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あの頃の僕は  作者: うえのきくの
2/12



 小学校を卒業する頃には、小学校の先生になろうと決めていた。先生みたいになりたかった。

 遅れていた勉強も頑張った。集中してすることがあるのはとてもよかった。目の前のことに必死になって取り組んでいる間は、あの夜のことを思い出さないですんだから。

 小学校を無事卒業して、地元の中学、高校に進んだ。高校は学区内では進学校だった。


 そして僕は十七才。───初めての恋人は、男だった。


 相手の積極的なアプローチに折れる形で付き合うようになった彼は、そうなってみるととても可愛い男だった。

 僕らの学校は共学だったのだから女の子もたくさんいたのに何で僕? と聞いたことがある。

 彼はとても困った顔をして「わかってるよ、ぼくがおかしいことくらい。でも、なにをしてても和文のこと考えちゃうし、何より大事に思っちゃうんだもん、仕方ないよ」と言った。


 彼はおかしいのだろうか? 男なのに男を好きになったから?

 それならきっと僕だっておかしい。だって彼の告白を受け入れた。

 どうして? 好きだと思ったからだ。一生懸命気持ちを伝えてくれて、何度も諦めないで思ってくれていた。

 いつも一緒にいて、同じことをした。同じものを見た。

 校舎の影から見る夕日がきれいなことも、話題の映画がいまいちなことも、新しくできたアイスクリームショップは女の子だらけで、二人でいったら浮きまくりなことも、いつも二人で。

 どの友達より大切に思って、どんな時間も彼を想った。

 どんなに方向を変えようと思っても動かない視線。動かない心。その人がそこにいないと全ての輝きは失われ、その人がそこにいるだけで世界に色が戻る。

──そうか、それが恋か。


 けれど僕は彼と付き合うことで、自分でも気がつかなかった箱のふたを開けてしまうことになる。


 それは初めて彼の家に誘われたとき。

 そんな予感はお互いあった。彼はうつむいて、今日は両親が帰ってこない、と言った。

 男同士の行為を僕はよく知らなかったし彼も不安そうだったけど、それでも僕らはお互いに不器用な手を伸ばした。愛しい存在に触れるために。

 くちびるに触れ、髪に触れ、首筋に触れる。そのまま彼を組み敷いた。

 彼がじんわり頬を染めるのを可愛いと思いながら、その胸に顔を埋めた瞬間、閉じた目の裏で僕を誘っていたのは記憶より大人びた篤生だった。

 見慣れぬベッドの上でシーツに黒い髪を散らし、僕を見ていた。いつも少し笑っているような口元が、僕の名前を呼んだ。

 途端に僕の体はカッと熱くなり、彼のシャツを剥ぎ取る勢いで脱がせ噛みついた。


 ──気がついたときには息を荒くした彼が涙をこぼして横たわっていた。服も髪も乱れ、身体中に僕がつけた赤紫が散っていた。その腹にはふたり分の残骸が残り彼が呼吸をする度にこれ見よがしに揺れた。

 僕は泣いている彼に酷いことをしてしまったんじゃないかと思い謝ったが、そうではなかった。

 いきなり豹変した僕に驚きはしたものの、激しく求められて嬉しかったんだと言った。

 そして僕のことを今までよりももっと好きになった、と言った。


 でも僕は知ってしまった。あの頃の僕の篤生への想いは、あれは初恋だったのだと。そして今、僕は彼ではなく篤生に触れたのだと。

──そしてこの想いは、もうどこにも行き着くことがないのだと


 彼とは高校の間付き合っていたが大学が離れてしまってから徐々に連絡が途絶えがちになり、自然に別れてしまった。

 噂では同じ大学の背の高い男とルームシェアをしているというから、きっと楽しく幸せなのだろう。

 そして僕はといえば、彼を失って更に、気づいてしまった篤生の影を探す気持ちを押さえることができなかった。

 夜に駆り立てられるように街をさ迷い、少しでも篤生に似た男がいれば誘い、時を過ごした。

 誰でもよかった。どっちでもよかった。

 眉毛の形が似ていた、歯並びがこんな感じだった。指の形、同じほくろ、顔の横を掻くクセ。

 名前も知らないことがほとんどだった。

 そのうち本当の篤生の顔さえ記憶のなかで崩れていく。何を基準に男を選んでいたんだっけ。ゲシュタルト崩壊。


 何度か会った男もいたけれど、みんな離れていった。僕の扱いがあまりに酷いのはわかっている。

 最中に違う男の名前を呼ぶし、用がすんだらさよならだ。

 そういうドライな関係を好むやつも少なくはなかったが、彼らの方はこちらからお断りだ。大抵アブノーマルなプレイをしたがる。

 悪い評判がたっても、誰にどんな風に思われたって構いやしない。

 だって、誰も篤生じゃないんだから。


 そんな爛れた生活をしながら数年後の春。

 小学校の教師に採用されて配属されたのは、なんの因果か僕の卒業校だった。

 校舎や体育館は老朽化とやらで数年前に建て替えられ、懐かしくもないのが救いだ。何もかもあの頃のままだったら、僕は間違いなく狂っていただろう。


 僕は一年生の副担任に就いた。とはいえ僕だって一年生だ。担任のあとについて回り学んでいくしかない。

 しかし、子供たちは僕らの頃とは様変わりしていて驚いた。

 基本みんなインドアで、昼休みに外で遊んでいるのはほんの一部の子供だけだ。残りの子達はみんな教室に残り読書やカードゲームに興じている。

 上級生に遠慮したり勝手がわからないのかと、何度かこちらから誘ってみたが、ビックリするほどリアクションがない。

 担任も「おうちからも怪我させないようにって言われちゃうからなかなかねー。私たちの頃とは違うのよね」とぼやいていた。授業でだって大変なのに、昼休みに遊具から落ちて怪我でもされた日には上へ下への大騒ぎになるらしい。

 自分がこの職について、ああよくテレビで見るニュースはこの事かと気がついた。それほどに前しか見ていなかった自分に軽くあきれた。

 でもきっと、そうしなければあの夜に足をとられたまま、前にも後ろにも進めなかったのだろう。


 同じ学年を二年見て卒業生の副担を一年やったあと、正担任の話をいただいた。五年生だ。通例では担任は二年づつ持ち上がるので、卒業までこのクラスを受け持つことなる。

 新しい出席簿を持って新しい教室に入る。最初の一日はいつも背筋が伸びる特別な気持ちがする。

 おはよう、と元気よく声をかけた新しい生徒たちのなかに、篤生がいた。

 自分がおかしくなったのかと思った。篤生を思いすぎて会いたくて、仕方なくて幻覚でも見ているのかと思った。

 穴が開くとはこういうことかというくらい僕は彼を見つめた。篤生も僕を見ていて、お互い時が止まったかのように見つめ合い立ち尽くしていた。

 消えていた回りの音が急に聞こえて、僕ははっとする。きっとほんの一瞬のことだったのだろう、それでも慌てて教卓に向かった。

 まだドキドキしている。篤生もまだ僕を見ていた。不思議そうな、澄んできれいな瞳で


 彼はいったい、なんだ。あやふやになっていた篤生の輪郭が急にピントが合って目の前に現れたようだ。でも彼は僕を知らない。そういう顔をしている。入ってきた担任がじっと自分のことを見ている居心地の悪さを感じているのだろう。

 他人のそら似。よくある話だ。自分がタイムスリップでもしてしまったのではないだろうかとファンタジーなことを考えてしまう程度には動揺していた。ああ、もしかして篤生の弟、では年齢が合わない。

 出席をとれば彼は長沢紗月という別人だった。血縁でもない。

 それでも一瞬現実離れしたことを考えてしまうのも納得なほど、彼は篤生に似ていた。


 外で遊ぶのも好きだけど、本を読むのも好き。笑った顔もふてくされた顔も。なぜか左右に跳ねてしまう髪、興味のあることをしているときのキラキラした瞳。

 さりげなく友達を気遣うことのできる繊細さと、男女問わずに仲良くできる気さくさと。

 彼といると時々小学生に戻ったような錯覚をしてしまう。僕が、僕らが実際には体験できなかった五年生に。


 サツキはなぜだか僕にとてもなつき、いつも僕の回りをぐるぐるしていた。昼休みに遊びの誘いに来たり、僕が顧問をするクラブに所属したり。いつもそばにいて離れようとしなかった。

 僕は僕で、彼を甘やかしたくてでももちろんそんなことはできなくて、苦しかった。それでも自分にできる範囲で、他人から見ておかしくない程度でサツキに気をかけた。


 夏休み前、お盆の頃に流星群が見られるということをどこからか聞き付けたサツキたちが、みんなで観賞会をしたいと言い出した。

 サツキも篤生と同じように宇宙や星座に興味を持っていた。

 すごい数の流れ星が見れるんだよー、みんなで見れたらサイコーなんだけどな。先生も一緒に見ようよ、と興奮ぎみに誘ってくる。


 深夜に子供たちを集めるなど無理ではないかと思ったが、子供たちの熱心さに負け、学年主任や教頭に掛け合った。発案が生徒だったせいか、クラスのPTA役員や他の先生がたも参加してくれることになり、許可が降りた。

 子供たちの前でそれを発表すると、窓ガラスが震えんばかりの歓声が上がった。

 中でも首謀者のサツキは席から立ち上がり、手を叩いて喜んでいた。僕も子供のようの浮かれていた。


 八月の中頃。僕らは深夜学校の裏山に集まって、同じ星空を見上げた。小学校は住宅街にあり、時間が深まれば灯りもなくなる。お陰で空はきれいに見えた。

 レジャーシートに転がったりデッキチェアに体を沈めたり、みんな、思い思いのスタイルで空を見上げる。

 それはとても貴重な体験だった。

 幾十もの星が飛び去っていくのを始めこそ歓声をあげて見ていた生徒たちも、そのうち押し黙った。圧倒的な星の数に恐怖さえ感じる。


 僕は持ってきたシートに転がって星を見ながら考えていた。

 宇宙に比べれば僕らはあまりに小さく、なんて儚い。焦がれて、でも手を伸ばしても触れることもできないその人にそっくりなサツキをどうすることもできないジレンマを抱えているなんてバカみたいだ。

 道徳的に考えて、自分のこの想いは間違っている。彼らは守るべき存在だ。決して大人の欲望で汚していいはずがない。

 わかっている。そんなことは誰に言われなくてもよくわかっている。

 それでも、彼をいとおしく思ってしまう気持ちをどう扱ったらいいのだろう。

 性の対象にしたいわけじゃない。ただ近くにいて自分の気持ちを知ってほしい。悲しかったこと辛かったことを聞いてほしい。篤生がしてくれたように、優しく笑いかけてほしい。それだけだ。


 ちっぽけな僕にはそんなことで悩んでいる時間だって惜しいはずだ。無限の時を刻む宇宙と違い僕の人生なんて一瞬だ。

 そろそろ日付が変わる頃、静かに僕の横にサツキが寝転んでいた。 気がつかなかった。

 サツキもなにも言わず空を見つめていた。少し茶色がかった髪はきっと、いつものように右に左に跳ねているのだろう。投げ出した手が僕のすぐそばに落ちているのが、そこだけ暖かく感じる体温でわかる。

 だけど。どんなに宇宙が広くて、僕の悩みがちっぽけで、人生など一瞬の幻だったとしても、僕はその手に触れることは出来なかった。

 どうしてもどうしても、気が狂うほど欲しかったのに。

 きみのその、キラキラした魔法のような手をつかむには、僕は汚れすぎてしまった。

 例えば、大人になるまで、法律が許す年齢になるまで待たせてほしいと言うこともできただろう。でも、それも言わなかった。彼が、そんな気持ちで僕を見ているはずがないのだ。二十七歳と十一才で、ふたりの間に何が起こるというのだろう。しかも男同士で、教師と生徒で。

 

 耳がワンワンと鳴っている。静かすぎる周囲に耳鳴りがしているのだろう。

 他の人たちから離れたところでよかった。顔の横に流れてしまった涙に、きっと誰も気づかない。近すぎてサツキにも知られなかっただろう。

 こんな人の道に背いた想いはここに捨てていこうと決めた。

 強く目をつぶると星も見えなくなる。サツキも篤生もいない。そうだ、この世界が現実だ。

 まぶたに残った涙も流れていく。あの星たちとは違い、濁って汚れた滴。僕はそれを腕を頭のしたに入れる素振りで擦りとった。



 運動会や修学旅行、文化祭などの大きなイベントをいくつも経験して、彼らは日増しにたくましく成長していく。一気に背が伸びたり、急に女の子らしくなったり。

 そんな彼らを僕は体育館の端で眩しく見つめていた。

 悩みや憧れ、夢や初恋。それらを抱えきれないほど持って、彼らは今日卒業式を迎えた。

 二年前に初めて会った時より大きくなった彼らは、本当に輝いている。ほとんどが同じ学区の中学校に上がるのだから寂しさよりも、希望や誇らしさが勝っているのだろう、どの顔も明るい。

 滞りなく式は終わり、僕は言い様のない寂しさを感じていた。

 初めての担任で送る生徒たち。サツキがいたからそれは大きい。だけどそれを差し引いても心にぽっかり穴が開いてしまったようだ。

──なんだ、僕もちゃんと先生になれていたんだな。


 謝恩会の準備に慌ただしい職員室に見馴れた顔が覗いているのに気がついた。

「サツキ?」

「先生、少しだけ話があるんだけど忙しい?」

「いや……」

 回りを盗み見る。きっとそんな時間はない。でもきっとこれが最後だ。ふたりで話せることなんてこの先はないだろう。新しい世界に飛び込んでいったらきっと、今このときは少しづつ思い出になっていく。戻ってくることはないだろう。

「少しなら大丈夫」

 サツキがこっち、と歩き出したのでついていく。彼は出会った頃より少し伸びた身長と大きくなった手足で僕の前を歩く。

 眩しいな、本当に。きみの未来はキラキラ輝いているんだろうね。 きみはここからどんどん離れていく。最初は懐かしく思い出してくれることもあるかもしれない。辛いことがあったら戻りたいと願ってくれることもあるかもしれない。

 でもそれもほんの少しの時間だけだ。きみを包みきみを癒し、暖めてくれるものはこの先でもたくさん出会う。友達も恋人も、きっとできるだろう。

 小学校の担任で多少濃密な交流はあったかもしれないがでもそれだけの人間は、忘れられていく方がきっと健全で幸せだ。

 そんなことを考えていたら情けなく視界がにじんできた。幸いサツキはこっちを向いていない。軽くうつむいて拳を握りしめていた。

「……先生。ぼく、先生のことが好きです」

 

 意を決した様子で赤い顔をしたサツキがそう言った。少し、眉根を寄せてやはり僕の足元を見ている。

 好き、と言ったか? サツキが、僕を。

 嬉しいはずなのに、幸せなはずなのに、僕は冷たい水を頭からぶっかけられたような絶望感に苛まれていた。

 この指を伸ばせば彼が手に入る。一緒に生きていける。僕はもう寂しくなんかならないし、二度と夜の街でむなしい時間を送らなくてもいい。

 本当の恋人になれるのはたとえ何年かあとになったとしても、気持ちが通じあっていれば支え合っていける──うそだ。そんなことおとぎ話だ。

 彼がどんなにきれいな気持ちを寄せてくれていても、僕は見知らぬ男たちとどうでもいいようなセックスをして自分をこの世界に繋ぎ止めてきたような男だ。彼にはふさわしくないことはわかりきっている。

 握りしめた自分の手を見る。そっと開く。

 大切なものを手放した気がした。もう戻らない。飛び去って、消えて行く。

「どうもありがとう。嬉しかった」

 こぼれた呟きはサツキの耳にもきっと届いた。彼は今来た方向へ走り去っていった。

 謝恩会の準備に戻らなくちゃ。机を並べたり、記念品を準備したりすることはたくさんあるんだ。頭ではそうわかっているのに足が鉛のように重く、職員室に帰ることが出来ない。

 自分で選んだのに、手を離したらもう会えなくなることだってわかっていたのに。僕は逃げた。本当の自分を知られたくないから。弱い、ずるい、そして汚い自分を。

 その場にうずくまり、僕は声を殺して泣いた。



明日も23時頃お目にかかります♪

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