53話
王都のどこかで灰色の煙があがる。人々の怨嗟、そして怒号を乗せて煙は夜空へと消えていった。
やがてそれは王都全体へと広がっていく。立ち込める煙の如く、感情を噴出させている人々は建物を壊し対応に来た兵士達を押し倒していく。
混乱はすぐに城の兵士達の耳に届いた。街にいる者だけではとても対処しきれず、次々と兵士達が駆り出されていった。
だがスペンサーの耳にはまだ届いていない。彼は自室で机に広げた地図を無言で睨みつけていた。夕食を終えてからずっとこうで誰もが彼に会うのをはばかっていたほどだ。
ただでさえ城内の兵士達の間ではまだ情報が錯綜している時。彼が王都の混乱を把握していないのも無理はなかった。
ふと彼は地図から目を離し椅子に深くもたれかかり眉間を抑えた。その時扉を叩く音がする。
「入れ」
彼が気だるそうに言うと純白の鎧を着た女性が入ってくる。
スペンサーよりもふた回りほど年若い大人の女性。水面を反射する光のように鮮やかな銀色の髪を結い、垂れ目がちな金の瞳で彼を見ている。
彼が用を訊ねるとしゃんとしたたたずまいで王都で騒ぎが起きていることを伝えた。
するとスペンサーは険悪な表情で顔にあるいくつものシワをさらに浮かび上がらせる。
「どうされますか?」
澄んだ声で誕生日を迎えた子供がプレゼントを聞くように上機嫌な調子で訊ねる。悩む彼とは対照的にニンマリと薄気味悪い笑みを浮かべながら答えを待っている。
それはまるで絶好の獲物を見つけたかのようだった。
「手薄になった隙をついて反乱か。こんな時にくだらないことを。……ひとまず兵士達に早急に対応するよう伝え私は報告を待とう」
彼は立ち上がり部屋の外にいた兵士達に伝えると再び椅子に深く座った。その時彼女の期待の眼差しに気づくが鬱陶しそうに肩を落とした。
「キャロル、貴様は出るな」
彼女の表情が一転、恐ろしいほど不愉快さをあらわになる。だがスペンサーは臆することなく言葉を続ける。
「魔力がまだ不安定だろう。そんな状態で行かせるわけにはいかん」
「ですが相手は民衆、道端の虫を踏みつぶす程度に造作の無い事ですよ」
「油断するなキャロル。魔族がいるかもしれんのだ。特に魔物を一撃で仕留めた奴がいた場合どうする?」
「同じことです。そもそも正義が悪に敗れると? というよりもスペンサー殿、悪を前に正義を遂行するなと仰りたいのですか?」
「はあ……。なぜ貴様はそう極端な考えしか持ち合わせておらんのだ。そういう理念がどうとかいう話ではない。実際の面で考えろ。暴発すれば街や兵士達への被害はどうなる? そもそも貴様自身への負担がだな――」
「心配無用です。その程度でどうにかなる程私はヤワでは――」
瞬間、スペンサーは大きな足音を立てながら彼女の前に立った。そして彼女を指差し「貴様はただ殺したいだけだろ」と低く凄みのある声で訴える。だが彼女は動じない。
「いいえ違います。私は悪党を有無を言わさず痛めつけ、凌辱し、殺したいだけです。賊と同じように扱わないでください。分別は持ち合わせていますから」
「分別は持ち合わせている、か」
彼は憎々しげに睨みつけていたが「たとえ今みたいに腕が立とうと、貴様がヘンリーと同じ家のものでなければとうに私の下から離してたところだ」と吐き捨てる。
するとキャロルは「もしそうなれば、あなたが悪に堕ちることを望みましょう」と剣の柄を握りしめる。
まとわりつくような声、一切のぶれがない視線。彼はこれ以上議論する気は無いと目も会わさずに椅子にどさりと座った。
そして間もなく兵士が大慌てで入ってきた。スペンサーが要件を聞く前に兵士は城内に侵入者が現れた事を告げる。
瞬間、キャロルは小躍りしながらスペンサーを見るが彼は「まあ待て」と言い侵入者の特徴を訊ねた。
「女二人です。一人は姫様と変わりないくらいの銀髪をした子供で炎の魔法を使ってきています。もう一人は子供よりも年上で黒い鎧を着ていてそして……かなり手強いです。まともに戦った兵士はみな殺されました」
スペンサーが勢いよく立ち上がり「そいつらを足止めしつつお前達は姫を安全な場所へ連れていけ。私とキャロルは王の場所へ行く」と指示すると兵士はすぐさま部屋を立ち去った。
「なぜ王の確保を優先されるのです?」
「陽動やもしれんからな」
「警戒しすぎでは? たかが二人ですよ?」
「その二人が重要なのだ。特に銀髪の子供、奴は間違いなく魔王だ」
キャロルは衝撃を受けたようにぐらつき何度も『魔王』と口にする。スペンサーは気が動転している彼女を無視してぶつぶつと考えを巡らせている。
「……魔王、たしか兄上が性奴隷にしたいと言っていた……」
「そのようだな。姿はまだ見ていないが兵士達の噂では姫にも勝るほどだと――」
そう言ってスペンサーが振り向くと――
「…………楽しみですねえ」
キャロルは歪んだ笑みを浮かべていた。病人のようにわなわなと震わせている手には鎧と同じ純白の炎が燃え盛っている。
炎が揺れるたびに彼女の恍惚な笑みを怪しく照らす。スペンサーはそのあまりのおぞましさに無意識のうちに目をそらしてしまった。
「……言っておくが王の確保が先なのを忘れるでないぞ」
「分かっております。楽しみは最後に取っておくという粋な計らいでしょう?」
「ちが。……もういい好きにしろ」
♢
「城内に侵入者?」
寝間着に着替えベッドに横たわっていたシャーロットは兵士と一緒に入ってきたレオを交互に見ている。
一方レオはこのことをついさっき知ったばかりで彼女よりもずっと動揺していた。
「銀色の子供って姫さ、シャーロット様と同い年くらいで炎の魔法を使う奴か?」
「自分は確認していませんが報告によるとそうです」
レオはすぐに駆けだそうとしたが兵士達に「何をする気ですか!」と抑えられる。
「離せ!! そいつは魔王だ!! だから俺が殺しに行く!!」
「落ち着いてください! それに侵入者は魔王だけではありません! もう一人女がいて我々が数十人で挑んで手も足も出なかったのですよ?! 今のあなたが一人で行っても勝ち目はありません!」
「で、でも――!!」
「レオ!!」
レオはビクッとして振り向くと、シャーロットが腰に手を当てたまま顔を赤くしていた。
「気持ちは分かるわ。でも今は私を安全な場所まで避難させるのを優先して!」
レオは謝るとシャーロットの手を引こうと手を伸ばす。だが彼女は「ちょっと待って」と言うと部屋の奥に行き、細身の剣を携えて戻ってきた。
「戦うおつもりですか?」
「念のためよ。でも戦うのは無理。だからレオ――」
シャーロットはギュッとレオの両手を握りしめる。レオの方が背が少し上のせいか彼女は上目づかいになってしまっている。だがその目は今彼を握りしめている手と同じくらい力強いものだった。
「私を守って」
「もちろんです! 私はシャーロット様の護衛ですから」
「頼もしいわね。さすが勇者といったところね」




