彼の後悔
初めまして。僕がディザーです。彼女の事は気にしないでください。多分、自分がいると話しづらいだろうって変な気を回したんだと思います。
ええと、彼女から聞いているとは思いますが、僕は一度死んでいます。彼女の魔法によって再びこの世に生を受けました。
生前…と言っても僕にはあまり実感がないんです。13年という短い時間を生きて、その最期はただただ苦しかった。何度も呼びかけてくれる両親や彼女の声に返事をすることも出来ず、身体中が痛くて、息をするのも苦しくて、目の前の光がどんどん小さくなってふっと消えた。次に目を覚ましたときは幼馴染みの面影を残した女性が心配そうに僕をのぞき込んでいたけれど、まさかあれから数百年も経っていたなんて全くわかりませんでした。感覚でいうとほんの数時間眠っていた、そんな感じだったんです。
生まれ変わって暫くは動くことが出来ませんでした。何せくまのぬいぐるみですから。頭と身体が上手に連結してないっていうのかな?魂が身体に馴染みきってなかったんだって今ならわかりますが、当時は何せ魔法さえ知らなかったから僕は混乱のあまり泣いてしまって、彼女には随分と苦労をかけました。
1週間くらい経ってやっと身体が自由に動くようになりました。僕は小さい頃本当に身体が弱くて、外を走り回るなんて経験片手で足りるくらいしかしてきませんでした。だから初めて手に入れた健康な身体にもう舞い上がってしまって、その日は時間と体力の許す限り森の中を駆け回っていました。
え?あぁ、そうなんですよ。僕もそれは常々変だなって思ってるんですけど、この身体は疲れもするしお腹も減る。勿論排泄だってあるんです。だからこそ自分自身違和感なく生きてるって思えるんだと思います。だって疲れを感じることもなく、睡眠も必要とせず、食事も取らない。そんな無機物みたいな生、嫌でしょう?少なくとも僕は今のように生きられて本当に良かったって思ってるんです。
でも不思議なのはそこまで人間に近づきながらも成長はしないことですね。この身体になってからもう…50年?そのくらいは経っているんですが、僕の身長はいっこうに伸びないし、声変わりもしない。爪や髪は伸びるけど、僕は13歳のあの日で時が止まってしまっているみたいなんです。多分1人きりならあまり気にしなかったんでしょうね。でも隣には緩やかながら確実に歳を重ねる彼女が常に傍に居たから、僕はその変化を見つける度に自分が人間ではない何かだってことを自覚させられます。
何度か自分の身体のことを詳しく知りたくて魔術書に手を出してみたんですが、その度に彼女から強く止められるからこんなにも魔法で満ち溢れているっていうのに未だに僕はただの人です。
死ねないってことは聞いてますか?はい、そうなんです。きっかけは僕が森で熊に襲われたときでした。僕って毎日とっても暇なんです。普段は彼女と2人きりだから彼女が魔法の修行をしたり薬を調合したりしている間は食事を作ったり掃除をしたりしているんですけれど、見ての通りそんなに広い家でもありませんし、何より僕が生き返る前は彼女はずっと1人でやってきてましたから実際は僕がやらなくたってどうとでもなるんです。さっきも言った通り彼女は僕に魔法に触れてほしくないみたいだから手伝うこともできません。だから数少ない家事を終えたらあとはもう1日自由な時間です。ここは人里から随分と離れていますからお客さんなんて滅多に来ませんし、この家にある本は全て古語で書かれていますから僕には難しくて読めません。そうするともう森を散歩するくらいしか思いつかなくて…あの日もそうやって森の中を歩いていたら運悪く熊に出くわしてしまいました。
ここに来る途中、不思議な形の木でできた像を見ませんでしたか?それはこの家を囲むようにいくつも置いてあるんですが、その像が結界の役目を果たしてくれていて本来は凶暴な生物はこの家には近づけないんです。生き返った当初、像より外には出てはいけないときつく言われていたんですけれど、あの日の僕はうっかりその結界から出てしまっていて、気づいたら目の前には大きな爪と牙がありました。
わき腹の肉をざっくり持っていかれました。血も沢山出て、朦朧として覚えていないけれど臓器もはみ出していたと思います。転がるように結界の中に逃げ込んで何とかそれ以上攻撃はされなかったけれど、これはもう死んだなって思いましたよ。彼女があんなに懸命に繋いでくれた二度目の生をこんなことで失うなんて僕は本当に馬鹿だ。何度も心の中で彼女に謝りました。
でもどんなに待っていても一向に意識が遠のかない。相変わらずわき腹は痛いし、血も溢れているっていうのに、僕は変わらずに息をし続けていました。
夕方になって戻らない僕を心配した彼女が探しに来てくれて、すぐに再生と治癒の魔法をかけてくれたお陰で傷は綺麗に塞がったし痛みもなくなりましたが、結局僕の心臓は一度も止まることはありませんでした。
このことを随分重く見た彼女はそれから色々調べていました。虫食いだらけの分厚い本を何度も何度も読んだり、時には数ヵ月家を空けて誰かを訪ねていったりしていました。僕も僕でわざと指先に刃物を押し当ててその切り傷を観察してみたりしました。まぁこれは後で彼女にばれて大層怒られたんですけどね。
1年程そんな日々が続いて、僕はどうやら死なない、死ねない身体になったことがわかりました。実際に心臓や脳を損傷したことはありませんが、もしそうでないなら説明がつかないことが僕の身体にはたくさん起きているんです。
薄々自分でもそうじゃないかなって思っていましたからそれを聞かされてもあまり辛くはありませんでした。むしろそれを告げる彼女の方が今にも死にそうな顔をしていて、今でもあの時の表情ははっきりと覚えていますよ。
彼女は絶対僕には話してくれませんが、毎晩床についてから泣いているんです。隙間だらけの家ですから、隣の部屋の音は結構よく聞こえるんですよ。僕の名前とごめんねを繰り返し繰り返し呟きながら静かに泣くんです。彼女も時が経てばやがて死んでしまいます。その時までに僕が死ぬ方法を見つけなければ永遠に僕は一人ぼっちだ。それを悔いて彼女は毎晩泣いているんです。
変ですよね。あんなに死にたくないと願って、みっともなく生にしがみついていたはずなのに今は死に方を探しているだなんて。でも僕は彼女が死ぬときに僕も一緒に死ねるんじゃないかって思っています。そもそもこの身体は彼女の魔力を媒体にして作られていますから。その魔力の供給源がなくなればこの身体も朽ちると思いませんか?それでもし僕だけが生き残ってしまったらもうどうしようもないですけどね。
僕はね、こんなことになってしまったことをずっと後悔しています。それこそ初めて彼女と出会った時からやり直したいくらいに。
だって彼女はまだ12歳の少女だったんですよ。物心つく頃から僕という病弱な幼なじみがいたから気軽に外に遊びに行くことさえできなかった。活発な彼女は色々やりたいことだってあったはずなんです。木登りだってかけっこだって彼女は村の子供達の中で一番でした。少々情緒が足りないところもあったけれどいつかは素敵な男と恋に落ちて結婚して子供を産んで幸せになるはずだったんです。でも全部、僕が奪った。僕の存在が彼女の世界を狭めてしまったんです。薬品の匂いが漂う部屋で起き上がることさえままならない僕と2人きり、彼女にとってそれが世界だった。
心のどこかで思っていました。彼女は優しい子ですから僕が死んだら悲しむだろう。しかし悲しみから立ち直った時、彼女の世界は無限に広がっているだろうと。なのに未だに彼女の世界は僕の部屋の中だけだ。それ以外の世界を切り捨ててより一層その中に引きこもってしまっている。
彼女には本当に感謝しています。それは紛れもない僕の本心です。でもそれと同時に、僕のことなんて忘れてしまってくれたら、とも思うんです。
どうですか?貴方の大切な人は、貴方が過去に囚われていることを喜ぶような人ですか?実際問題この魔法は欠陥だらけです。でもそんなことじゃなくて、貴方と貴方の大切な人がどうすれば一番幸せになれるか、それをよく考えてみてください。
彼は穏やかな笑みでそう締めくくると外へと出て行った。