活動二日目
翌朝、日が昇りきらぬうちに目が覚めた。
小説などでは、この場面で小鳥のさえずりが聞こえてくるのだが、残念ながら小鳥の気配はない。昨日の補充量では出現ラインに届いていないのだろう。
「………体が痛い……筋肉痛かよ。仕事で体動かしてたはずなのになぁ」
工事現場で働いていたとはいえ、森探索やクリエイションなど慣れないことを半日以上行ったせいか、体中が筋肉痛になっていた。
二人で寝るには少々狭いこのベッド、既に一人分の温もりが失われている。
「リリーは……もう朝メシ作ってるのか。まさか、俺が寝てからすぐ抜け出したとかじゃないよな?」
ベッドの感じからして、少なくとも三十分前には、既にベッドから抜け出していたようだ。
日は昇り始めたばかりである。ということは、リリアーヌはまだ辺りが暗いうちから起きて準備をしていたことになる。それほど早くから取り掛からなければならないような作業があっただろうか?
何にしろ、いい加減ベッドから出ないと二度寝してしまいそうだ。
寝室を抜けて、リビングダイニングキッチン(便宜上)で朝食を作っているリリアーヌに朝の挨拶をした。
「おはようリリー。えらく早いな」
そうするとリリアーヌは一旦調理の手を止めて、こちらに向き直って腰を折った。
「おはようございます、マスター。主より先に起きて朝餉の支度をするのは当然です」
ちなみに、動力不明の冷蔵庫的な物が部屋の中にはあり、食材の一部を既にしまってあるので、現時点で俺がいないときでも食材に困ることはない。
「いや、そうは言ってもリリーが起きたときはかなり暗かっただろ。もっとゆっくりしてても俺は文句言わないぞ?」
「そういう訳には参りません。主を待たせてしまっては侍女の名折れです」
「それだと俺の気が引けるんだが、まあいいか。でもあんま無理しなくてもいいぞ」
「お気遣いありがとうございます。では、朝餉に致しましょう」
そういうと、いつの間にか盛り付けられた焼いたパンとベーコンエッグ、サラダにコンソメスープっぽいものをテーブルに並べた。
「いつの間に……そんじゃ、いただきます」
「はい、お召し上がりください」
二人でテーブルについて朝食を始める。
昨夜は『主の食事と同じくするわけには……』などと言って一緒に食べようとはしなかったが(メニューも俺の分より質素にする予定だったらしい)、今までと同じように説き伏せた結果、少なからず抵抗はあるものの一緒に食事をしている。
「そういや、これくらいのメニューならそこまで早起きする必要ないよな? 何か他にやることがあったのか?」
「周囲の状況把握をしておりました。昨日との環境の違いや生物の有無、摂取可能な植物の捜索などですが、あまり良い成果は得られませんでした」
「そりゃ暗いなかで探し回ったって成果が出るわけないさ。そういうのは明るいうちにやらないと」
「その時間帯にしか出現しないものや現象もありますから、一概には言えませんが。ですが、そうですね。変化を求めるにはまだ早い段階ですから、これからは自重致します」
「まあまだ二日目だし、昨日はほとんどを場所探しに使ったからな。俺は今日、クリエイションに時間を割きたいんだけど、リリーはどうする?」
「私は探索を続行しようかと思います。それに際し斧と、出来れば背負い籠を持参したいのですが、よろしいでしょうか?」
「いいよー、じゃあ出発前に渡すから。背負い籠は、確かなかったから後で創っとく」
「よろしくお願いします」
斧は利用できそうな、あるいは邪魔な木を倒すためと、念のための護身用に。背負い籠は採取品の運搬に使うのだろう。
「ごちそうさまでした。片付けはやっとくから探索の準備をしといでよ」
「これも務めのうちですのでお気遣いなく。マスターこそ、ご自身の為すべきことを優先されますよう。私はそのサポートの為に存在しているのですから」
食後の片付けを申し出るとやんわりと断られた。やはりその辺りは譲れないらしい。
だが、文明の利器に溢れた現代社会ならともかく、山小屋同然だが家があるとはいえ、森――ジャングルの中での共同生活で、家事など一切を同居人に任せっきりというのは、主云々以前に人として問題があるだろう。
リリアーヌには『マスターはそのようなことを考える必要も意味もありません』とか言われそうだが、こちとら日本の小市民。後輩がいたことはあれ、部下――まして侍女など持ったことはないのだ。上流思想はそうそう理解できない。
「言いたいことは分からなくもないが、共同生活なんだし雑事くらい手伝うのは当然だと思うけど」
「一般であればそれが自然でしょう。ですが失礼ながら、マスターと私は一般の枠からは逸脱した存在といえます。その枠内での常識に全てを照らし合わせる意味はないかと。もちろん、マスターの崇高なご理念には勉強させていただいておりますが、こればかりは私の存在意義に係わります。私だけでは行えないことは除いて万事の瑣事は、このリリアーヌめにお任せください」
リリアーヌの言う『崇高な理念』なんて背中が痒くなるものは持ち合わせてないが、言いたいことは伝わってきた。
つまり、俺には覚悟というか意思とかいうものが薄いのだ。
元々周りの顔色を窺ってきた、ことなかれ主義の人生だ。強引に今の状況に持ち込まれたことも合わせて、成し遂げる覚悟や意思が芽生えるはずもない。
リリアーヌは自分の決意を伝えると同時に、俺にそのことを指摘したのだろう。
まあ指摘されたからといって、そう都合よく芽生えたりはしなかったが。
「………リリーの気持ちは分かった、もう無理に手伝うとかは言わないよ。でも体調が悪いときとかは、さすがに代わるからな」
「かしこまりました。では、体調管理をより万全にせねばなりませんね」
そう言って微笑むリリアーヌの姿は、不意打ち気味に俺の心を揺さぶった。
「―――それじゃあ、リリーが片付けをしてる間に必要になりそうなものを準備しとくから」
「よろしくお願いします」
そうして朝食と今日の打ち合わせは終了した。
――本音をいうと、リリアーヌの顔をまともに見られなかったからその場を逃げ出したのだが。
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日が天辺に昇る少し前、俺はずっとクリエイションに勤しんでいた。
リリアーヌはいまだ森から帰っていない。
あのあとすぐに背負い籠を創り、必要そうな道具を『アイテムボックス』から取り出し、片付けを終えたリリアーヌに渡した。
「日が天を過ぎるまでには一旦戻りますので、昼餉のご心配はなさらぬようにお願いします」
「そんなことよりリリーの心配をするよ。無事に戻ってこいよ」
「かしこまりました。それでは、行ってまいります」
そういってリリアーヌは森に入っていった。
正直、昨日の様子からみて心配する必要はないのだが、不測の事態が起こらないとも限らない。
まあ、俺が単身森に入るよりは何倍も安心できるのは確実だが。
俺はというと、昨日素材と簡単な小物ばかりを創っていたので、今日は少し難易度を上げた物を創ることにした。
具体的にはナイフなどの鉄製品、脚立や梯子などの大型な物、より大きな木をそのまま変換などだ。
思いのほか鉄を使ったものは種類が多く、クリエイションし続けているとすぐになくなってしまうので、付近にあった石や岩を頻繁に変換していった。
そのうちそれも慣れていったので、鋼や青銅などの合金に宝石の類などに変換してみた。
合金の方はそれなりに上手くいったが、宝石はクズ石レベルにもならなかった。宝石は規定レベルがかなり高いようだ。
「一旦片付けるか」
道具類や大型の物は倉庫にしまい、素材は『アイテムボックス』に突っ込む。
小物は『アイテムボックス』にしまうとスペースを圧迫しそうなくらいの量になっていたので、素材に変換し直してしまった。
そうこうしていると、リリアーヌが背中の籠に戦利品を詰めて帰ってきた。
「ただ今戻りました、マスター」
「おかえり。ずいぶんとたくさん持って帰ったな」
「はい。摂取可能な種類が豊富な場所に当たったようで、試して毒性がないものを少量ずつ採取したのですが、かなりの量になってしまいました」
「試したって、齧ったりしたのか? 無茶するなー」
「齧る、というより舌で触る程度ですが。危険なものをマスターにお出しするわけにはまいりませんから」
「そうは言ってもな、もし毒が強いやつならそれだけでも危ないだろ。特に一人で行動しているときは控えてくれ、俺の心臓に悪い」
もしリリアーヌが毒に倒れても俺には対処できないが、与り知らぬところで倒れられるよりはいくらかマシだ。
「かしこまりました。それでは昼餉の準備をしてまいります」
「わかった。――籠の中のやつを使うのか?」
「いくらかは。もちろん毒味は致しますからご安心ください」
「うん、まあ美味けりゃなんでもいいか。それじゃよろしく」
リリアーヌはお辞儀をすると調理に取り掛かった。
味に関しては心配していないが、やはり未知の食材は恐ろしいものがあるのだ。
スキルに、毒無効とかあるといいなー。
水を汲んで戻ってくると、既にテーブルには料理が並んでいた。
茸と野草と牛肉を煮込んだクリームシチュー、ロールパンにペースト状の何かとリンゴに似た果物の切り身と、この短時間にどうやって仕上げたのか謎なラインナップだった。
「えっと、もうできたんだ。――どうやった?」
「侍女としての嗜みです。こちらのペーストは持ち帰った木の実をすり潰して、バター・砂糖と混ぜ合わせたものです」
それを聞いてさらに謎は深まったが、企業秘密らしく教えてはくれなかった。
だが、味の方はやはり絶品であった。
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昼食のあと、リリアーヌはまた森に向かっていった。今度は素材となりそうなものを回収すると言って。
俺はというと、畑もどきを作ることに腐心していた。
なにしろこの家のある場所は、木が生えないほど固い地面である。スコップと鍬で軽く土を掘り返そうとしたのだが、まず地面に刺さらないのだ。
なんというか、見た目は腐葉土なのだが感触は固められた真砂土のよう。たまに刺さる部分があっても大きな石がごろごろと、およそ畑には向かない土地だ。相変わらず存在感は薄いのだが、それとこれとは別の話らしい。
自分一人の手でこれを畑にするのは無理があるので、クリエイションに頼ることにした。
といっても昨日の川の件もあり成功するか分からなかったが、ごく狭い範囲で試した結果なんとか地面を柔らかくすることに成功した。
それを繰り返して家庭菜園レベルの広さまで拡大させ、周りの森の腐葉土と混ぜ合わせる。肥料などの知識は残念ながら持ち合わせがないので、あとでリリアーヌに尋ねることにする。
気が付くと、日が沈みかけていた。家には灯りがともっていたので、リリアーヌは既に帰っているようだ。
今日の作業はここまで、と切り上げて家に入ると、夕食の準備を始めていたリリアーヌに話しかけた。
「おかえり。戻ってたなら声を掛けてくれればよかったのに」
「いえ、マスターの作業を妨げるわけにはまいりませんから。それに、私もつい先ほど戻ったばかりですので」
「そうか。汚れたから先に体を洗ってくるわ」
「かしこまりました。お戻りになるまでにこちらも調理を終わらせておきますので、どうぞごゆっくりと」
この家に風呂場というものはなく、外に布を張って大きな桶を置いた簡易風呂としていた。
体を洗ったあと着替えがないことに気付き、慌ててクリエイションで服もどきを創ったのはご愛嬌というやつだ。
そして汚れた水を交換して家に戻り、夕食を済ませて一段落つく。
「リリーも体を洗ってこいよ、水は交換してあるから。あ、あと服の代えはこれを使ってくれ」
「ありがとうございます。それでは失礼して、体を清めてまいります」
リリアーヌは俺から服もどきを受け取り、風呂へと向かった。
ただ、向かう前に言った台詞が、余計な妄想を掻き立てたことは内緒だ。
もちろん、風呂から戻ってきたリリアーヌとそういう風なことにはならなく、今日もそのままベッドに潜り込んでぐっすりと眠った。