前編
「おはようございます。ミスター」
朝目覚めた時、聞き馴染みのある声が聞こえ、リチャードは一気に眠気が飛んで跳ね起きた。
ベット脇にメアリーがニコニコと立っている。
「何故ここにいる! 家に招いた覚えもないし、鍵もかかって……」
「随分厳重な邸宅ですわよね。窓は鉄格子だらけ。お陰で骨が折れました」
屋根裏部屋の窓を、力づくで開けて忍び込んだと聞き、リチャードは絶句した。
「君は淑女じゃなかったのかね? 屋根の上に登って、力づくで窓をこじ開ける淑女がどこにいるんだい?」
「ミスターのお屋敷を見てみたかったのに、入れてくださらないんですもの」
「……女性を家に連れ込むなど、紳士ではない」
本音は屍人を家に入れたくないだったが、それを言ったらメアリーが癇癪を起こすのは目に見えていた。
「それにしても……紳士を自称する割には、掃除が行き届いていませんわね。身だしなみは整ってるのに、家は埃だらけ」
メアリーが指摘するように、屋敷の中の使われていない場所は埃まみれだ。
物が乱雑に置かれてるわけではなく、整理整頓はしっかりされているが、分厚い埃が溜まっているところが多い。
普段からよく使う部分だけ、かろうじて掃除をされている。
「仕方がないだろう。仕事で家を開けることも多いし、この家は広い。一人で手入れするにも限界があるんだ」
「家政婦を雇えばよろしいのでは?」
「退魔師なんて、化け物に恨まれる仕事をしてるから、物騒なんだ。雇った家政婦が死体になるのは、寝覚めが悪い」
メアリーは手袋をつけた指を顎において、小首を傾げて少し悩んだ。
「それでしたら……わたくしが家政婦になれば、この家に住み込めて、掃除もできてKilling two birds with one stone」
「ダメだ!」
「どうしてですか? わたくしなら化け物は怖くありませんの」
当然だ、化け物なのだから、という言葉をリチャードは飲み込んだ。
「上流階級の淑女が、家政婦なんて下働きをするものかね?」
「本当は嫌ですけど……住処がないよりずっと良いですから。廃屋や物置に隠れ潜むのはもううんざりですの。清潔なベットの上で眠りたいですわ」
屍人のメアリーには眠りも、食事も、本来は必要ない。それでも人間らしくいたいから、人間的な生活をしたがる。
年端も行かぬ小娘に振り回されるのは癪に触るが、リチャードは説得を諦めた。
「……わかった。好きにすれば良い。空いてる部屋ならどこでも自由に使ってくれたまえ。ただし……一つ条件がある」
「何でしょう?」
「私の部屋に許可なく入るな。入る前にノックをするのは、淑女の礼儀作法ではないのかね?」
「あら……そうですわね。失礼」
丁寧にお辞儀をして、メアリーは出ていく。
見た目は可憐な少女、中身は屍人。華奢に見えて、力はリチャード以上なのは確実。化け物扱いをすれば、怒って何をしでかすかもわからない。
リチャードは大きくため息をつき、この先の生活を考えて、憂鬱な気分になった。
お嬢様育ちのはずだが、メアリーは案外家政婦としても優秀だった。半日で主だった所が綺麗に掃除されてしまった。
リチャードも清潔な家で過ごす方がずっと気持ちは良い。だから多少の感謝の気持ちは湧いてきた。だが……しかし。
「まだまだ終わりませんが、初日ですし、この程度で休憩させていただきますわ。ミスター。アフタヌーンティーに行きましょう」
「断る。今日はまだ家でゆっくりしたい。紅茶の茶葉ならキッチンにあるし、昨日買ったパンがまだ食べられる」
「お菓子が食べたいですの」
「ああ……もう。そんな恨みがましく睨まないでくれたまえ」
メアリーが唇を突き出して、頬を膨らませて怒り出す。
リチャードは心底面倒だという顔のまま、厨房の棚から、一つの缶を取り出した。
「何かの試供品で配ってた飴だ。私は菓子は食べないから、残っていたが、多分まだ食べられる」
埃にまみれた缶だったが、缶のデザインの可愛らしさと、カラフルに着色された飴が気に入ったようで、メアリーの機嫌が治った。
飴玉を口の中で転がしつつ、メアリーは呟いた。
「そういえば……ミスター。聞きたいことがあるのですが」
「これ以上何を話せと?」
「大切な話ですの。ミスターの力について。今後の戦闘も考えると、互いの戦力を把握するのは、重要ではないでしょうか?」
メアリーの言葉にも一理あった。リチャードとしても、メアリーに聞きたい事は色々ある。
「超常的な五感というのは、どんなものですの?」
「通常の人間より、何倍も五感が鋭い。匙加減次第で多少は調整できるが、今も集中すればこの家の前を通る人間の気配、話してる声、身につけている香水はわかる」
「犬みたいに便利ですわね」
リチャードは、パンっと机を叩いて睨んだ。あまりの怒気にメアリーが震えた。
「犬と私を同列に扱うなど……最大の侮辱だ。口を慎みたまえ、ミス・ベネット」
「申し訳ございません。ミスター」
メアリーが深く反省している様子だったので、リチャードはそれ以上追求しなかった。
元々自分の異能が好きではない上に、リチャードには高い矜持がある。だからこの力について人に話すのが嫌だった。
「……あの……もう一つだけ……」
「まだ何かあるのかね?」
「見える、聞こえる……というのは、霊的な、魔術的なものも?」
「死霊を見たり、声を聞いたり、死臭もわかる。うんざりするほど不愉快だから、仕事の時以外はできるだけ遮断したい」
「なるほど……初めてお会いした時に、わたくしの死臭がわかったのも、その力ですわね。ミスター以外の方に、死臭がするなどと言われた事はありませんでしたので、不思議だったのですわ」
乙女らしくメアリーは自分の匂いが気になっていた。リチャードにしか死臭がわからないと知って、ほっと胸を撫で下ろす。
それからやっと気が付いたとばかりに、パッと顔をあげて、上目遣いでじっと見つめる。
「妖精に愛された男……。ミスターの異名の一つですわよね。もしかして妖精も見えるのですか?」
夢見る乙女のようにキラキラ輝く瞳で、じっとリチャードを見つめる。そこまで期待されると……その期待を裏切りたくなった。
ペンをインク壺に入れて、紙の上を走らせる。軽やかに描かれるのは……とても醜悪な男の顔をした小人だった。
「ブラウニー。屋敷に住み着く妖精だ」
「妖精がこんなに醜いなんて……がっかりですわ」
「今もここにいる。ほら……君の肩に……」
「ええ!!」
メアリーが飛び上がって、慌てて肩を手で振り払う。
「嘘だ。見慣れぬ人間の気配を恐れて、隠れてる」
「そ……そうですか。ミスターは本当にお人が悪いですわね」
本当はメアリーの化け物としての気配を恐れているのだが、余計な事は言わない。
本当はもっと美しい妖精もいるのだが、メアリーを喜ばせるような事は言わない。
振り回されてばかりだったから、少しだけ気分がすっとした。




