冷たい肌 「8」
私は帰宅する前に事務所に立ち寄った。日曜は休日で誰も出社していない。もちろんキーは持っているので書斎がわりにすることした。記憶と感触が薄まらないうちにデッサンをいじりたいと思ったからだ。数時間前に見た、触れた彼女のイメージがまだ残っている。穏やかなうねり、しなやかな張り、そんな感覚だ。鉛筆を握り、そして消しゴムを掴み必死にイメージを表現しようと1時間も格闘したろうか、窓の外を見ると街はすっかり夕闇に包まれている。少しづつ日脚が延びてきたが冬の日没は早い。続きは明日の早朝にすることにして歩いて10分ほどの自宅に向かった。
早朝に続きをと考えたのは誰にも邪魔をされずに制作を続けたいからだ。描き上げれば家族にも、もちろん妻にも見られて構わないのだが制作中に覗かれるとどうも気になって仕方ない。普段も自宅に誰もいない時間にBGMに好きな音楽を流したまま制作する場合が多い。
三日程早起きを続けるとデッサンとしてはこれで完成と思える仕上がりになった。普段はデッサンにこれ以上手を加えることはないのだが背景に水彩絵の具で少し彩色をしてみた。彼女に見せるためにと考えたことだが気に入られるかどうかは分からない。私としてはとても油彩画としてキャンバスに表現する自信はないが、約束だからデッサンを見せないわけにはいかない。あとは彼女の気持ち次第だ。まな板の上の鯉になったつもりでメールを送った。
ところが二日経っても三日経っても返事が来ない。とうとう3月も半ばになるのでさすがに心配になってきた。あの日のことで完全に愛想を尽かされたか、なにかトラブルでも起きて私のデッサンどころではなくなったのか?私は気になって仕事も手につかないし、ほかの絵の制作も進まなくなってしまった。
以前に携帯の番号は聞いているので思い切って電話をしてみる事にした。待ち合わせでトラブルが起きた時のためにとお互いの番号は知らせてある。いろいろ考えて日曜の午前中が一番支障なく話ができるかと考え携帯の通話ボタンを押した。4コールで「はい、コウノミユキの電話です」聞き覚えのない女性の声が流れる。「えっ、あの…」言葉が続かない。「私はみゆきの母のマサヨと言います。佐野先生ですね、画面にお名前が表示されたんで代わりに私が電話を取りました。先生のことはみゆきから色々と聞いています。先月も先生とご一緒して美術館に行ってからスペイン料理を食べてきた、と嬉しそうに話してくれたのをよく覚えていますよ。その少しあとです、みゆきが亡くなったのは」私が聞き間違えたのか、聞き直そうとするが言葉がみつからない「えっ、なに…」母親と名乗る女性が話を続ける「やっぱり先生もご存じなかったですね、私だって、あれからそろそろひと月も経つのにウソみたいです。こうしてみゆきの電話に私が出たのも誰から電話があるか分からないと思ってずっと私が持っているからなんです。急な事だったんで誰に連絡すればいいのか分からなかったし、誰彼構わず電話するわけにもいかないし。メールも来ているようですけどいくら親子でも勝手に読むのもどうかと思って見ていないんですよ。ただ電話をいただいたかたの中には私の知らないみゆきの大切な方もいるかと思ってこうしてずっと持っているんですよー」どうも私は母親の前では先生という事になっているようだ。急に信じろと言われても無理な話だが母親が悪い冗談を言うとも思えない。頭がグルグルする。「あのー冗談なんかじゃないですよね?いつ、どうしてそんなことに?」「えーと 先生がみゆきと美術館に行ったのは2月12日の日曜でしたね、あら、ちょうど1ヶ月前でしたね」カレンダーを見ながら話をしているようだ。「あの日は夕方帰ってくるなり嬉しそうに先生のこと話してくれましたよ。たくさん絵を観てからスペインレストランで絵の話を聞いて(先生は絵画の世界をわかりやすく説明してくれて楽しい、先生の絵も見せてもらってステキだった、私 恋をするかも)なんて久しぶりにあの娘の笑顔を見たのを覚えています。先生にはいろいろとお世話になったようで本当にありがとうございました。あの娘は1月にも急に具合が悪くなって、なんでもひどい不整脈が出たらしくて入院したんですけど、1週間ほど入院して点滴と投薬で良くなって退院したんです。一過性の症状だからもう大丈夫だろうと病院の先生にも言われてほっとしたんですけど、それが先月の20日の朝、急に胸が痛いと苦しみだして救急車で病院に運ばれたんです。結局は急性心筋梗塞でそのまま息をひきとりました。私だって急なことで悲しくて寂しくて途方にくれてオロオロするばかりだったんですけど最近やっと少し落ち着いてきたところなんです」母親のマサヨさんは話し好きなようでどんどん話を進めてくれるので、うまく会話を続けられない私は助かる。「あの、みゆきさんはご主人がいらっしゃるんですよね」恐る恐る訪ねると「あら、あの娘も先生にお話ししにくかったんですかね?10年近く前になりますか、旦那という人は色々と問題の多い人で一人息子のケンタロウを置いたまま家に寄りつかなくなってしまったんです。それからみゆきは1年ほどかけて協議離婚の手続きをしたんです。通夜の晩だって早く来たんですがすぐにコソコソと逃げるようにいなくなってしまったんです。かわいそうなのはケンタロウです。来月には中学2年生になるんですが(ボクは、ばーちゃんがいれば寂しくない)なんてカラ元気を見せているけど一番つらいのはあの子なんです。土日は毎週サッカーの練習があるからって早く出かけていくけど、どれだけ我慢しているか。そうそう、葬儀にはみゆきの会社の方たちも大勢来て頂いて、ご存じでしょうか?私、何度聞いても覚えられないんですけどみゆきはカタカナでナントカという外資系の会社の本社の受付をしていたんです。みゆきは(私は少し英語が話せるから当分リストラには引っかからないから安心よ)と言ってましたが、外人の上司の人も弔問にみえて、とても残念で悲しいってお悔やみを頂きました。会社でもみんなに好かれようにと頑張っていたようです。」少し話がおかしいのに気付いた私は「あの、みゆきさんが亡くなったのは2月20日なんですか?」と訪ねると「はい、そうですよ。間違いありません。通夜の晩にサトミと、あっ、大宮に住んでる私の妹なんですけど、サトミが(みゆきちゃんもあと二日で35歳の誕生日だったのに、どうしてこんな事になったんだろうね、ケンちゃんも大きくなってこれからが楽しみなのにどうして、まだまだやり残しことがあるだろうし、みゆきちゃんかわいそうだよ)なんて話をしてたんですから。みゆきは2月22日が誕生日だったんです。先生、もしよろしければウチにお参りに来てくださいますか?みゆきも喜ぶと思います。祭壇もまだあるし私は大体遠くには出かけませんから。5月の連休に私の主人のお墓に納骨するつもりなんです。ウチの住所わかりますか?」私の頭は大混乱を起こしている。「はい、ありがとうございます。お伺いさせて頂きます。住所は分かります」私は大うそつきだ。どんな顔をして彼女の祭壇の前に立てるものか。今は、頭の中がグルグルするだけでなくカラカラと音を立てて何かが崩れ落ちていくようだ。「都合の良いときに電話くださいね、お待ちしてますよ」「ありがとうございます。また連絡させていただきます。」私は見えないマサヨさんに頭を下げてから電話を切った。
マサヨさんと話ができた事でたくさんの知りたかった情報を手に入れる事ができた。しかしあまりにも衝撃的な事実も知らされる事になった。私は息をするのも苦しくなり、動悸が激しくなっている。
混沌とする頭の中を整理してみよう。小刻みに震える手で机の上にスケジュール帳とスケッチブックを広げてみる。スケッチブックには間違いなくみゆきさんのデッサンが何枚か描かれている。中には背景に彩色されたものもある。スケジュール帳の2月12日の欄には(B美術館 M)と書いてある。MはもちろんみゆきのMだ。2月26日の欄には(Eホテル M)とある。間違いなく私の書いた文字だ。この2週間の間に2月20日(みゆき急逝)が入ることになる。おかしい、2月12日に美術館に行ってからスペインレストランで食事したのは間違いない。そして2月26日はたった2週間前の事だ。忘れる訳がない。ロビーで待ち合わせをして部屋に入った。美しい裸身をスケッチして、それから二人で至上の空間を彷徨った。タクシーを飛ばしてラーメンを食べに行って、そこで別れた。私が心を奪われたみゆきは間違いなくみゆきだった。あのときのみゆきは誰だったのか?
私の左手がが初めてみゆきの腰に触れた時、滑らかではあるがひんやりとした感触があったのをあらためて思い出す。
冷たい肌、それは温度ではなく心の感触。