魔法少女「ち○こを貸してくれてありがとう」
魔法少女の朝は早い。
朝霧優菜はドギツイピンキーな魔法のステッキを両手で握りしめながら、真っ暗で足元のおぼつかない階段を、忍び歩きで下りる。
黒を下地とした英字Tシャツの、ラメがきらきらと、窓から入り込む月光に反射する。フリル付きのスカートが階段を下りるリズムに合わせてふわふわと揺れた。
二階には両親の寝室があるため、一階には彼女以外の人物は存在しない。物音を立てることなく玄関に辿り着いた朝霧は、ふう、安堵の息を吐いた。Tシャツの内側、胸元にしまい込んだアクセサリーに話しかける。
「今日はどこかわかる?」
そう問えば、肌に振動が伝わってくる。空気を通じて鼓膜を震わせる。胸元のアイテムが小動物のような声を出して、彼女の問いかけに応えたのだ。
「今日は○○公園ポコよ」
取り立てていつもと変わらないやり取り。気が緩んで胸元を見下ろしてしまうと、Tシャツ越しにアクセサリーが浮かび上がっており、その醜悪なデザインを思い出して、気が滅入った。これはいけないと、ぶんぶん頭から振り払うようにして、気を確かにする。
朝霧は靴を履いて、外に出た。
人がいないかきょろきょろと周囲を見渡し、耳をすませる。静かな住宅街では、些細な物音さえ響く。彼女はしばらくジッとして――――意を決する。
魔法のステッキの先端を地面につけると、彼女を中心として幾何学模様の魔法陣が展開される。淡く桃色に煌めく光は、万人がその美しさに感嘆のため息を漏らすことだろう。
光が覆うようにして全身を包み込む。心臓――――詳しく言えば、心臓を境界門とした一種の異世界――――から魔力が、彼女の肉体に流れ込む。それは血液が駆け巡るように、猛々しく、小さな体に満たされてゆく。
心臓から供給され続ける魔力は、やがて肉体のフィルターを抜け、じんわりと汗のように滲みだす。それに伴い、彼女の周囲に多数の光球が現れた。
肌が灼けるように熱い。
魔力を制御しきれていない証だ。人の身である彼女では到底、魔力を制御できる素養があるはずもない。しかしそれを叶えるため、胸元のアクセサリーが力を貸してくれた。
『――――世界を救えるのは君しかいないポコ!』
ふと日常の何気ない出来事をきっかけに、思うことがあるのだ。
あのとき、アイツの言葉を断っていたらなら、未来はどうなっていたのだろうと。ぞっと身の毛がよだつような、恐ろしくて、想像するのも憚れるようだった。
そうだ。あのとき――――断っていたならば!
彼女はあまりの精神的苦痛に顔を歪めながら――――変身の呪文を唱えた。
「…………チンポコポコポコチンポコリン(小声)」
轟風が吹き荒れ、光球が彼女のもとに収束してゆく。厳密には、彼女の胸元にあるアクセサリーに。魔力が流れ込み、制御され、やがて服の形を取り始めた。
彼女の容姿を端的に表すならば、『ある一点を除けば妖精のような出で立ち』
全体的に桃色でまとめられている。かかとの低いパンプスを履き、つま先から太ももまでニーハイソックスが伸びている。スカートはふわりとフリルが舞っており、時折、太ももに巻きつけられたホルダーが垣間見える。
ノースリーブドレスのようなデザインで、首元にぶら下げられたアクセサリーは……あとで述べる。元来の日本人の特徴である黒髪は一片も見受けられず、眩しくて目を細めてしまう輝きの金髪になっていた。大きいリボンが長い髪をまとめて、ポニーテールを作っている。
朝霧は眉をしかめた。
「早く行こう。夜が明けちゃう」
彼女は空を見上げて、決心に満ちた表情を作った。魔法少女の宿命、『正体がばれてはいけない』を気にしているふりして、胸元のソレを見ないようにしているのだ。
「行きましょう」
催促の言葉をかける。ステッキを空飛ぶ箒のようにまたぎ、飛行を待つ。
しかし胸元のアクセサリーは、それが不服だったようだ。
「嫌ポコ」
「…………一応聞いておくけど、理由は?」
「ボクのことを名前で呼んでほしいポコ!」
どうやらこの醜悪で意地の悪いアクセサリーは、朝霧に名前を呼んでほしいようだった。額に青筋がビキビキと浮かぶ。頬が引きつり、喉の奥から怒りが溢れそうになった。
「呼んでほしいなー。ポコ。呼んでくれたら、いつもより魔法が使えそうな気がするなー。ポコ。呼んでくれたならー。ポコ」
「その取ってつけたようなポコ口調を止めて」
「呼んでほしいポコ!」
「…………」
図々しい態度に怒りを通り越し、さらに呆れも通り越し、無表情だけが残った。
しかし厄介なことに、これしきのことでソレは態度を改めたりしないのだった。
朝霧はすっかり硬くなった眉根をほぐしながら、重々しい口を開く。
「……行こう。チンポコ」
「わかったポコ! チンポコイクポコ!」
胸元のソレは、紛うことなきチンポだった。
しかも臨戦態勢の。
◇
「いたポコ! あれが今回のターゲットだポコ!」
魔法のステッキにまたがって、早朝の街並みを見下ろすように滑空していた。チンポコが朝霧の平坦な胸元を足(?)場にして跳ねまわっている。目下には人っ子ひとりいない公園と、異常があった。視界の端にチンポコがピョコピョコと『こんにちは』していて、うっとうしい。
朝霧は飛行高度を徐々に落として、公園に降り立った。
「ネンシュウイッセンマン、サンケイ、テキレイキ、コンカツ、イキオクレ……」
妙なうわごとをブツブツと呟く化け物が、砂場でガシガシと穴を掘っている。何かを埋めているようだが、街灯が届いていないため、その姿を鮮明に捉えることはできない。朝霧はチンポコに確認を取った。
「今日の浄化対象はアレなの?」
「そうポコ。怪人名、破滅を招く高くて遠い理想だポコ」
チンポコは続ける。
「凄腕キャリアウーマンがための高すぎる理想のハードルのせいで適齢期を過ぎてしまい碌な相手が見つからなくなってしまった。そんな彼女の結婚に対する怨念が具現化したものポコ」
「浄化するにはどうすればいいの?」
「理想を叶えてあげればいいポコよ」チンポコは簡単そうに言った。「彼女のお眼鏡に適う男を見つけてあげればいいポコ」
それってかなり難しいんじゃ……と言いかけて、口を噤む。尋常ではないほどのプレッシャーが朝霧に向けられたからだ。全身を氷水に浸されてしまったような、異常なほどのドス黒い感情に警戒レベルを最大にせざるを得ない。
朝霧はステッキを真正面に構えた。押し潰されてしまいそうなプレッシャーを放つ存在がどこにいるか、理性と本能、ともに同様の結果を弾き出し、ほとんど反射の域で反応する。
砂場だ。
砂場から、地底人が地上の動物全てを呪うような呻きがする。
「ワカイッテイイナァ……ワカイッテイイナァ……」
街灯の届かない砂場から、幽鬼のようにふらふらした足取りで、ゆっくりと近づいてくる。朝霧は生唾を飲み込んだ。冷や汗が頬を伝い、地面に染み込む。これは……相当骨が折れそうだ。
暗から明。陰から陽へ。
姿が露わになる。
「イイナァ……イイナァ……イイナァ……イイナァ……」
グロテスクな姿。その容姿については――――。
「ホントに怪人って、アレみたいなヤツしかいないんだね。アレみたいな。アレ。……アレって何だっけ? ああもう! 名前が出てこない」
「ヒ○クメルゲだポコ」
「そうそれ!」
ちなみにチンポコは、言葉を発するたびに体をくねらせている。
非常に柔軟性のある海綿体だ。
「アア……ウラヤマシイ……ネタマシイ……ネタマシイ……ネタマシィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
突如、怪人が耳障りな金切り声をあげる。思わず朝霧は耳を塞いでしまい、真正面に構えていたステッキ分のスペースがガラ空きになる。朝霧は己の失態に内心で舌打ちをする。一瞬の隙を突かれ、怪人から伸びた触手が彼女の胴体めがけて振るわれた。
「グッ……」
鞭のようにしなった一撃は、腹部に命中、体重の軽い朝霧はそのまま後方に吹っ飛ばされる。生身の人間ならば折れた肋骨が肺に刺さり呼吸困難に陥るだろうが、そこは魔法少女。薄く全身に張り巡らされた魔力の膜がダメージを肩代わりしてくれる。冷静に働く頭脳で咄嗟に機転を利かせ、ステッキを地面に差した。
ズザザザザ、と地面に一線が引かれる。
深々と突き刺さったステッキを引っこ抜き、砂を払い落とした。
「チンポコ、魔力で耳栓をお願い」
「チンポコがんばるポコ」
魔力を形質変化させ即席の耳栓を作る。無尽蔵と言っても差し支えないほどの魔力を保持している朝霧だからこそできる芸当、力技だった。
これで不意打ちは撃たれない。
朝霧はステッキを油断なく構え、怪人の観察ひいては浄化のための糸口を探る。
「チンポコ。もう一度確認するけど、理想の男性を見つければいいんだよね?」
「チンポコ嘘つかないポコ」
「それ以外に方法はない?」
「ないポコ。怨念を浄化するには、根底にある願望を叶えてあげるしかないポコ」
チンポコは至って簡単そうに物を言う。
しかし朝霧は解決の目を見いだせないことに焦りを感じていた。
相手は、高すぎる理想がゆえに苦悩し怨念が具現化した存在だ。負の感情が高められ、濃縮され、高められ、濃縮され。
怨念の元となった女性は、互いに高め合える男性との関係を築きたかっただけだ。
しかし婚活を重ねれば重ねるほど、理想に対するハードルは高くなる。あの人はまずまずだったけど、何か物足りなかった。あの人はほとんどパーフェクトだったけど、残りの数パーセントがどうにも受け付けない。あの人は……あの人は……あの人は……あの人は。
気づけば理想は遥か高くに。
気づけば理想は――――自分の手で届かなくなっていた。
妥協は許さない、許されない。それは今まで手を抜かず全力で生きてきたキャリアウーマンとしての自分を否定してしまうことになる。それだけは手放せなかった。手放したくなかった。
浅ましいプライドだ。捨ててしまえば楽になる。
だけど、捨てられないんだから仕方ないでしょう?
彼女が怨念に至った経緯を、朝霧は想像するしかない。目を閉じて、想像の産物でしかないものを咀嚼して、それでおしまい。それしかできない。
しかし怨念と対峙する心持ちとしては、これが性に合っていると思った。
怨念を倒すのではなく、浄化するのだと心の奥底で理解できるからだ。
「……やること自体はひどいんだけどね」
誰に対しての言い訳なのか、朝霧自身、わからなかった。
しかしこれに反応するのが空気の読めないチンポコだ。
「朝霧ちゃんのチンポコ使いは毎回ひどすぎるポコよねー」
「ソウダネ」
センチメンタルな気分を害された朝霧は、今日も使い潰してやろうとステッキを握る両手に力を込め、怨念に鋭い視線を向ける。
怨念が叫んだ。
「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
怪人から伸びる触手は、五本。各々が不規則な軌道を描きながら、魔法少女のもとに殺到する。ステッキ一本ではとても対応しきれない数とスピード。しかし朝霧は動揺しない。自身の周囲に五つの光球を展開、それぞれ触手を<ターゲット>する。
「ショット!」
「魔法少女に触手は鉄板ポコよね」
「うるさいチンポコ!」
「チンポコって呼んでくれて嬉しいポコ」
「ああもう!」
気勢をそがれるような発言ばかり、さらにクネクネしてるのでウザさは倍増。しかしこんなのでも魔力の制御をしてくれているので頼らざるを得ない。
光球は一条の閃光を駆けながら、狙い違わず触手に命中する。特別派手な爆発があるわけでもなく、太陽に晒された吸血鬼のようにボロボロと触手が崩れる。朝霧はその隙に怨念との距離を詰めた。
距離としては十数メートル。魔法少女の脚力で言えば一、二歩で届く先に怨念がいる。ならば狙わぬ道理はなく、朝霧は右足にグッと力を込める。
魔力による右足のバネを強化。
怨念が動く様子はない。触手をこちらに向かわせる余裕もないだろう。朝霧は一息に距離を詰め――――足を何かに絡めとられる。
「ッ!?」
慣性で内臓が引っ張られる感覚。それを感じ取ったときに朝霧は、自身の足に絡みついたモノを視界におさめることができた。
地面から伸びた触手だ。
即座に<ターゲット>「ショット!」
一発の光球が根元に襲いかかるが、触手は消滅せず、朝霧の体は逆さ吊りに空中へと持っていかれる。
「なんっ」
ジェットコースタで頂上まで昇ったような、エレベーターの動き始めのような浮遊感を覚える。叩きつけられる。簡単な未来予想に至った朝霧は急ぎ、ステッキを振りかぶり触手を殴りつけた。ようやくそこで、触手は消滅する。
空中に放り出される魔法少女。
「チンポコ、飛行!」
「朝霧ちゃんのスカートは鉄壁ポコ」
「うるさい!」
ステッキにぶら下がる形で、朝霧の体は急上昇する。それに追いすがるように、幾本もの触手が彼女を地に落とさんと迫り来る。足元は見えない。よって勘のみで触手を<ターゲット>自身の足を巻き込みかねないが、構わなかった。
「ショット! ――っ!」
痛みを食いしばり、上昇を続ける。ようやくして公園の上空に位置取った。
目下には怨念と、数えるのもおぞましく思える地面からの触手。まるで触手の群生地のようになっており、公園に墜落したが最後、怨念の気が済むまで逃げ出すことはできないだろうと確信めいた予感を抱く。
確認の意味も込めて、触手の一本を<ターゲット>三つの光球をぶつける。消滅せず。四つ目、消滅せず。五つ目、消滅。
さらに一本を<ターゲット>五つの光球をぶつける。消滅せず。六つ目、消滅せず。七つ目、消滅せず。八つ目、消滅せず。九つ目、消滅。
朝霧は独りごちる。
「ウソでしょ……あまり信じたくないなぁ……」
「! チンポコ局本部から怪人の解析結果が送られてきたポコよ!」
チンポコはまるで電波を受信するように上を向き、本局の司令部から送信された報告書をそのまま朝霧に伝える。
チンポコ電波受信中…………
「怪人名、破滅を招く高くて遠い理想。適齢期を過ぎてしまった凄腕キャリアウーマンによる結婚への怨念が具現化したもの。十代から二十代の女性に対する負けん気が怪人化で増幅されてしまい、戦闘能力に関しては対象年齢の女性に必ず打ち勝つ特性を持つ」
「つまり?」
「全力を出せば出すほど、怪人は必ずそれを上回るポコ」
魔法少女は眼下に触手たち、怨念とをおさめ、苦虫をかみつぶした表情になる。
「長期戦は不利……浄化するには理想の男性が……」
呟くようにして状況の整理をする。
しかし考える時間を与えてくれるほど、怨念は優しくなかった。地面から生えている触手が、雨後のタケノコのように朝霧へ徐々に迫る。
ゆっくりと、焦らすようにして。
朝霧はその様子を見て、ステッキにまたがる。「いつでも飛行できるようにしておいて」チンポコに語りかける。「わかったポコ。チンポコ臨戦態勢だポコ!」
触手がじわじわと、空に浮かぶ魔法少女を地に落とさんと伸び続ける。魔法少女の全力を越え続ける怨念。朝霧が高く、どれだけ高く逃げようとも、必ず触手は追いつくだろう。
若い子には負けられない。
純粋な思いが怪人化で曲解され、歪んだ願いを果たしてしまう。
伸びる、落とすために。伸びる、掴めなかった理想のために。
今はただ自分にないものを持っている人が憎い。その華奢な体が憎い。花のように可愛らしい顔が憎い。鈴のような声が憎い。輝く金髪が憎い。憎い、憎い、憎い……若さが憎かった。
伸びる。なりたい自分を引きずり落とす。今の自分にはそれをできるだけの力がある。やれるならやるしかない。理想を自分の手中に収めることができる。
…………あれ、元はどんな願いを持っていたんだっけ、私?
不意に怨念はそんな思いを抱き――――触手の間合いに、魔法少女が入る。
「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
金切り声。開戦の合図。
「飛行!」
慣性によるGを魔力で強引に打ち消し、姿勢を低くして朝霧は空を飛んだ。
後続には濁流のごとく押し寄せる触手たち。朝霧がどんなに速いスピードを出しても意味がない。追いつかれる、追いついてみせる。加速に次ぐ加速。減速は許されない。朝霧ができることと言えば、心臓から供給される魔力のバイパスを太くするのみ。心臓が錆びた歯車のように軋むも、朝霧は止まらない、諦めない。
苦痛に顔を歪めながら、瞳だけを動かして下を覗く。怨念がこちらを恨めしそうに見ていた。そのすぐ傍に砂場がある。魔力を目に込める。
(活路は見えた。砂場だ、砂場まで辿り着ければ勝てる)
しかし触手は朝霧が逃げ続ける限り、際限なく増殖してゆく。
「上ポコ!」
「ッ!」
砂場に気を取られていた朝霧に上空から触手が襲いかかる。<ターゲット>する暇もなく、魔力を回してブーストをかけるしかない。肌がチリチリと灼ける感覚。
「左ポコ!」
「っああもう!」
上下左右で間隙を与えられず、朝霧は無尽蔵の魔力で押し通るしかない。熱された鉄板を押し当てられてように肌がジンジン痛む。魔力の制御がうまくいってないのだ。
魔力の制御ができると言っても限界は当然存在する。パソコンで例えるならば、チンポコはハードウェアで朝霧はソフトウェアだ。ハードウェアがいくら優れていようとも、朝霧の高出力には耐えられない。
しかし全速力を維持する。加速に次ぐ加速、減速は許されない。カーブでさえほとんど直角に曲がる。内臓が悲鳴をあげ、ぐちゃぐちゃに撹拌される。
吐き気がこみあげる。
思考が覚束なくなり、数秒前の記憶すら思い出せなくなる。
朝霧の視界はすでに九割がブラックアウトしている。脳に血液が回っていない。魔力でのゴリ押しの弊害だ。しかし目指すべき場所は間違えない。
(砂場、砂場、砂場、砂場)
それだけは忘れないよう、何度も脳内反芻する。
砂場に活路あり、死線をくぐり抜ける。
しかし、怨念は魔法少女を越える。
「朝霧ちゃん、囲まれたポコ!」
「――――――――――――」
まばたきさえ拒絶される刹那、それだけあれば砂場に辿り着けたはずだったが、魔法少女は必ず負ける。
上下左右を触手で囲まれ、後方には濁流のごとき流れ。前方には、触手の壁が立ちはだかる。怨念は必ず勝つ。触手の壁にぶつかるもよし、破壊されるもよし。魔法少女の全力を知れば、それだけ力を得られる。
絶体絶命のこの窮地、朝霧は――――<ターゲット>壁の破壊を選択する。
たらりと鼻血が垂れる。魔力の暴走が彼女の肉体を傷つける。
構わず、拳大の光球を展開させた。数はおよそ――――数千は下らない。魔力を流せるだけバイパスを拡張して、これが正真正銘、彼女の限界。
太陽を想起させるほどの輝きが、早朝の公園で轟く。
飛行の魔法が維持できるはずもなく、ステッキは浮力を失い、朝霧は宙空に放り出される。頭を下に落ちてゆく。理想が、少女たちの願望が、墜落する。
霞む視界、指先さえ動かすのも億劫だが、最後の仕上げを朝霧は行う。
首元にかけてあるアクセサリー、チンポコを外し、上空に放り投げた。
「ポコ?」
チンポコは状況を理解できていない呆けた声を出し、光の中に飲み込まれる。怨念にとってあの輝きは猛毒に等しいが、チンポコにとっては何ら問題ない。朝霧は満足気な笑みを浮かべた。
ハードウェアを喪失したことで、心臓から垂れ流される魔力の制御がきかなくなる。端的に言えば、魔力の暴走。無尽蔵に等しい魔力が指向性を失い、所構わず場を荒らす。
脳の血管がブチ切れるほどの集中。
土砂崩れを人間が止められるはずがないが、流れる方向は変えられる。それを彼女は今、為そうとしている。<ターゲット>壁の破壊。
体内の水分が全て沸騰するような感覚。
朝霧は――――決死の一撃を放つ。
「ショット」
果たして全ての光球が、その輝き自体の中央に収束する。
輝きが消え去る。街灯ばかりがこの世界を照らしていた。早朝特有の澄んでいて、深呼吸を何度もしたくなるような空気が胸中を満たし、朝霧は墜落しながら意識を失う。
しばしの静寂。
そして。
全ての影を灼き尽くすような光が、天地に伸びた。
◇
朝霧が公園で倒れ伏している。先程までの魔法少女としての出で立ちではなく、どこにでもいる普通の小学生みたいな格好だった。
その彼女のもとに近づいていくモノがひとつ。
「朝霧ちゃん、大丈夫ポコ?」
チンポコだった。彼女の意識がないためか、どことなく萎れているように思える。
心配そうに頬をツンツンとつつくが、朝霧は反応せず、ともすれば死んでいるのではと連想させるほどで。チンポコは何度も頬をツンツンした。
チンポコはまるでそれが、彼女の意識を取り戻す方法だと言わんばかりに、ただくさに同じ行動を繰り返す。実際チンポコはこれ以外で、彼女にできることはなかった。所詮チンポコはハードウェアなのだ。ソフトウェアあってこそのハードウェア。朝霧とチンポコ、二人が揃って初めてその真価は発揮される。
子犬が飼い主の顔をぺろぺろするような健気さを感じられるだろう。
チンポコは朝霧の頬をツンツンしていた。
「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
突如として響く金切り声。チンポコが音源に鎌首をもたげると、そこには無傷の怨念がいた。ショットの傷はひとつも見当たらない。
怨念は必ず魔法少女に勝つ。朝霧の決死の一撃も、彼女は越えてしまったのだろう。全力を知れば知るほど必ず上回る。絶対的な自信が声色から読み取れた。
もう触手を伸ばすようなことはせず怨念は、己の足で朝霧に近づく。もう怖いものは何もない。触手一本だけでも、あの一撃を耐えるのに十分な強度を持っている。しかも相手は、もうあの不思議な力は使えないほどに満身創痍のようだった。
遥か高くの理想を撃ち落とした。理想を手中に収めた。自分が持つ願望は叶えられただろう。だけど――――どこか満たされないのはなぜだろう?
怨念はすでに己が希ったはずの夢を忘れていた。
砂場にはもう目もくれない。
今はもう――――理想を墜とすことだけが彼女の夢だった。
怨念が朝霧に近づく。理想を徹底的に貶めるのだろう。顔を切り刻むのか、綺麗な体に消えない傷でもつけるのだろうか。確かなのは、憎しみのおもむくままに朝霧を傷つけるであろうことだ。
しかし怨念の前に、チンポコが立ちはだかった。
「イカせないポコ! 朝霧ちゃんはボクが守るポコ!」
チンポコに何ができるというのだろう。
どこまで行ってもチンポコはハードウェア的立場から抜け出すことはできない。朝霧あってのチンポコ、チンポコあっての朝霧。二人で力を合わせても怨念には勝てなかった。チンポコ一人で、何ができるというのか。
しかしチンポコは、それでも立ちはだかった。
きっと深いことは何も考えていない。朝霧がピンチだから、その身を張って守ろうとしているだけだ。チンポコは己の欲望に正直だった。
「ィィィィィィィィ……………………」
吐息を薄くするよう、静かに怨念は叫ぶ。些事を気にかける時はとうに過ぎていた。怨念はチンポコを一瞥して、ただ蹴った。魔法少女の全力を知った怨念は、軽く力を込めただけだったが、それだけで風を切る音がした。
「ポコ……」
べちりと、蹴られたチンポコは朝霧のわき腹にぶつかり、その勢いがようやく止まる。朝霧がびくりと死にかけの昆虫のように跳ねた。
怨念はゆったりとした足取りで歩み寄り、朝霧を見下ろす。
理想を前にして足を振り上げ、背中めがけてかかとを落とす。しかしその右足は、まるで何かに阻まれたように止められた。
「守るポコ……」
チンポコが自身に宿る魔力を用いて、防いでいた。しかしそれも長くは保たない。元々チンポコは魔法少女から受け取った魔力で魔法を編み上げるように作られている。電源電圧のない蛍光灯だと思えばいい。チンポコに残った魔力の残滓を行使している状態だ。
防壁が破られるのも時間の問題だ。
「守るポコ……守るポコ……」
うわごとのようにブツブツ呟く。チンポコが足裏で押し潰される寸前に、障壁がその衝撃を受け止める。足が振り下ろされるたび、チンポコと足裏との距離は縮まってゆく。
「朝霧ちゃんは、ここで死んじゃいけないポコ……」
朝霧の指先が、ピクリと動いた。
「ボクの代わりはたくさんいるから、まず死ぬならボクからポコ……」
足の振り下ろしがさらに激しくなる。怨念は苛立ったようにして、チンポコを睨みつけている。チンポコは耐え続けた。
「だから、だから……」
巻き込んでしまった朝霧を想って、チンポコは語る。それが自身の責任だと信じて疑わず、自己犠牲の精神を貫こうとしている。チンポコは己の欲望に正直だ。正直すぎて眩しすぎるほど、チンポコは純粋だった。チンポコは――――吼えた。
「命に代えてでも――――!」
「私を守るの?」
魔力の防壁が厚くなる。轟風が吹き荒れ、チンポコに魔力が注がれる。怨念は急激な魔力場の変化に対応しきれず、後退せざるを得なかった。
朝霧が、立ち上がる。
「殊勝な心がけだね。いつもそうだったらいいんだけど」
「朝霧ちゃぁん……!」
魔法少女はチンポコを放り投げた。
「ポコ?」
「ていうか砂場に落ちるよう計算したはずなんだけどなぁ」
「ポコポコポコ?」
「ま、気づかなかったんだろうね。チンポコ、砂場を漁ってちょうだい」
「ポコ」
「漁ればその内わかるから……がんばってね」
チンポコは砂場に頭から突っ込んだ。すぐさまガバっと立ち上がり、朝霧を心配するような切羽詰まった声を上げた。
「待つポコ! そんな体で戦えるはずないポコ! せめて変身しなきゃ……!」
「大丈夫だよ。だって私、魔法少女だから。魔法少女は負けないんだから」
屈託のない笑みを浮かべて、朝霧はチンポコの背中を押す。
魔法少女は諦めない。
チンポコは彼女を助けに行くべきか、悩んだ。朝霧には何か秘策があるように見えたが、それでも心配なものは心配だ。しばしの間、逡巡して。
「わかったポコ! すぐ漁って、すぐ帰るポコ!」
「ちゃんと見つけてよね」
「ポコ!」
チンポコが砂場に埋まったのを見送って、朝霧はため息をついた。チンポコに格好つけた手前、あまり弱音を吐きたくないのだが、今は二本の足で立つことでさえ気力を振り絞っている。頭は内側からハンマーをガンガン叩きつけられるようで、肌は火傷したみたいにヒリヒリする。
しかし、朝霧は諦めない。
ステッキを右手に握りしめて、不退転の覚悟を決めた。
怨念へと視線を向ける。今さら魔法少女でもない、一人の女子小学生に負けるわけがないだろうと、余裕の態度でこちらを見つめている。確かにその通りだろう。朝霧は決して怨念に勝てない。しかし、諦めるわけにもいかない。なぜなら。
「勝ち筋は見えてる」
「ィィィィィィィィ――――――――」
怨念が、一息で朝霧との間合いを詰める。策を弄する必要などない。ただ殴りさえすれば、相手に限界が訪れる。ただくさに殴れば勝てる――――怨念は今までの経験から、学習していた。
正拳突き。腹部をめがけて放たれた必殺のそれは、朝霧が生成した魔力壁によって大幅に威力が減衰する。だからどうした。打ち消しきれなかった衝撃が腹部に刺さる。朝霧はあまりの衝撃に胃が絞り上げられる感覚を受け、胃液を吐き出す。
間違いなく朝霧は、弱くなっている。
「ゲホッ、カヒュ、ヒュー……ヒュ……」
思わずその場にうずくまりそうになるが、すんでのところで、こらえる。勝ち筋は見えている。ここで諦めるわけにはいかない。震える両膝を無理矢理に抑えつけ、お腹を押さえる。
二撃目。
朝霧の頭部を怨念が両手で掴む。膝蹴りがうつむいた彼女の顔面に迫った。即座に魔力壁を張るも、やはり破かれる。鼻血が盛大に、地面に放たれた。無理な魔力制御の影響で、血管の破ける感触が全身を這いずり回る。
「……う゛ぁ」
視点が揺れる。平衡感覚が狂い、目が霞む。これでいい。朝霧は勝ちを確信し始めている。勝ち筋を進めていると、笑みを深めた。
朝霧は着実に、弱くなっている。
三撃目。
足払いをかけられる。意識が朦朧としている朝霧がもちろん耐えられるはずもなく、足と足の間に怨念の膝先が入り込み、無様に倒される。倒れる寸前、朝霧はせめてもの抵抗とステッキを怨念に振りかぶった。ダメージが入るわけがない。
後頭部を強打し、意識を失ったかそうでないかもわからなくなる。
朝霧は確実に怨念より、弱くなっている。
「……………………」
声を出す気力すらない。マウントポジションを取られるも、ボーっとして他人事のように眺めるしかできなかった。首筋を怨念に握られる。そのまま絞め殺すつもりなのだろう。朝霧は本能的に首筋に魔力を込めて強化する。そして理性が、首筋に注ぎこまれた魔力を打ち消した。
あっけない手応えに、怨念は拍子抜けする。しかしやることは変わりなかった。理想を殺して理想を越える。両手に力を込めた。
朝霧の顔が赤黒さを帯びる。呼吸ができず、空気を求めて舌が飛び出す。そうして朝霧は――――笑う。視界の端に相棒が映ったからだ。
相棒が、間に合った。
「何やってるポコーーーーーーーーーーーーー!」
チンポコは己の内側に残る魔力を行使して、自身を加速させる。正真正銘、ただの体当たり。見るものによっては意味のない抵抗に思えるかもしれない。しかし朝霧は、この瞬間を待っていた。一発逆転の目をかけて、チンポコを待っていた。
チンポコの体当たりは見事命中して怨念は――――派手に吹っ飛んだ。
「ゲホッ、ゴホッ、おぇ、……はぁ、はぁ、はぁ」
空気を求めて朝霧が何度も咳きこむ。鬱血していた血液は正常に回り始め、赤黒さを帯びていた顔も元通り。
朝霧はよろよろと立ち上がり、勝ち誇った表情を作った。
「そうだよね、そうだよねぇ。私に勝つには、それだけで十分だもんねぇ……!」
朝霧は弱くなっているのは、紛れもない事実だ。それに引っ張られるようにして怨念も、朝霧に勝てる程度に弱くなっている。
だから馬鹿正直に、相手の攻撃を受け止め続けた。完全に防いでしまってはいけない。致命傷に至らず、かつそれなりにダメージを負える程度に魔力壁を張らなければならない。そして朝霧は、やりきった。やりきってみせた。
「賭けに勝った瞬間は気持ちいいなぁ……」
鼻血を垂れ流しながら勝ち誇った笑顔を向ける。脳内物質の過剰分泌のため、朝霧の思考の箍が外れかけている。今の彼女には狂気しか感じられなかった。
「朝霧ちゃん、決めるポコよ!」
「ああうん。ちゃんと見つけられた?」
「ばっちりポコ!」
朝霧が砂場を一瞥すると、そこにはイケメン高身長なスーツ姿の男が横たわっていた。チンポコが掘り起こしたのだろう。朝霧は全てが万事うまくいったとほくそ笑む。
『妙なうわごとをブツブツと呟く化け物が、砂場でガシガシと穴を掘っている。何かを埋めているようだが、街灯が届いていないため、その姿を鮮明に捉えることはできない』
『苦痛に顔を歪めながら、瞳だけを動かして下を覗く。怨念がこちらを恨めしそうに見ていた。そのすぐ傍に砂場がある。魔力を目に込める。
(活路は見えた。砂場だ、砂場まで辿り着ければ勝てる)』
『怨念はすでに己が希ったはずの夢を忘れていた。
砂場にはもう目もくれない』
砂場には、怨念の理想の男性が埋められていた。
「それじゃあ、仕上げと行きましょう」
朝霧はステッキを構える。チンポコが定位置――――彼女の首元に戻った。
ステッキを地面につけると、彼女を中心とした幾何学模様の魔法陣が展開される。淡く桃色に煌めく光は、万人がその美しさに感嘆のため息を漏らすことだろう。あるいは、嫉妬の感情か。
「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
怨念の叫び声が聞こえる。構わず朝霧は変身して、魔法少女になる。「チンポコ」「わかってるポコ!」チンポコはスーツの男性から採取しておいた体液をステッキに振りかけた。
ステッキが輝きとテカりを増す。朝霧がステッキを持つ右手を掲げると、それはふわりと浮かびあがった。朝霧の全魔力が淡い光を出しながら、右手先に集中する。
「――――チンポコリンチンポコリン。歪められた願いに苦しむ者に、救いの手を。星の数ほど男はいる。手に届かぬ星などない。――――全ての男女は星である」
ステッキが膨張する。魔力の形質変化。チンポコが振りかけた体液をベースに、それは形成された。それは――――紛うことなき、ち○こである。
ヒ○クメルゲの容貌をした怨念が、こちらに迫りくる。しかし圧倒的にスピードが足りない。なぜならこれは、朝霧の力などではない。これは砂場で横たわっている男性の力だ。
必殺の一撃、怨念が勝てるはずもない。
ドーパミンの過剰分泌で周囲がスローに見える朝霧は、ゆったりとした動作で、大きく振りかぶる。ち○こを投げる。ストライクゾーン目がけて、ヒ○クメルゲのストライクゾーンに目がけて。
渾身で会心で全力の一撃を、放った。
「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
怨念は絶叫しながら、その一撃を受けた。そして怨念は、己が希った夢を思い出した。百の目玉から涙が零れ落ちる。
魔法少女。少女の理想を具現化した存在が、彼女を助けてくれた。
「アア、ア、アアアア、……ありがとう」
特別派手な爆発があるわけでもなく、太陽に晒された吸血鬼のようにボロボロと彼女の体が崩れる。足元からゆっくりと、まるで幽霊が成仏するように消え去ってゆく。
彼女は深々とお辞儀をした。凄腕キャリアウーマンらしい、キチッとしたお辞儀で、朝霧は笑いがこぼれた。手をひらひらして「気にしないで」と伝える。
彼女は顔を上げると、申し訳なさそうな顔をした。『ごめんなさい』口がその形を描く。もう一度、お辞儀。すぐに彼女は顔を上げた。
もう時間があまりない。彼女に残された肉体は、胴から上のみだった。彼女は困ったように眉を上げる。困ったように笑う。手を小さく振って、口が『さようなら』と動いた。
朝霧は「またね」と小さく手を振った。
彼女は驚きの表情を浮かべ――――花が咲いたような笑顔を、浮かべるのだった。
早朝の公園に、いつもの静寂が舞い戻る。街灯だけが公園を照らして、ポツンと魔法少女だけが残った。朝霧はその場でパタンと座り込む。
「もうムリー……。あとは任せるよー」
「嫌ポコ!」
「えー、チンポコ頼むよー」
「チンポコがんばるポコ!」
チンポコは上を向いて、チンポコ局本部に後始末の連絡を入れる。
チンポコ電波送信中…………
朝霧はその様子を見て、もう大丈夫かと大の字で横たわる。夜空だったはずの空はもう白み初め、夜が明けてしまうのだなと、心地よい疲労感に目を閉じる。
そうして、やり忘れていたことを思い出した。
よろよろと砂場にまで四つん這いで近寄り、スーツの男性の耳元で、ささやいた。
「ち○こを貸してくれてありがとう」
閑静な住宅街に、新聞配達のバイクの音が響き渡っていた。
◇
大熊心哉はバスを待ちながら、今日見た夢の内容を反芻していた。変な夢だったとつくづく思う。
自分が怪人に襲われて砂場に埋められていると、魔法少女が助けに来てくれる、なーんて荒唐無稽でナンセンスな夢だった。しかも最後には魔法少女が「ち○こを貸してくれてありがとう」と魔法少女らしからぬセリフをのたまうのだ。
しかもこれが不思議なことに、妙に記憶に残る夢だった。
普通は一時間もすれば夢の内容なんて忘却の彼方に追いやられてしまうのに、まるで現実で体験したような感覚だった。
全く不思議だ。不思議なことこの上ない。
不思議だ、不思議だと脳内をクエスチョンマークで埋めていると、やがてバスがやってきた。ICカードをリーダーに読み込ませて、何気ない日常の一コマを過ぎ去ろうとしたのだが……
「あれ、咲島さんじゃないですか」
黄昏るようにして外を眺める女性が目に付いた。それが面識のある人物だとしたらなおさらだろう。彼女は大熊の姿を見ると、軽く目を見開いた。下半身に視線が移りそうになり、鋼の精神で自分を抑え込む。
そんな彼女の葛藤に気づかない大熊は、何気ない振りを装い彼女の隣に座った。
「奇遇ですね。咲島さんがバス通勤だったなんて初めて知りました」
「あ、ああ。うん。なんだか今日は、そういう気分だったんだ。いつもはもう一本早いバスに乗ってたんだが……気まぐれだな」
「へー。そういうこともあるんですね」
バスがため息のような音を立てて、発進する。
共通の話題も特にない二人は、沈黙してしまう。
「…………」
「…………」
バスのアナウンスが流れて、停車ボタンが押された。
「「……あの」」
奇しくも同じタイミングで、二人の声が重なる。
「……咲島さんからどうぞ」
「いや、大熊くんからでも大丈夫だ」
「いやいや、レディファーストという言葉がありますし」
「時代は男女平等だぞ?」
「…………」
「…………」
そうした沈黙は長く続かず、どちらともなくプッと吹き出した。
バスがため息のような音を立てて、停車する。
ランドセルをからった少女は、二人の男女の横を通り過ぎて、満足気に呟いた。
「みっしょんこんぷりーと」
少女はリズムを刻むようにして、ステップを下りた。
◇
世界平和のために今日も魔法少女は戦う。相棒のチンポコと共に、歪んだ願いを純粋な願いに変え、叶えてあげようと奮闘する。
皆さんも何かしらの苦悩を抱えていないだろうか?
そんなときは、あなたのもとに魔法少女が現れるかもしれない。
来たるべきに備えて、体は清潔に保っておこう。
「ち○こを貸してくれてありがとう」
魔法少女からそう言われる日を信じて――――――――
完