2話
「な、なんだ!? 誰だ邪魔した奴は?!」
勇者は取り乱しながら走り去る馬の方を見た。そこには馬から華麗に飛び降りるベルムの姿があり、背負っている大剣の柄を片手で握り全速力でウールの元へと駆けつけようとしている。
「魔王様あああああ!! ご無事ですかああああああ!」
「ベルム?! よくやった、それでこそ我が配下だ!」
ベルムはウールのそばへ駆けつけると庇うように前に立った。目はギラギラと輝き怒りを露わにしている。
「勇者よ! お前に魔王様を殺させはしない! 魔王様の忠実なるしもべであるこの吾輩が、お前を始末してやろう!」
「クソッ!! 油断させておいてこうするつもりだったのか! 卑怯な手を!」
「いやそのつもりは無かったのだが……。まあいい、ベルムよ! 勇者を殺せ!!」
大剣の柄を力いっぱい握りしめながら勇者に向かってベルムは走る。勇者もまた渾身の雄叫びをあげながら剣を高く振りかざし突撃する。
二人の距離が徐々に縮まる。そして互いの剣が風を斬り、火花を散らしてぶつかり合う。
勇者の剣がカキンと音を立てて真っ二つに折れた。
対してベルムの右腕がポキっと乾いた音を立てながら綺麗に折れた。
「あ……」
三人は呆然としたまま立ち尽くし、居心地の悪い微妙な空気があたりに漂っていた。どこかで鳥の鳴き声が聞こえ、それを合図にしたようにウールは口を開く。
「ベルム……お前そんなに貧弱だったか?」
「そんなはずは。最近戦いなんて全くなかったとはいえこれ程弱くなるとは――」
ベルムは腕組みをし原因を考えようとした。だが彼が落とした大剣を勇者が今まさに奪おうとしている事に気が付くと慌てて走り出す。
「吾輩の腕を取るなああああああああああ!!」
勇者はボールのようにガツンと勢いよく蹴り飛ばされ、間抜けな声を出しながら数メートルほど飛ばされてしまった。
ピクピクと体を震わせている勇者をよそに、ベルムは右腕を付け直すと今度は大剣を左手で握る。
「これで終わりだ、勇者よ!!」
勇者は恐怖に満ちた表情で情けない声をあげながら右に飛ぶ。間一髪ベルムの攻撃を避けた。
彼の一振りは虚しく空を斬り、左腕がポトリと地面に落ちた。
「……ベルム、お前もかなり深刻なようだな」
ウールはどうしたものかと頭を抱え、ベルムはショックのあまり膝から崩れ落ちてしまう。だが勇者が再び大剣を奪おうとしているのに気づき彼はスッと立ち上がると勇者を再び蹴り飛ばした。
勇者は哀れな声をあげながら吹き飛んだ。そんな彼をよそにベルムはウールに退却するよう訴える。ウールは素直に受け入れるがすぐに仰天したような声をあげ、ベルムもつられて叫び声をあげてしまう。
「魔法が使えないのではテレポートが使えん……。おまけに杖も無い……」
「ええ?! それじゃあ城まで帰れませんよ?! どうするんですか?!」
「し、知らん!! 私に聞くな! お前も少しは考えろ!」
「いやそうですけど……。と、とにかく一度ここから離れましょう!」
そう言ってベルムが指笛を鳴らすと、先ほど彼が乗っていた馬が二人のもとに戻ってきた。
すぐさま馬に乗ったベルムは急かすようにピョンピョンと飛びはねているウールに手を差し伸べる。ウールは彼の手を掴むと慣れない様子でじたばたと足を動かしていたが、何とか無事に乗ることができた。
ベルムがすかさず威勢の良い声を出し手綱を引くと、馬は平原に響き渡る高らかな鳴き声をあげる。そして地面を駆る心地よい蹄の音を立てながらウール達は平原を駆けて行った。
♢
時間の感覚を失うほど無我夢中で駆け抜けた二人は、気づいた時には鬱蒼とした森の中を走っていた。
辺りに生えている木々は高く、空がほとんど見えないほどだ。森に住む生き物たちの鳴き声、ガサガサと草をかき分ける音がそこかしこから聞こえており、まだ陽は空高く登っているというのに不安感を覚えさせる。
ベルムは後ろを振り向きもう安心だと馬を止め、ウールを降ろすと木に馬を繋ぐ紐を結び始める。ウールはげっそりとした表情をしたまま木にもたれかかった。
「魔王様大丈夫ですって! 吾輩がついていますから!」
「まあそれは頼もしいのだが、私達はどういうわけかとんでもなく弱くなっているのだぞ? こんな状態で安心できるわけないだろう……」
「でも弱くなったのは偶然かもしれませんよ? 調子が出なかっただけですってきっと!」
「……そんな単純なものなのか?」
不安そうに上目遣いでベルムを見るウールに彼は励ますようにうんうんと何度も強く頷く。そんな彼を見てウールは元気を貰ったのか少し頬をほころばせた。
「そうだ魔王様、他の魔法を使ってみましょう! もしかしたら弱くなっているというのは思い込みかもしれませんよ?」
「そ、そうだな! 物は試しだ……『テレポート』!」
発動するのを疑わないほど勇ましい口調。しかし何も起きない。
「ま、まあ使えないのは分かっていた事だ、うん。ならば、『混沌の衝撃』! ああ、クソ! 発動しない! これならどうだ、『滅殺の炎槍』!! だああああああ!! 発動しない!!」
ウールは顔を真っ赤にしながら地団駄を踏む。土は飛び散りざわざわと木が揺れる。周囲にいた動物たちは驚きのあまりそそくさと去っていく。
「魔王様、もっと簡単な魔法を使ってみたらどうですか?」
「うっさい!! 私にとってこれが普通だったんだ!」
「そうなんですか、流石魔王様ですね! ところで魔王様、さっき唱えようとした魔法って名前も含めて全部ご自身で考えたものですか?」
ウールは「そうだ」と当然のように答えるとベルムは微妙な顔をしたまま曖昧な返事をするだけだった。
「なんだ? なぜ何も言わないのだ?」
「いえ、独特のセンスをお持ちですから返答に困りましてね」
「……ベルム、少し悪意あるだろ」
「そんなことないです! 心の底から尊敬の念を抱いていますよ。魔王様らしい理解し難いセンスも含めて!」
「やめろ、もの凄く恥ずかしくなってきた。ま、そんな事より今は魔法が使えるか確認せねばな。『ファイア』」
ウールの手のひらに小さな炎がメラメラと吹き出した。ウールは嬉しさのあまり子供のように飛びはね、ベルムはカタカタと音を鳴らしながら拍手をした。
「お見事です魔王様!」
「よ、よし! 初心者レベルの魔法だが一応使えるな! ならば次だ! 『ミドファイア』!」
しかし何も起きない。
ウールは失意のあまりふらふらと倒れ四つん這いになってしまう。あまりのショックにまるで全財産を失って自暴自棄になったように笑い始めた。
「嘘だ、ありえない……。こんなに弱くなるなんて……」
「ま、魔王様! どうか元気を出してください!!」
「そう言われてもこのザマだ、いったいどうしろと? ここは大陸の北部、魔王城はここからずっと南。テレポート無しに帰るには絶望的に遠い。おまけに二人とも恐ろしいくらい弱い。無理だ、終わりだ……」
「無理かどうかはまだ分かりません! とりあえず地図を見ながらこれからどうするのか考えましょう!」
そう言うとベルムは腰に下げてた袋に手をかけた。中から地図を取り出して地面に広げ指で現在位置を確認し、魔王城への道を模索し始める。
だが魔王城を指さした瞬間、ベルムは違和感を覚えた。
「あれ? 魔王城がなんだか薄くなってませんか?」
「は? 何言って――」
ウールが地図を覗き込み魔王城を表す記号と文字を見ると、つい見逃してしまいそうなほど薄くなっていた。薄さはさらに増し、やがて地図から跡形もなく消え去った。