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青い唐草模様で彩られた、透けるように薄い白磁のティーカップ。今ロンドンで流行の、アールグレイの華やかな香りが、ティーカップから漂った。紅茶よりミルクを先に入れるのが、英国紳士の嗜みだ。
リチャード・チェンバーはカップを手にとって、間近でじっと眺めた。
「東洋趣味だなんて高級なもの、警察にあるとは思わなかった」
「それも今回の事件の証拠物件なんでね」
「証拠物件でお茶してもいいのかい?」
リチャードはメガネの奧の瞳を細め、薄い唇の端を釣り上げた。
その皮肉めいた言葉に、ヘンリーは眉根を寄せて、不満げに唇を尖らせる。
「いっそ毒でも塗ってあれば、逮捕して終わりって事になるんだが」
「このティーカップにどんな事件と謎が、潜んでいるんだ?」
「ベイリー男爵家の領地から、ソレが大量にロンドンに流れてきてる。本物の中国茶器ならありえない安さで」
リチャードは目を閉じて、カップに口をつけて、ゆっくりと紅茶の味を味わう。紅茶の味に満足しつつ、じっくりとカップを観察した。メガネのつるにかけられた、銀のグラスコードが微かに揺れる。
「カップの縁が薄い。この薄さで割れない耐久性は上質な証だ。しかし……ボーンチャイナにしては青白い。新しい磁器の開発でもされたのかい?」
中国磁器を真似て、英国で作られたボーンチャイナは、牛の骨を入れる事で白さを引き出した。乳白色の色が特徴であり、青白い白を出すことは不可能だ。
「そう。そこが問題だ。そんな技術が開発されたなら、ロンドン中に噂が飛び交うはずが、そんな気配すら漂わない。そして……そのベイリー男爵領では最近失踪人が増えているそうだ」
「キナ臭いな」
「ああ……。だから君に調査に行って欲しい」
「警察が僕に仕事を依頼するなんてね」
「今回は君が適任だ」
ヘンリーはリチャードの前に、すっと札束の入った鞄を差し出す。
リチャードはその束のいくつかを手にとって弄び、ちらりと様子を伺うようにヘンリーの顔を見た。
「根拠は?」
「私のカンだ」
リチャードは、束を放り投げて笑い声をあげた。ブラウンのツイードのスーツを着こなす紳士・リチャードには、似合わぬほどに派手な笑い。
「なんと率直で愚かしい。しかし残念な事に、君のカンは良く当たるからね。仕方がない。引き受けようこの仕事」
カップに残ったミルクティーを飲みきり、リチャードは立ち上がった。
「現地に詳しい者を追って向かわせる。幸運を祈るよ」
ヘンリーの言葉が、酷く空虚に響いた。
青空は雲で覆われ、細い雨がしとしとと降り注ぐ。濡れ鼠になりながら、蒸気を吐き出して機関車は走り続けた。
リチャードは向かいの席に座る、大男の警官をうっとおしそうに見上げた。
「目的地に着くまで寝かしてくれ」
そう言ったら、警官は別の席へと移動した。ボックス席の背もたれに寄りかかり、瞼を閉じる。眠る時に窮屈でも、ネクタイもスーツも着崩さない。綺麗な姿勢のまま眠る。それが英国紳士の嗜みだ。
どれくらい時間が立ったか。遠雷の音が響きはじめた。少しづつ近づく雷鳴と、瞬く稲光。
ドーン! ガラガラガッシャン! ひときわ大きな稲妻の音に思わず目を開けた。稲光が瞬く薄暗い景色で、向かいに一人の少女が座っていた。白黒の車内に、深紅のドレスと薄紅色の唇が一際目を引き、甘い香水の匂いが鼻孔をくすぐる。
「お目覚めですか? ミスター・チェンバー」
「君は?」
「警察から依頼を受けまして、ベイリー男爵領の案内役を務めさせていただきます、メアリー・ベネットです。よろしくお願いいたします」
「君みたいな子供がかい?」
「子供だからこそ、怪しまれずに潜入できます」
ニッコリと微笑むその顔は、人形めいた美しさだった。
「現地に詳しいと聞いているが、ベイリー男爵の話を聞こうか」
「はい。ベイリー男爵は三年前に娘を亡くし、妻も寝たきりだそうです。それ以来田舎屋敷に引きこもり、社交期にもロンドンに来ないと」
「ベイリー男爵領で失踪者が増えているそうだな」
「それは少し間違いですわ。ミスター」
そう言って、カバンからタイプライターで打たれた、報告書を差し出す。その小さな手は上等な革手袋に覆われていた。
「ずいぶん多いな」
「ベイリー男爵領の中でも数人いなくなっていますが、ベイリー男爵領外の周辺地域からも、失踪人は増えてます。孤児や貧民街の犯罪者など、身寄りのない者ばかりで。それで被害が増えても気づかれなかったようですね」
「老若男女問わず……といっても比率で言えば、圧倒的に子供から青年期の人間が多いか」
「ベイリー男爵家の使用人の家族が、手紙を送っても返事がこないと訴えがありまして。それがきっかけで警察が調べてみたらこの通り」
「なるほどね。君が優秀なのはよくわかったよ。ミス・ベネット。ところでずいぶん大荷物だね」
少女の足元には旅行鞄が二つ置かれていた。
「片方に着替えを。もう片方にタイプライターを入れております」
「タイプを」
「ええ。いつでもどこでも報告書が書けるように」
「なるほど。それは頼もしい」
リチャードは懐からパイプを取り出して、メアリーをちらりと見た。
「パイプを吸いたい」
「どうぞお構いなく」
「一人になりたいんだ」
「それは失礼いたしました。ミスター。もうじき目的地につきます。それまでどうぞごゆっくり」
揺れる車内で、完璧な御辞儀をしてメアリーは別の座席に移動した。リチャードはパイプを燻らせながら、窓の外をぼんやりと眺めた。