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あの頃の僕は  作者: うえのきくの
9/12



  あれからいくつか季節がめぐって、寿が大学を卒業した。そして僕と同じ小学校の教員になった。

 進路が決まってからの寿はなんだかそわそわして落ち着かない。なにも相談してこないので、環境が変わると寿みたいに落ち着いた子でも浮き足立つことがあるんだな、程度に微笑ましく思っていた。


 ある日、それは新学期が始まって、布団でも干そうかと窓を開けていた時だった。

 玄関の呼び鈴がなる音に、僕は頭を傾げる。寿は珍しく、用事があるからと今日は来ない。休みの日にわざわざ訪ねてきてくれる友人も悲しいかないない。

 僕はいぶかしみながらドアを開けた。

「和文ー、おはよう」

「……母さん、なに、それ?」

 朝の爽やかな空気の中、母が立っていた。しかもなぜか黒留め袖を来ている。

「えっ……と、今日ってなんの日?」

「まあ、いいからいいから。出掛けるわよ。早くいらっしゃい。顔くらい洗ってきてねー」

 訳もわからぬまま顔を洗い、なんだかわからないけれどスウェットは不味かろうと、シャツとジーンズを身につけた。

 外では母が乗ってきたと思われるタクシーが僕らを待っていて、そのまま押し込まれ車は動き出した。

「ねえ、なにこれ? どういうこと」

「さあ? とにかくいかなくちゃ」

 腑に落ちないけれどしょうがない。僕は何が起こるやらと半分あきれながら窓の外に目をやった。


「……藤原写真館?」

 十五分くらい走っただろうか。車は白い建物の前に止まった。一端が三角に尖った変わった形の建物。撮影スタジオを持った写真館のようだ。一部は一階から二階まで吹き抜けの空間をガラスが覆っているようだ。内側は白いカーテンがかけられて中をうかがうことはできない。別の窓ガラスには、端午の節句の子供たちの写真が額に飾られて並んでいた。

「急いで皆さんお待ちかねよ」

「は? 皆さん……て」

 写真スタジオの中に入るとさっきの吹き抜けに沿った階段のしたにこれまたモーニングを着た父親が立っていた。

 ああ、なるほど。結婚記念日に家族写真か。どこでそんな高尚なことを聞いてきたのか……ん? 両親の結婚記念日は確か十月だ。それではこの騒ぎは、一体なんだと言うんだろう。

「おはよう和文。さ、急いで」

 父は僕を二階に連れていこうとする。いや、さすがに変でしょ。

「だから、なんなのこれ?」

 すると父は少し頬を染めて(なんだそれ気持ち悪い)行けばわかるよと言った。


 外側から見たカーテンがかかった吹き抜けの窓は赤い絨毯が敷かれた階段だった。ここも自然光を利用して撮影に使われるのだろう。飴色に輝く手すりが美しい。

 そこをあがって二階は薄暗かった。どうやらここがスタジオになっているようだ。奥の方はライトが当たって明るくなっている。そこを目指して進んでいく。

「……」

 なに? 光の中には寿がいた。天井から下げられた白いスクリーン。その上にまっすぐ立っている寿もシルバーのタキシードを着ていた。フォーマルなんて着ているところは初めて見たが、身長があって肩幅がしっかりしているのでよく似合っている。

「……寿、なんなのこれ?」

「おはよう、和文さん。あのね、俺大学卒業したし、就職決まったし、約束したでしょ?」

「約束?」

 スクリーンの上に僕を招き寄せると、スッと足元にひざまずいた。そして左手をとって言った。

「和文さん。僕と結婚してください。法的に無理なのはわかってる。職業柄きっと養子縁組とかも難しいとは思う。だけど、一生一緒にいる約束を形に残したいんだ」

 寿がポケットからそっと取り出した小さな箱が開けなくてもなんだかわかってしまった。僕は溢れる涙を押さえることができなくて、されるがままに指輪をはめられていた。

「和文さん、返事は……」

 箱の中にもうひとつあったシルバーを手に取り、目を細めた。内側に文字が彫ってある。

 eternally……ずっと、か。

 そんなの、Yes以外にあるわけないじゃないか。

「離さないからな……一生」

 僕は渡されたリングを寿の薬指に挿しながら、歪みそうな唇を必死でこらえる。涙声のみっともない返事が白い光の中で、それでも輝いた。


 きゃあっ!!

 後ろから急に聞こえた歓声にビクッとして恐る恐る振り返る。そこにいたのは僕の両親を始め寿のご両親、弟の誠人。それに事情を知っているだろう寿の友人が数名。それに

「え、紗月?」

「呼んじゃったー。喜んで来てくれたんだよ!」

 今の出来れば穴を掘って埋めてほしいくらいの恥ずかしいシーンをこともあろうか紗月に見られていたなんて。

 彼のとなりにはモデルのようにすらりとしたきれいな女の子が立っている。そうか、彼女が紗月が好きになった人なんだね。

 彼女と寄り添う紗月は最後にあったときよりずっと大人びて見えたけれど、寂しくはなかった。笑い合う二人に、ただ嬉しさしかこみ上げてこない。

 僕の視線に気がつくと紗月は口の形だけで『おめでとうございます』と言った。僕も『ありがとう』と感謝を返す。紗月のいる優しい思い出までが祝福してくれているような気がした。


 子供だった紗月と、少し若い僕が一緒に見た忘れられない星空。  

 僕たちはあの夜からもう戻れない遠いところまで来てしまったけれど、もっと遠くへ行こうとしている。そしてこれからは今となりにいる人が一緒に歩いてくれる。

 僕らの道は険しく、きっと平坦ではない。それでも進んでいく。理由なんかない。生きていくのに意味なんかいらない。

 たったひとつ、答えがあるとしたらたぶんきっとそれは寿だ。

 彼がいるから、彼にために、そんなことじゃない。

 寿はもう僕の半身だ。もし離れなければならなくなったら、腕を切り落とすような苦痛を僕に与えるだろう。

 それが怖かったときもある。でも、僕たちは出会ってしまった。だからその怖さごと、失ったときの痛みもすべて、引き受けなくてはいけないのだろう。

 きっと、寿もわかっている。その決意の指輪なのだろう、薬指に光るプラチナは。

 紗月に笑いかける。

 僕は行くよ。どこまでも歩いていく。辛かったこと間違えたこと、幸せな思い出を全部引きずって僕は行く。

 思いが通じたかのように紗月も泣き笑いのような顔をした。


 ひとしきり歓声が収まると、僕は隣の控え室に放り込まれ、スタジオの人にタキシードを着せられた。寿のとほとんど同じ形で色だけは真っ白だ。着せてくれたのは男の人でここのご主人だろうか。「これはフロッグコートっていうんですよ」と教えてくれた。

 中に上着と同じ色のベストをつけ、水色のネクタイを変わった形に結んでくれる。

「じゃあ、これで出来上がり」

「……これは?」

「ブートニアっていってね、本当は花嫁さんのブーケから一輪もらうものらしいです。まあ今日は該当する人がいないので、うちの奥さんがお揃いで作ったんですけどね」

 僕につけられたネクタイと同じ色が使われた小さな花束。長さのあるピンで器用に僕の胸に止め着けた。     

「すみません、こんな……男同士の結婚式なんて。こちらにご迷惑になったりしないでしょうか?」

「どうして? 素敵じゃないですか。誰とも巡り会わないで一生終える人だっているのに、愛する人に出会えるなんてホントにすごいことなんですよ。あ、あのね、写真はうちの奥さんが撮るんだけど覚悟してくださいね。本当に幸せじゃないと見透かされちゃいますよ?」

「え、見透か……?」

 なんのこと? とは思ったが、今の僕に見透かされて困ることなんて怖いくらいにない。いっそ、全部持ち出してみんなに見てもらいたいくらいだ。

 「うちね、幸せになる写真館なんていわれて、ちょっと名前が知られてるんだよね。奥さんの写真、すごいから楽しんで撮ってきてね?」


 着替えを終えた僕は先ほどの男性に先導されてみんなの前に立った。

「はーい、魅惑の花婿の出来上がりー」

「やっ……やめてくださいっ!」

「ううん、和文さん似合う。カッコイイ!」

「そんなの、寿だって……」

……しまった。まさに式場裏での式直前カップルのような会話に、回りの方が赤面してるよっ! 親の前で何でこんな恥ずかしいこと言っちゃってんだ僕は! 羞恥で死ねるってこの事だねっ。


「それでは、おふたり。どうぞこちらへ」

 件の奥さまだろうか。小柄で優しく微笑んだ女性が僕らを誘導した。さっき寿が上がっていた白いスクリーンの上にふたり並んで立ち

カメラを見つめる。

 細かいポーズ指導があり、さあ撮りましょうと奥さんがカメラを覗いたときだった。

「うわぁー……。基樹ー、ティッシュちょうだーい。なんだろ、涙出てきた」

 鼻の頭を少し赤くして、本当に奥さんの両目からは涙がボロボロ溢れていた。ご主人から受け取ったティッシュで顔を拭き鼻をかみ、落ち着くとカメラの前に戻ってきた。

「うー、お待たせしちゃってごめんなさい。なんかすっごいいい写真がとれそうで胸が一杯になっちゃって……じゃあ撮りますね?」

 キリリとした顔に戻った彼女がファインダーを覗く。

「はーい、じゃあ、こっち見てください……うん、お口開けないで笑ってみて?……いいですね。お客さんの方に顔だけ向けてみましょう……あ、凄くいい!」

 和やかな雰囲気の中シャッターを切る音が無数に聞こえる。柔らかい声で指示を出しながらその手は止まらない。

「一緒に斜め右上を見てください……そう、あの照明のあたり……いい!カッコイイー! じゃあ未来の方見てみましょうか?」

 それまで少し調子にのってモデル気分でポーズに応じていたが、一瞬固まった。未来の方? それがどこを指しているのかわからず、困惑して寿を見た。寿も僕を見ていてそれは始めてみる顔で。

 いつも優しい男だけれどもっと深い、大きな。

 誰かを愛している人はこんな表情をするのかもしれない。苦しい、切ない、でも、それを覚悟している人の顔。

 いま、きっと僕も同じような顔をしている。寿の目に映る僕が寿を愛している僕の形でありますように。


 シャッターを切る音が連続で聞こえても僕は、指先さえ動かすことが出来なかった。そっと背中に回った温かな腕に僕のすべてを預けてしまったから。


 そうか未来は、寿。お前のことなんだ。


 その後も、来てくれたみんなと一緒に撮影したり、なんと紋付き袴バージョンを撮ったりと大騒ぎの休日は過ぎていく。

 撮影が終われば、写真館のお二人も巻き込んで、近くのイタリアンレストランで披露宴という名の飲み会に突入。嵐のような休日はあっという間に終わった。


──僕の手元にはあの日の写真がある。あれからずいぶん経つけれこれをまだじっくり見る勇気がない。

 なぜなら僕は、僕が知らない顔をしていたから。


 篤生を失った僕、社会を遮断した僕、夢を見つけて踏み出した僕。

 絶望を見た僕、ボロボロになった僕、そして寿に会えた僕。

 色々あったけど一緒に歩き出した僕ら。


 そんなたいして長くもないけれど、僕らにとっては大切な歴史のひとつひとつ。そんなものたちが表情のすべてからあふれでているように見えるから。


「ただいまー。あ、今日は和文さんの方が早かったね。あー、お腹すいた。すぐに作っちゃうからねー」

「うん。一緒にやる」

「そういえば、今日、学校でね……」

 こんな奇跡のような愛しい平凡な日々。

 どうか、この写真たちのようにいつまでも輝き続けますよう

に──。




25日を過ぎるといきなり年末モードになりますよね。

『あの頃』は年内で完結予定です。お忙しいところ恐縮ですが、ちょっとだけお付き合いいただけると嬉しいです♪

明日も23時頃お邪魔します。

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