初遠征
「おはようございます、マスター。今日も良いお天気です」
「――んぁ、あぁ、おはようリリー」
日がようやく昇りはじめた頃、リリアーヌの声によって目が覚めた。
こちらに来てからまだ一週間弱だが、今のところ天気が崩れたことはない。気温も高すぎず低すぎず、湿度もそこそこだ。
「今日は東の方に探索に行くわけだが、できれば何日か続けてやろうと思ってるんだ」
「それは野営をしながら調査を行う、ということですか?」
朝食時、俺は昨日景色を眺めていた時に考えていたことを話していた。
「そゆこと。まだ先の話だけど、いつか遠出をする時の予行練習としてさ。例えば、あの世界樹を目指すなら一日二日じゃ辿りつけないだろ? リリーは簡単にこなせるかもしれないけど、俺は経験も知識もない素人だからな。近場で試しといた方がいいと思うんだよ」
「そうですね。今後のことを考えるのであれば、一度は習熟訓練を行っておいた方が良いでしょう。ですが、まだこちらに来て十日です。もう少し準備を整えてからでも遅くはないと思うのですが」
なにしろ突発的な思いつきであるから、リリアーヌの意見はもっともだ。
「そりゃそうなんだが、こういうのは思い立ったが吉日っていうじゃないか。それにいつも準備万端で事に臨めるわけじゃないし、今のうちにやっておけば足りないものが見えて、次に備えて準備ができる。俺一人なら無謀だろうけど、リリーがいるからな。不慮の事態に陥ってもなんとかなるだろうしさ」
これが俺一人の場合だったら、この段階で泊まりの探索など行わないだろう。むしろ石橋を叩いて渡るかのごとく、準備に準備を重ね、万全とはいかないまでも十全となるまでは動けない。
ポジティブな思考の持ち主なら後先考えず行動するのだろうが、俺はそんな蛮勇を持ち合わせてはいないのだから。
俺の話を聞いて、リリアーヌは嬉しいような困ったような、複雑な表情をしていた。
「マスターのご信頼は大変嬉しいのですが、あまり私を当てになされるのはどうかと思います。もちろん、ご信頼に応えられるよう全力を尽くす所存ですが、私にも対処できない事態が起こる可能性もあるではないですか」
「だからこそだよ。今のうちにそれが分かれば、後々生きてくるんだから。それに危険度でいえば、時間をかけた後の方が高くなるしね」
「――あっ、バリスでございますか?」
「そう。バリスが満ちれば満ちるほど世界が活発化するから、予想もつかない事態や凶暴な生物が出現する確率が高くなる。でも今なら、そこまでの危険はないだろう?」
「――そうです、ね、その通りです。かしこまりました。それでは早速準備に取り掛かります」
そういうとリリアーヌは手早く食器を片付けて、倉庫へと走って行った。
ぽつんと取り残された俺は、とりあえずキャンプ道具でも作るか、とデバイスを開いていた。
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「マスター、こちらの網なのですが、もう少し大きさと強度を向上していただけませんか?」
「ん、了解。どんくらいの大きさがいいんだ?」
「五メートル×七メートルもあれば充分かと。私のステータスならば一人でも扱えますので」
「分かった―――こんなもんか。じゃあこっちの籠も丈夫にしとくか?」
「いえ、籠は現地で作られるのがいいでしょう、嵩張ってしまいますから。それよりも、マスターは装備品の整備をなさってください。今の状態では不安があります」
「お、おう、もうちょっと質を上げとくよ」
それから昼まで、遠征練習の準備で忙しかった。
なにしろ昨日の思いつきであるから、ちゃんとした用意など出来ていないわけだ。
以前から作り置きしていた道具も整備のやり直しや、新たに用意しなければならない道具の確認。食料の計算に行動日数の設定。
荷造りなどは分担できるが、クリエイション関連は俺一人でこなさなければならなかったうえに、リリアーヌと相談しながら行ったために時間がかかった。
「ふう、これで一通り揃ったか。あとは……」
「マスター、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ん? 何だい改まって」
荷造りがあらかた終了した頃、リリアーヌに疑問を投げかけられた。
「先ほどは疑問に思わなかったのですが、そもそも探索にマスターが同行する意味はあるのでしょうか?」
「………え、やっぱり俺っていらないか?」
「あ、いえ、決してそういう意味ではなく。確かに遠征の予行練習を行うという意味はありますが、それ以前に未踏地域の探索は私一人で行えばマスターが自らを危険に晒すことなどなく、探索が終了したあと安全を確保したうえで、マスターにご足労願った方が何かと都合が良いのではありませんか?」
リリアーヌの発言は確かに合理的だ。実際、パートナーをそういう風に扱う核もいるだろう。
リリアーヌ一人の方が効率はいいだろうし、俺の存在を考慮しなくて済むからその分の負担も減る。探索を終えた後に俺が行くのだから、要らぬ手間が省けるだろう。
だが、これはそういう話ではないのだ。
「ああ、なんだそういう。そんなの簡単な話だ。俺たちはパートナーなのにリリーの方が辛くて面倒な作業を多くこなしているだろう? リリーは当然だというかもしれないが、俺は、なんか違うと思うんだ」
「それは、私はマスターの侍女でございます。私の行っている作業のほとんどは、マスターのお手を煩わせる必要のないものばかりでございます」
「それな、前にも言ったと思うけど、俺たちは対等なんだ。侍女として、って考えがあるのは分かるけど、俺からすれば仕事を押し付けてる感じがして、居心地が悪いんだ」
「そんな、押し付けられてなど……私は自発的にこなしているだけで――」
「分かってるよ。これは俺の気持ちの問題だ。まあ、だからと言う訳じゃないんだが、俺も手伝いがしたいんだ。足手まといなのは分かってるつもりだけど、それでも、何かしたいんだ」
「マスター………」
「それに、な。リリーが俺の心配をしてくれてるように、俺もリリーのことが心配なんだ。俺の知らないとこでリリーが危険な目に遭ってやしないかと、安全なところで悶々とするくらいなら、一緒に行動して苦労した方が何倍もマシだからな」
言っていてだんだん恥ずかしくなり、顔を逸らしてしまう。これではまるで、告白をしているようではないか。
もちろんリリアーヌのことは好きではあるのだが、男女のそれなのかは分からない。友人としてかもしれないし、家族としてかもしれない。
告白紛いの発言にどんな反応を示しているのかと、リリアーヌの顔を窺うと、目を閉じて胸に手を当てて佇んでいた。
「――この身を案じてくださり、ありがとうございます、マスター。それから無粋な発言だったこと、深くお詫び申し上げます」
「分かってくれたならいいから。さ、もう昼だしご飯にしようか」
「かしこまりました」
昼食の準備の為に、先に倉庫を後にするリリアーヌの様子は、どこか嬉しそうに足取りが軽やかだった。
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昼食を終えて一息ついた後、ほぼ新調したといっていい出来の装備を身に付け、背嚢に纏めた荷物を背負って、いつも水を汲んでいる川へと歩き出した。
「今日のところは夕方前までに行けるだけ行って、川から少し離れた場所にテントを張ろう」
「かしこまりました」
この遠征の目的地である大河へは、この川を辿って進むことになる。
夜間の行動は危険を伴うので避け、日が落ちる前に設営を完了させるために、早めに今日の進行を切り上げる。
設営場所を川沿いから避けるのは、川の増水による被害を防ぐためである。
山岳・水難事故の一部は、こうした注意事項を守らなかったために起こるものであり、先人の注意を素直に受け止めておけば防げるものだ。
川を辿る、といっても川のそばを歩くのではなく、川から少し離れた位置を進むので道らしいものはなく、歩く速度は遅くなる。
先頭を行くリリアーヌに息の切れた様子はないが、慣れない行動と荷物のおかげで息を荒くしている俺は、転ばないよう遅れないようにと必死だった。
リリアーヌは俺にペースを合わせてくれているが、それに甘えていては成長しないのだ。
「マスター、大丈夫ですか? 今日はここまでにしておいた方がよいのでは」
「……はーっ、ぜ、はっ、……っ、はーっ。いや、もう少し、進もう」
「無理は禁物です。急ぐ行程ではないのですから、焦る必要はありません」
「はっ、はっ………確かに、そうだな。今日は、ここまでにしよう」
「かしこまりました」
リリアーヌに諭されて、今日の進行を断念する。
テキパキとテントを張っていくリリアーヌと、見様見真似でもたつきながら手伝う俺。かなりのお荷物だった。
「悪いなリリー、役立たずで。おまけに体力不足でな………」
「仕方がありません。誰でも初めは上手くいかないものです。それにマスターの場合、体力というより経験不足と緊張による心労が原因ですから、ある程度慣れれば解消されると思います」
「そうだといいなー。このままだと迷惑かけっぱなしだ」
「迷惑などと仰らないでください。マスターの負担を軽減出来ない私が不甲斐ないのですから」
「………止めよう。二人で謝りあっても意味がないや」
「……そうですね。それでは夕餉の支度をしますので、しばしお待ちください」
空腹のときは良い考えは浮かばず、イライラが募るから悪い方へと思考が流れるという悪循環になる。こういうときは、何も考えず空を眺めるほうがいい。
設営の為に木を倒して空間を作っているから空が良く見える。既に日は沈み、星空が広がっていた。
この世界には人工の光がないため、夜空のそれは地球で見るものとは比べ物にならないほど壮大で美しく、迫力あるものだ。
この夜空を見上げていると自分の悩みや劣等感など、ちっぽけでくだらないものに思えてくる。
そうこうしているうちに夕食が出来上がり、口数少なくそれを消化していく。
ただ、どんな状況でもリリアーヌの料理は絶品で、平らげるのにさほど時間は掛からなかった。
「――ごちそうさま。どんな時でもリリーの料理は美味いな」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、腕の振るい甲斐があります」
「はは。さて、もうちょっと夜空を楽しみたいが、今日は疲れた。もう寝るとするか」
「かしこまりました。後片付けをしておきますので、先にテントにお入りになってください」
「そうするよ。あ、もし俺が寝てても遠慮せずに入ってくればいいからな」
「心得ております。それでは」
片付けをするリリアーヌを残して一人テントに向かう。人任せはどうかと思うのだが、こんな時でもリリアーヌは手伝いをさせてはくれなかったのだ。
テントに入り腰を下ろすと、疲労の所為かすぐ睡魔が襲ってきた。
拒む理由は特にないが、リリアーヌが戻ってくるまでは起きていようと頑張ることにした。
ただ待つだけでは退屈なので、これから先のことを考えることにした。
「明日は簡単にバテないようにペースを考えて行かないとなー。今日みたいなのはダサすぎる……、それに――」
リリアーヌがテントに入ってくるまでの間、一人反省会はネガティブな方へと進んでいた。この程度で根を上げる自分の体。これから先もっと過酷な環境に耐えられるかという不安。
だが、それと同時に期待の持てる要素も浮かぶ。ステータス向上とスキル習得による能力と活動範囲の上昇。それに伴う生活水準の向上。そしてなにより、リリアーヌの存在である。
リリアーヌは、よほどのことがない限り行動を共にしてくれるであろう。だがそれに甘んじて堕落したり道義に反した行いをすれば、見限られてしまっても文句は言えない。そうならないためには、努力と向上心を心掛け、誠実であることが大切だ。
「起きていらっしゃったのですか、マスター」
「うへぃ! あ、ああ、ちょっと考え事をな」
リリアーヌのことを考えていた時に本人が戻ってきたので、奇声をあげて驚いてしまった。
「考え事とは、どのようなことですか?」
「大したことじゃないよ。明日以降の行動とか、心構えとかね」
「申し訳ありません、マスターのご考察の邪魔をしてしまったようで」
「いや、ほんとに大したことじゃないから。さあ、もう寝よう、な。」
「マスターがそう仰るのでしたら。それでは、お休みなさいませ」
「ああ、おやすみ」
そうして目を瞑ると、あっという間に眠りに落ちていた
いまだぎこちない関係ではあるがリリアーヌと一緒ならば、これから先の未来に待ち受ける苦難も乗り越えていけるだろう。
もちろん、苦しいことだけではなく、楽しいこと・嬉しいことも多いだろう。それらも一人ではなく、二人でなら何倍も大きな喜びとなるだろう。
さしあたっての問題は、明日の進行で早々にへばることの無いように気を付けることだった。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
文の締めで分かる通りこの二人の物語は続いていきますが、私の書くお話はこれにて最後です。続きは皆さんの心の中で自由に膨らませてくださるとありがたいです。
さて、あらすじにも書いた通り、この物語は設定集――土台です。
もし、この設定を元に別の新たなお話を書きたいという方がおられれば、ご自由にお使いください。そして出来れば、私の名前を端っこにでも入れていただければ幸いです。
それでは、二人の旅路と皆様のこれからに幸多からんことをお祈りして、筆を置かせていただきます。