1話
魔族と人間による統治が始まった。
それは瞬く間に大陸中を駆け巡り、諸侯達は驚きを隠せずにいた。そして一部を除いて、ほとんどの諸侯がこの事実を知るや中立を装った反対か、あるいは明確に反対の立場をとった。
彼らは密かに大陸南部を中心に連合を組む動きを水面下で開始していた。人類の存続という名目もあったがそれ以上に、自らの保身のためだった。
そのことをウール達は薄々気づいていた。王都の貴族や有力商人といった権力者達、とりわけスペンサーからかつて多大な恩恵を受け甘い蜜を吸っていた者達による姑息な反発を受けていたからだ。
そのせいか政局が思ったように進まず、ウール達は今日も頭を悩ませる日々を送っていた。
♢
そんな日々を過ごしはじめてから数か月経ったある日の早朝
王都から少し南へと下った場所には小高い丘がある。眼前には雄大な平原が広がり、目を凝らせばぼんやりと王都が見える。詩人がそこに立てば湧き立つ感情を思わず言葉に乗せて詠うだろう。
そんな人気がなく、少し肌寒い風が吹き抜ける場所に、新緑のような髪をした青年が縦笛を吹きながら立っていた。背は高く少しボロボロになった茶色のコートを着ている。厳しい旅をしてきたかのような風貌がむしろ様になっていた。
彼は旅の疲れを癒すかのように笛の音色を奏でていた。まるで踊っているかのように心地よい音楽を奏で、彼自身もつられて体を揺らす。右目が隠れるほどに伸ばした前髪と後ろで一つ結びにした髪も動きに合わせて揺れていた。
「早起きじゃのうセド。まだ陽が昇っておらんではないか」
セドが振り向くとくしゃくしゃにした赤髪に、伸ばしきった長い赤髭をたくわえた老人がいた。
すりきれた灰色のローブを身にまとい、眠たげな茶色の目をしょぼしょぼとさせている。まるで世捨て人のような身なりをしている彼は呆れるほど大きなあくびをした。
「起こしてしまったかスターク」
「いんや、勝手に目が覚めただけじゃい。そしたら気持ちのいい笛の音が聞こえてのう」
セドはギラリと光る金色の目で彼を見ながら「うれしい限りだ」と満足そうな笑みをみせる。触れると傷を負ってしまいそうな白く尖った彼の歯が光っている。
「しかしよくもまあ、お前さんは飽きんもんじゃのう」
「何がだ?」
「笛じゃよ。無事な魔族を集めながらの旅の間、ずっと吹いておるではないか」
「好きだからな!」
フフン! と彼が得意気にしていると二人の後ろから「こんな朝早くから秘密の会議ですか」と低く礼儀正しい声が聞こえてきた。
「おおホーナー。お前さんも起きたのか」
ホーナーは明らかに人ではなかった。影のように黒い顔には赤い目だけしかない。しかしその形は縦に長い楕円形をしていてそこまで怖さを感じない。
だが顔と不釣り合いな、壁のように大きな体格が威圧感を与えていた。その風貌は力を象徴するかのようだ。臆病な子供が彼と出会えば好奇心で近寄るか怯えて逃げ出すかのどちらかの反応をみせるだろう。
そんな彼は膝まである赤みのある茶色のレザーコート、黒色の革手袋とブーツを着用していた。よほどこだわりがあるのか革の質感は高級感がある。
「笛の音が聞こえましてね。またセドが吹いているのだと思って来てみればスタークもいて意外でしたよ」
「なんだか俺が皆を起こしてしまったみたいだな。すまないことをした」
「いえそんな、私の耳が地獄耳なだけですので。それに今は旅の際中なのでどうも気が抜けなくて」
「相変わらず生真面目な奴じゃのう。ワシなんて年だからつい早う起きてしもうただけで、本当ならもっと寝ておきたいくらいじゃ」
「あなたは逆に気楽すぎるんですよ……。昨日なんて誰よりも先に寝てしまってたじゃないですか」
スタークは愉快そうに笑っている。彼に呆れながらホーナーはセドに笛を吹いてくれないかと頼む。セドは「いいだろう」と尖った耳をヒョコヒョコと機嫌よさそうに動かしながら笛を吹いた。
再び笛の音が響き渡る。スタークとホーナーは小さな岩の上に座ると感傷に浸るように遠くを見つめていた。そうしている間に地平線の彼方から太陽が昇り始め三人を照らす。
「また笛を吹いているのか? 坊や」
ここにいる誰よりも年を感じさせる口調だが、誰よりも幼い声だ。
その声の主は本当に幼い少女、いや幼女と呼んでも過言ではない姿をしていた。春に咲く花のように鮮やかな紫色の髪を腰ほどまでに長く伸ばし、月のような金色の目で振り向いた彼らを見ている。
またセドと同じく尖った耳と白い肌をしていた。しかしうら若き青年のような彼とはまるで真逆な印象だ。
身にまとう露出度の高い黒と赤のドレスは胸元が大胆に開いている。しかし彼女の胸はまったくといっていいほど膨らみがない。
そんなドレスだが装飾は至ってシンプルだ。だが意匠の高さがうかがえる。
そして彼女は幼き見た目にはあまりに不釣り合いなものを手に持っていた。質感のある赤茶色の長いパイプ煙草だ。それを手で弄びながら三人を見つめている。
「お前さんも含めて、なぜこうも年寄りは朝が早いのかのう……」
「たわけが。わらわはおぬしらの動く気配を感じて起きただけにすぎん」
「ハッ! 自分が俺達『長老』の中で一番年を食っているのに認めようとしないのかイーラ」
『長老』
それは魔族の中で魔王の次に地位のある者達のことだ。文句のつけようがないほどの力、あるいは知恵を持つ者がこの地位につく。
現在は四人。その四人とは今ここで他愛のない会話をしているセド、スターク、ホーナー。そしてイーラだ。
「阿呆だからか元気がいいのう坊や」
しかしセドは「元気なのはいいことだ!」と笑い飛ばす。本当に意味が分かっているのか? とイーラは疑問の目を向けながら指先から火を出し煙草を吸おうとする。
「待て、せっかくの気持ちいい朝が台無しだ」
「ああ、坊やは煙草が苦手じゃったのう。まったく可哀想じゃのう。目覚めに吸う良さが分からぬとは」
「それに体にもよくない」
「坊やに心配されるほどやわではないわ。というか心配しすぎじゃ」
「お前とは考えが色々合わないが共にウールに仕える仲間だ。仲間の身を案じるのは当然のことだろ?」
彼の目は魔族とは思えないほど純粋だった。高圧的にしていたイーラはすっかり調子を狂わされ「……これだから坊やなんじゃ」と照れ隠しのように勢いよく指先の炎を消した。
「ところでイーラや。お前さんも一緒にセドの笛を聞かんかね? 煙草の代わりにはなるじゃろ」
「今日はいよいよお嬢のおる王都に入る日じゃと昨日皆に言ったばかりじゃろう。そんなのんきなことをしておる場合か」
「そうカリカリなさるでない。ちょっとくらいじゃよ」
「阿保か。お嬢は今、大層苦労しておるのじゃ。我ら長老含め、今引き連れている魔族が早う行って支えてやらんでどうする? お嬢を人間なんぞに手玉にされてたまるか」
「しかしベルムとリリー、それにゴブリン達がいると聞いています。心配される気持ちは分かりますがイーラは少し考えすぎでは――」
「あの二人がいるのはまだ心強い。しかしゴブリンじゃと? はっ! あんな数だけしか取り柄のない連中にとても任せられんわ」
するとイーラはボソボソと空を見ながら何かを唱えだす。それから数分後、彼らの前に暗緑色の丸く大きな尻尾と犬のような先のとがった耳を生やした女性が現れた。
彼女は給仕のようなシックな茶色の服を着ている。後ろで一つにまとめた艶やかな茶色の髪に凛とした亜麻色の瞳。振る舞いは礼儀正しく、端然とした美しい見た目はまさに従者として文句ひとつないものだ。
「クーよ。姉たち二人はどうしたのじゃ? あやつらも呼んだはずじゃが?」
「それが……ぐっすりと眠っていました。お互いを抱き寄せあったままこう、ギュッと――」
「そんな報告いらんわ! もうよい、さっさと皆を起こしてまいれ。それと準備ができ次第出発することも伝えるように」
クーは動揺せず一礼すると音を立てずに走り去る。イーラは「まったく。末っ子が一番しっかりしとるとはどうかしておるわ」などとぶつぶつ文句を言っている。
「フハハハハハ! クーがしっかりしてるだけマシではないか!」
「坊やはどんだけプラス思考なんじゃ……」
ふとイーラはクーがもしそうでなかったらと考えてしまい「心労でくたばってしまいそうじゃ……」と心の声を漏らしてしまう。
「じゃがイーラや。ウールはあやつら含めて皆をまとめておるのじゃぞ?」
「……お嬢はすごいのう。わらわには到底無理じゃ」
イーラは今苦労の日々を送っているであろうウールを想像しながら歩き出し、セド達も後に続く。その時スタークがげんなりとうなだれる。
「結局、わしの杖が見つからなんだのう……。あれは傑作だったのに悲しいわい」
「杖の先にドラゴンの頭が施されたあの悪趣味なやつか?」
「悪趣味とは心外じゃのう」
「俺もスタークに同意だ。あれはなかなかに凝った杖だった。あの混沌たる昏き底の闇を表したかのような禍々しき造形、実にかっこいいぞ」
「おお! セドはあれのよさが分かるか! 嬉しいかぎりじゃ!」
スタークとセドは心の友であるかのように互いの拳と拳をノリノリでぶつけ合う。
「こやつらは阿呆か……」
すっかり呆れかえった目で二人を眺めていたイーラは「ホーナー。お前は?」と聞く。ホーナーは微妙な表情で首を横に振るだけだった。




