18話
人間とはこうも恐ろしくなれるものなのか。いや、そもそも彼女は人間なのか? だが魔族にこのような者はいない……
湧き出る感情がイーラに訴える。しかし彼女は雑念を振りほどくように立ち上がった。
「……二人とも下がれ」
輝きの無い目、表情のない顔。イーラは怒りに満ちていた。
血の気の引いた顔をしているクーとマドクスがそれを知るには表情だけで十分だった。。
二人はすぐに痛みを必死にこらえているモリガンのもとへ向かう。キャロルはそれを止めない。彼女はゆっくり歩いてくるイーラを見ているだけだ。
「白い鎧にその気味の悪さ。おぬしが白騎士か」
その口調は凄みがあり脅すものである。しかしイーラの指先は小刻みに震えていた。それに気づいているのか定かではないがキャロルは誇らしげに語りだす。
「気味悪いなんて失礼ね。でも仕方ないわよねえ。だって悪であるあなた達からすれば正義である私は気色悪いでしょうから」
「……ほざきおって」
キャロルの体にまるで電撃が走ったように彼女はビクッ! と動く。彼女を睨むイーラの目は黒曜石のように黒く中心はギラギラとした黄色へ変化していた。
ギルバートに幻覚を見せた時と同じだ。常人ならばとても耐えることはできないだろう。
しかしキャロルは常人ではない。彼女は血管を浮かばせながら振り払うように声をあげ、自力で幻覚をふりほどいたのだ。
奇妙な間が現れる。それはイーラが舌打ちすることで終わりを告げる。
「この程度ではいかぬか」
「それがあなたの使う魔法? 幻覚なんて通じないわよ? そんなものに惑わされるほど私は弱くないの」
「ふんっ。わらわとしたことが失念じゃったわ。おぬしは強い弱い関係なく元から正義という幻覚を見ておったの」
「幻覚なんかじゃないわ。事実よ」
キャロルは足元に剣を突き刺した。
するとたちまち床をえぐるほどの風が巻き起こった。刃物のように白く光る風が一瞬にしてイーラの目の前に迫る。
「口ほどにもない」
イーラが手を前へと突き出すと、一瞬透明な壁が彼女の前に現れた。直後、つんざくような音と共に風は壁にぶつかる。
風は瓦礫と埃を巻き込みながら逃げるように四方に散った。視界を遮られたイーラは一瞬キャロルを見失う。
「口ほどにもないのはどっちかしら?」
キャロルはいつの間にかイーラの後ろへと回っていた。間合いも十分。避けるのはてんで不可能だ。しかしイーラは余裕をみせたまま手を突き出す。
壁が現れる。キャロルはそれを剣で叩く。
「無駄じゃ。しかしリリーの仇とはこんなものか。あやつには悪いが仇はどうやらわらわが討つことになりそうじゃのう」
キャロルは舌打ちし距離を取る。
「リリー? ああ、あの黒い女騎士。残念だけど無理ね。だって私こそ正義だから」
「それしか言えぬのか?」
「それだけで十分よ」
剣を持っていない一方の手にいつの間にか白い炎の剣が握りしめられていた。
「いつの間に――」
振りかざされた炎を前にたちまち壁はくずれた。イーラは反動で数歩後ろに退いてしまう。
しめた! とキャロルは目を見開き両手を高らかにかかげた。イーラは目を黒く光らせ幻覚を見せられるかの賭けに出る。
しかしそれは無駄だった。
勢いは変わらない。目と鼻の先まで剣が迫り明後日の方向へと振りぬかれた。
「させません!」
空中に姿を現したクーの蹴りがキャロルの顔を歪めた。対応しきれずキャロルの体はいとも簡単に壁へと吹き飛ばされる。
「お怪我は?!」
「平気じゃ。助かったぞクー。モリガンはどうした?」
「マドクスお姉ちゃんに任せています。私がいても治療はできないので――」
言葉の途中でクーはパッと立ち上がると空を蹴る。すると二人に対しいつの間にか投げられていたテーブルが砕けパラパラと木片を辺りに散らせた。
「数が増えたところで同じよ! 正義は負けない! 絶対に! 絶対に!!」
息を荒げるキャロル。体の節々から白い炎を燃え上がらせている。正義とは程遠いおぞましい異形のような姿だ。
「はああああああああ!!!!」
キャロルは床を蹴ると一気に距離を詰める。対してイーラはクーに耳打ちをすると前に飛び出した。
手を突き出す。透明な壁が現れる。
キャロルの攻撃は再びふせがれた。もどかしそうに叫びながら何度も剣を振るう、破壊しようとする。それしか頭に残っていない彼女はクーが姿を消している事に気づくのが遅れてしまった。
「遅い!」
打撃音。
それが数回鈍く響いた。
キャロルの背中にクーの重い打撃が入ったのだ。骨まで届いたかもしれない攻撃をまともに食らいキャロルは白目をむいて体を揺らがせる。
「とどめ!」
クーは左足を軸に蹴りを放つ。同時にイーラは手に貯めた赤黒く光る魔力の塊をキャロルの腹へとぶち込む。
光がほとばしる音。低い打撃音。
キャロルは叫び声をあげ力尽きたように倒れた。イーラは足で仰向きにさせる。
「なぜこんな大したことない奴にリリーは苦戦したのじゃ?」
キャロルはヒューヒューと弱弱しい息だけを吐いており既に虫の息だ。その彼女をイーラは足で仰向きにさせる。
「仇だからではないでしょうか? それで過去の事を思い出して」
「ふむ……。殺すつもりじゃったがこやつを捕まえるとするか。リリーにとどめを刺させた方が将来のためになりそうじゃからのう」
すると突然、キャロルは残った力全てを振り絞りイーラの腕を掴んだ。対してイーラは侮蔑のまなざしを向ける。
「可哀想じゃのう。おとなしく寝ておれば苦しまずに済んだというのに」
イーラの瞳は黄色ではなく血のような赤色をしていた。それを見て血管を浮かばせるキャロル。幻覚に耐えれるはずの彼女だが苦痛に満ちた叫びをあげた。
「む……むだだ……幻覚など私には」
「ほう、話せるのか。どこまでしぶといか興味が湧いてきたのう。まあいい、強がりは言えるうちに言っておくがよい。おぬしはわらわの大事な配下を傷つけたのじゃ。同じくらい、いやそれ以上の苦痛を受けるのが筋ってものじゃろ?」
キャロルは不気味に笑いだす。その笑いは何度もイーラが幻覚を強めることで止められた。それでも彼女は止めなかった。
「配下を傷つけられたから? それって復讐よね? あの黒い女騎士と同じ復讐よね? そんな醜いものに倒される? この私が? ありえないわ! だって私は弱くないもの! だって私は正義だから!!」
キャロルは天を仰ぎ見るように両手を広げた。
そして呼応するように彼女の体から炎の混じったつむじ風が放たれた。
風はイーラの体を貪るように切り刻む。それはイーラでさえ認知できなかったほどの一瞬のできごとだった。
「正義は勝つの! いいえ、そうでなければならないの! この腐った世界がよくなるためにも! 正しい人間達が生きていくためにも!!」
ボロ雑巾のようなみじめな姿になり果てたイーラに休む間もなく剣が迫る。
しかしやられてばかりのイーラではない。倒れる直前、彼女は本能のままキャロルに対し幻覚を見せたのだ。その効果は確かなものでキャロルの体がぐらりと揺れる。
結果、彼女の一振りはイーラの背中を袈裟切りにはしたが深い傷を負わせられなかった。
「おのれ小細工を!!」
攻撃は終わらない。足を踏み込むと再び剣を振る。
倒れゆくイーラにはもうふさぐほどの力が残っていなかった。
「これで終わりよ!」
「終わるのはお前だ!」
飛び込んだクーは勢いのままキャロルの腕を噛むと顎の力だけでキャロルの体をぶんと振り、扉の方へと投げ飛ばした。その時の衝撃でキャロルの腕がひきちぎられる。
「忘れないわ! この屈辱を! 絶対に!」
彼女は悶えながら立ち上がると捨て台詞を吐いて部屋を去った。
クーはすぐに追うがキャロルの姿はどこにもなかった。あるのは彼女のものと思える血の痕だけでそれは数十歩先のところで消えていた。悔しがっていたクーだったがイーラのことを思い出すと慌てて彼女のもとへと戻って行く。
「イーラ様! イーラ様!」
「……やかましい。この程度でわらわが死ぬわけなかろう」
クーは安心すると自然と涙を流した。イーラは「心配しすぎじゃ」と頬を撫でて涙を拭ってやる。そしてクーは頬にイーラの血を付けたままマドクスを呼んだ。ずっと隠れて治療をしていたマドクスはモリガンへの応急措置を既に終えており、すぐに回復魔法をイーラにかけることができた。
だが回復魔法はかけられた本人の魔力や本来持つ生命力に依存する。そしてイーラは戦いで消耗が激しく、しかも傷も大きい。結果、一命こそ取り留めたものの一人で歩くことができずにいた。
「人間だからと侮っておった。わらわとしたことが情けな……ッ!」
マドクスに話さないよう注意されたイーラは彼女に背負われると顔をうずめて謝った。
「……どうやらあやつを倒せるのはリリーしかおらんようじゃ――」
イーラはそう言い残し気を失った。
♢
イーラが目を覚ましたのはそれから数日経った王都へと帰る道の途中だった。
目覚めた彼女はモリガンが致命傷を負わされ、自らもまた傷をつけられたことを思い出すと腹立たしさと悔しさで胸をいっぱいにした。
そしてその屈辱を胸に刻むと彼女は決心を固めた。自らの手でリリーを育て直すことを。
彼女は王都に帰り何が起き今後どうするかをウール達に伝えると、早速翌日からリリーに対し修行を始めた。それはスタークの時とは比べ物にならない過酷なものだったがリリーは復讐を果たすため、イーラはその想いに応え自らの雪辱を果たすために懸命に修行に取り組んだ。
しかし時というのは残酷なものでまだ不十分なリリー達を待ってはくれなかった。
イーラが王都に帰還してから二週間後、敵に進軍の動きありという情報がウール達に伝わった。
その時が来てしまった。
ウール達は王都を発ち、決着をつけるため南下を開始したのだった。




