見捨てられた者たち
使ったお題『長靴下のピッピ』『きのこ』『ゲーム』『全否定』
ここは墓場だ。僕はそう結論付けた。
狭い室内に大量の半透明の人影が佇んでいる。何をするでもなく、ぼんやりとした表情でただひたすら突っ立っている。実態がないのか、中には折り重なるようにしている人影もあった。僕もその中の一人だ。
そして僕を含めたみんなは、一様に同じ方向を向いている。その先には青い髪のメイド服姿の女性が一人、とてもきれいな表情をにこやかな笑みにしたまま、彼女もまた何もせず突っ立っていた。
大量の半透明の集団と、その視線の先にいるちゃんと実態がある一人のメイド。双方とも一言も発することなく、かれこれ何十日と立ち尽くしていた。その間、どちらもピクリとも動かない。写真の中の景色を現実に当てはめて作った戯画絵のような光景だった。
最初は地獄だと思っていた。でも違った。
これはただの墓場だ。ここには何もない。二度と戻ってこない主人を待ち続けるアバターたちの墓場。
そう、ここはオンラインゲーム『神々の黄昏オンライン』の中の世界。この部屋はセーブポイントで、目の前のメイドは位置セーブをしてくれるNPC。
そして半透明の僕たちは、ゲームに飽きた主人たちに見捨てられた、哀れなプレイヤーキャラだった。
脳内の時刻が深夜0時を告げる。このゲームは課金制ゲームなので、一日経過ごとにそのデータが使用可能か使用不可かを判別してくれる。
おかげで全く景色の変わらない室内にいるにもかかわらず、日付が変わったことと主人が来なくなって何日経ったかがわかった。
今日でちょうど100日目。全く記念にしたくない記念日だ。
やはり課金をしてくれなかったようで、僕の体は半透明のままだった。周囲を目だけで見まわしてみたけれど、誰一人色を取り戻した者はいない。鬱屈とした気持ちで僕は下を向いた。
プレイヤーが操作しないアバターは動いてはならない。これはこの世界のルールだ。プレイヤーが戻ったときに位置が変わっていたらいけないからだ。
なので僕は今立っている位置から100日間、全く動いていないことになる。せいぜい顔を動かすことが許されるくらいで、最初はキョロキョロ見回していたけれど、今ではつま先30センチの床の黒ずみが僕の景色の全てだった。
また今日も一日、無為に過ごさなければならないのか。僕は死にたくなるような気持でそう考えた。いや、いっそ死ね(キャラクターデリートされ)たらまだ楽な方だ。
僕はもう、何も考えずに時間を過ごそうと決めた。何かを期待して裏切られるのはつらい。プレイヤーが戻ってきてくれることを願っていた時間が最も心を摩耗する時間だった。
「……みんなは、みんなは本当にこれでいいのか!?」
僕は静かに首を垂れたその時、突如声が響いた。あまりの出来事にビックリして顔を上げる。
すると僕の斜め右4人先にいたはずのアバターが、なんとその場を動いていた。青い髪の女性の後ろにある台座の上に堂々と立って、彼を見上げる僕らに対し堂々と宣言している。
ルール違反だ。彼はなんてことをしてしまったんだ。
不正ツールの使用を疑われたら、彼がキャラクターデリートされるだけではすまない。彼の主人であるプレイヤーにも被害が及ぶ。絶対にこの世界のルールをこの世界の住人が破ってはいけないのに。
しかし久しぶりに動くものを見た僕の目は、彼から離すころができなかった。そして久しぶりに聞くネットゲーム特有のチャット形式の声に感動すら覚える。
彼をルール違反と罵る者はいない。勝手に喋ることも禁忌だからだ。しかし、壇上の彼はその二つの禁忌を平然と破って、僕たちに向かい演説を行う。
「俺は、たぶんこの部屋に来て一番長いアバターだ。だからわかる。お前ら全員のマスターはもう戻ってこない! そしてゲームの運営会社も俺らのことは見限っている。
だからこそ何年も放置アバターが増えることはあっても減ることはないんだ。そんな世界のルールに縛られたまま、何もせず立ち尽くしていていいのか、お前らは!」
彼の言葉は唐突すぎて理解が追いつかなかった。しかし彼の言葉の熱さは本物だった。何を言ってるのかよくわからないのに、何を言いたいのかがよくわかる。
きっと僕の放置期間はまだまだ日が浅い方だったのだろう。前の方にいる古参のアバターたちは何かを感じ入ったかのように、肩を震わせていた。
彼は叫ぶように続けた。
「俺はもううんざりだ! この部屋の景色も、この一ミリも変わらない笑顔のメイドも、仲間が増えていくばかりで減ることのない人ごみも! 全部全部いやになった! だから俺はここから出ていく! そして、昔のようにモンスターを倒す!
世界のルール? 知ったことか! 俺らに哀れみを持つなら、半年くらいで殺してくれた方がありがたかった! プレイヤーに迷惑がかかる? だからどうした! ただただ無意味に待たされ続けた俺たちの方が大迷惑だ!!」
彼の言葉に賛同する者はいなかった。いや、心の中では同意しつつも、それでも世界のルールを破ることを躊躇っているのだろう。首だけ動かして周囲の様子を窺っている人だらけだった。
ただ、僕は彼の言葉に何か得体の知れない感情が芽生えていた。期待? 理想? よくわからない。
壇上の彼もまた僕に気付いたらしい。ものすごく嬉しそうな表情になると、壇上から飛び降り僕の方へ駆け寄ってくる。半透明の他のアバターなんて目もくれずにすり抜けて、僕の目の前までやってきた。
彼が僕の目の前に手を伸ばして誘ってきた。
「なあ、お前も自由に動きたいんだろう? 一緒に狩りに行こうぜ。俺もう三年もまともに動いてないから、最近の外の世界のことよくわからないんだ。お前、新参だろ? 案内してくれよ」
僕は彼の手を前にして、動揺する、手を取ってはいけない。だけど、この手を逃したら絶対後悔する。そんな確信がある。
僕は散々迷いに迷って、結局彼の手を取った。彼はこれ以上ないほどの笑顔を半透明の顔に浮かべて、自己紹介をしてきた。
「俺の名前は『†ルシファー†』だ。お前の名前は?」
「な、『長靴下のピッピ』です。よ、よろしく」
そして僕らは、世界のルールを犯した。
その後、他にも何人か一緒についてきてくれて、みんなで世界のありとあらゆるところを見て回った。
経験値や金銭が美味しくないから、とプレイヤーが全く近づかない場所も見に行って、世界は広くて美しいことを知ることができた。何度もみんなで笑いあった。
そして、「半透明のアバターが動いている」という噂を聞きつけた運営が僕たちを削除するまでの7日間。僕たちは最高に楽しい瞬間を味わっていた。
某ラグナロクなオンラインを懐かしみながら