多すぎる。騒がしい雑音に紛れて聞き取りづらい。レディ。Shall We Dance ?」
気取った仕草で、右手を胸に当て、左手を差し出すリチャード。メアリーは俯き加減で、その手をとった。
リチャードはメアリーの背中に手を回した。メアリーの体がびくりと震える。
「ミス・ベネット。顔をあげたまえ。背を丸め俯いているのは、淑女らしくもないし、敵情視察にもならない
「そ……そうですわね」
耳まで赤くなったメアリーにそっと囁く。
「次の曲はワルツだ。左足から、ステップを踏んで……ノースブルックに近づく」
ちょうど新しい曲が始まった。リチャードのリードに合わせて、メアリーもステップを踏む。背筋を伸ばし、強張っていたが笑顔を浮かべ、踏み間違えそうになりながら。
メアリーが見上げると、リチャードの視線はノースブルックに向かっていた。
「やはり伝統を重んじるなら、紅茶はラプサンスーチョンに限る」
そんなノースブルックの言葉が聞こえてきて、思わずリチャードは鼻を鳴らして冷笑した。
「本物のラプサンスーチョンが手に入ったのは昔の話。今や紛い物の粗悪品しか出回らないのに、未だにそれに拘ってありがたがるのは、味覚が退化した化石らしい」
メアリーと踊りながら、ノースブルックの会話を聞き取り続ける。
「最近は東洋趣味の連中も多いが、英国人なら伝統を重んじるべきなのだ」
そう言いながら、なぜベイリーにリーを紹介したのか?
リチャードの意識が、完全にノースブルックにいってる為、メアリーが赤くなったり、慌てたりする姿に、まったく気づいてなかった。
「しかし……同時に貿易対象としては、中国は魅力がある。買いたい奴には、中国の磁器だろうと何だろうと、売ってやろうじゃないか」
リチャードはピクリと耳を震わせた。
「中国と貿易……磁器か……。そこにリーと関係があるのか?」
リチャードが思考の海に沈もうとした時に、ベアトリクスの姿が目に入る。
「お会いできて光栄ですわ。ノースブルック子爵」
「私もお美しい貴婦人にお会いできて、光栄だ」
ベアトリクスの美貌に目を奪われている、ノースブルック子爵はまだまだお盛なようだ。
これなら彼女に任せても平気だろう。そこでやっと気が付いた。メアリーが恨みがましく見上げていることに。
「ミスター。踊り疲れましたわ」
「疲れる? ミス・ベネットが?」
言外に滲む人間ではないのに……という匂いに、唇を突き出して、思いっきりリチャードの足を踏みつけた。
骨が折れそうな衝撃だったが、リチャードは悲鳴を堪えて、眉を顰める。
「気疲れですわ。淑女が疲れたと言ったのに、無理に踊らせるのは紳士ではありませんのよ」
「その通りだな。失礼」
メアリーがホッとしたようにリチャードから離れ、甘いものを食べに行った。
リチャードは考え事を纏めるために、パイプを吸いたくなった。だが広間で吸うのは礼儀違反。シガールームへ行こうと扉に近づいたが、顔を顰めて広間に後戻りした。
「どうしましたの? ミスター」
「ノースブルックだけでなく、集まる客までタチが悪い。シガールームから阿片の匂いがした」
メアリーが目を見開いて、びくりと身を震わせた。ポツリと呟く。
「……中国人」
「確かに……中国人に阿片の常用者は多いな。だが……シガールームから聞こえてきたのは、英国英語だった」
「……そう、ですか……」
メアリーの表情が暗く陰ったのが、リチャードは気になった。話しかけようとした時、ワルツの曲調がスローから円舞曲に変化したのに気づく。
「そろそろ舞踏会も後半戦。早めに決着をつけたほうが良さそうだ」
リチャードは手に持ったワイングラスを給仕に渡した。
「ミス・ベネット。そろそろ遊びは終わりだ。本来の仕事をしよう」
メアリーも真剣な表情になって、小さく頷いた。