第五話 巨快
「真の閑暇とは、我々の好きなことをする自由であって、何もしないことでは無い」――シュウ
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――今朝、ライデンシャフトを出発する前には知っていたことであるが、雷撃土竜へと掛けられていた賞金は、やはりそれなり以上に多大な物であった。
帰路に着く際にクレイは土竜と一線やらかして、その日の稼ぎを乗せたバギー諸共炎上させ手放すこととなってしまった次第であったが――その損失を補うどころか、雑魚狩りとはまるで比べ物にならないほどの収入をたったの一度で得てしまったのである。
その額、何と安価な車両と装備一式を購入することが出来るほどである。
街の事務局までエレマオヴルフの討伐証明部位を運ぶために拝借して来た軽トラックは、お世辞にも戦闘に向くとは言い難い。と言うか、機関砲の一つも付いていないため戦闘車両と表現するのは、些か心許ないとクレイは考える。あくまでこの軽トラックは、物資運搬用として運用するべきであろう。
故にクレイも、事務局にて土竜の肉片を降ろし報奨金を受け取った後、新たな戦闘用の車両を購入を検討していた次第であったのであるが――此処でまた一つ、要らぬトラブルが浮上して来たのであった。
「お前……ッ! よくも……よくも、こんなふざけたことをやってくれたな……!」
新たな装備や車両の新調は明日にして、疲れた身体を癒すべく酒場で気持ち良く一杯やろうと思ったことも、タイミングが悪かったのか――。
現在、酒場の端の席において――クレイは、凡そ二十人近くの男たちに囲まれていたのである。
面々は流石に街中、しかも多分に人目に付くような施設内であるためか武器こそ抜くことは無かったが、各々が怒気を滾らせてクレイへと剣呑な視線の集中砲火を浴びせ掛けていた。
そうしてその中の――代表と思わしき一人の男が、嫌悪と侮蔑と殺意を微塵も隠そうとしないまま、クレイへと切った口火がたった今の発言であった。
「オイッ! な、何とか言ったらどうだ!?」
「この期に及んで悪びれも釈明もしないだなんて、なんて太ぇ野郎だ!」
「こ、この野郎……俺たちの仲間をどうしたんだよ!?」
「無視してんじゃねェぞコイツッ!」
喧々囂々――クレイと囲む男たちは、怪訝せずとグラス片手にボストン・クーラーを愉しむクレイへと、更なる怒りを募らせているようである。レモンの果汁が、疲れた身体に沁み渡るのだ。
傍から見ればこの状況はリンチ手前の一触即発に映るのかもしれないが、この場所では積極的な暴力が禁止されているという制約も手伝って、クレイとしては痛くも痒くも怖くも無い。
しかしながら、愛車を犠牲に大物を仕留めて大金を得て、気持ち良く呑んでいたところに――この有様なのである。
クレイの周囲でがなり立てる男たちは極限まで苛ついているのかもしれないが、折角の自分だけの時間へと水を差されたクレイもそれ以上に苛立ちを湧き出しているのだ。
故に――、
「黙れ――喚くな下郎」
ゆらりと静かに席から立ち上がって男たちへと振り向き、それでいて苛立ちと怒気を存分に孕んだ声音と視線を照射するクレイの前に――先の先、この瞬間まで集団で怒鳴り散らしていた者たちは、一様に身を引いて言葉を失っていた。
クレイは視界へぐらりと眼を這わせ、改めて彼らの姿を観察していた。
目付きや身体つき、身に付ける装備品から察するに、狩奴やら傭兵であることは間違いないだろう。装備や携帯する銃器の類も、精々が昨日クレイが荒野に還したチンピラたちよりも少しばかりマシと言った所であろうか。
クレイから見れば、その程度の輩が何人いようと大した脅威には感じない。ただし彼らが纏う雰囲気も相俟って、間違っても非戦闘職に就く一般の町人では無いはずだ。いくら貧弱であるとは言え、非戦闘員とは纏う空気が異なる。
更に、クレイがこの街に来たばかりということもあるかもしれないが、その顔の中に見知った者は当然居ない。初めは昨日の武装強盗を働いた破落戸の残党かとも考えたが、自身らに全面的な非があるにも拘らず行うような単なる復讐であれば、このような大っぴらに人目に付くような場所を選ぶことは無いだろう。
と、なれば――やはり、それ以外の者たちであることが
此処で明確に殺気をくれてやり、力尽くでこの集団を突破することも出来なくはないであろうが、それはそれで問題も多いのである。
戦闘行為禁止の街内で自分から攻撃を繰り出す訳にも往かぬし、何よりこの場で強引に遣り込めたとしても――根本的な問題を解決していない時点で、再度何時このような面倒に苛まれるやも知れない。
それでは夜も更けてきたことであるし、このような有象無象を相手に自身の貴重な時間を融通することも馬鹿らしくあるため、宿へと戻って早く床に就きたい。
故に、今後のためにもさっさと解決してしまおうとの解を出したクレイは、初めに罵声を飛び出させた代表格の男へと問い質した。
「やれやれ……折角の晩酌が、台無しではないか」
「な、何だとこのや――」
「――黙れ」
「ッ!?」
「君には、私の言葉が聞こえなかったのか? 黙れ、と――私は、君たち全員にそう言ったんだ。今質問しているのは、私。君たちは、聞かれたことに正しく答える義務があるのだよ。何故なら私の貴重な時間を割くのだ。私と会話がしたければ、人として最低限のマナーとルールは遵守しろ――いいな?」
「……クッ。テメェ、何様の――」
「貴様にテメェ呼ばわりされる筋合いは無い――分を弁えろ小物。あぁ、それから私が発言を許可したのは、代表者の君だけだからな。要領を得ない話を多重音声で聞かされる、そんな此方のことも十分に考慮して慎重に口を開いてくれよ?」
「……クソッ!」
「返事は?」
「わ、分かった……」
「宜しい、やっと静かになった。漸く、人間らしい会話の場が整ったな。それで――君たちは、私に何の用だ?」
相手に会話のアドバンテージをくれてやるつもりも更々無いので、クレイは自身がペースを握ってから男へと促した。残る後ろの連中へは、予め軽く威圧し牽制をくれる。
不満げに、そして些かの屈辱に顔を歪めながら、代表格の男は唾を飛ばしながら口を開いた。
「な、なん……何の用もクソもねぇだろ! 全部解ってるくせに……今更、そんなコト言ってんじゃねぇよ!」
「悪いが、初めから順番に要点を纏めて簡潔に述べてくれ。私も早く寝たいんだ……一圓にもならない上に、心底うっとおしい感情任せの君の話に長々と付き合うつもりなど、これっぽっちも無いんだよ」
「ば、バカにしやがって……ッ!」
「馬鹿にしているのではない――莫迦だと確信しているのだ」
「なッ!?」
「会話において他者に馬鹿にされたくないのであれば、理知的に論理立てて……つまり、理路整然と行うべきだ。とは言え、今そのようなことを君に言うのも酷な話、か――続けてくれ」
「ま……まず初めに、ア、アンタがさっきまで乗ってきた車だが――アレは、何処で手に入れたんだよ?」
――成程、そう言うことか。
切り出した彼の一言で、クレイには既に現状から話の流れまで全て理解することが出来てしまったのである。
それ故に、先のクレイの態度を受けて及び腰になった男の話を、長々と聞くのも互いに時間の無駄であろうと判断し、予想し得る展開の結論を紡ぎ出した。
「最初に一つ言っておこう……私は君たちの仲間に何もしていないし、得物も横取りしたわけでは無い。私が土竜と対峙した時には既にその場の人間は息絶えていたし、ほぼ無傷の獲物を仕留めたのも私一人の力と機転に依るものだ」
「こっ、この期に及んでッ、ま、まだそんなコトを……! アイツらは、十人で狩りに行ったんだぞ!」」
「力不足であったのだろう? それに人の話は、最後まで訊くものだぞ。それとも何だ? 初対面の人間に自分たちの正義を押し付けるというのが、君たちの遣り方なのか?」
「……一応、聞こうじゃねェか」
「事の顛末は、こうだ――賞金首の突然変異体であるエレマオヴルフに壊滅させられていた徒党を発見した私は、そこで狩奴たちを血祭りにあげて勝利と蹂躙を愉しんでいた土竜の隙をついて討伐したというだけの話だよ。その際に、私が脚にしていた車両が大破してしまったために、気が咎めながらもその場に放置されていた持ち主の居なくなったであろう軽トラックをお借りして、切り落とした土竜の討伐証明部位を荷台に乗せて街まで運んできたというわけだ。……あぁ、本当であれば不幸な目に遭っていた戦士の亡骸も連れて帰ってきてやりたかったのだが、残念ながら昏くなりつつある空を前にしてはそのような時間も惜しかったのでな――私自身の身の安全のためにも。夜の荒野の危険性くらい、君たちも当然知っているだろう? まぁ、いずれにせよ無事役目を果たしてくれた軽トラックは、君たちに返却するのもやぶさかでは無いぞ。仲間の元へ戻した方が、車両も――そして、命を落とした彼らも望んでいることだろう」
「あぁ、そうですかって――その話を、俺たちに信じろってか……?」
「信じるも何も、これこそが事実であり真実なのだから――それ以上の情報は、私の中には存在しないぞ。無論、君たちの懸念も理解できなくはないけれどな」
2
当然に――疚しい事など何一つないクレイは堂々と男たちへと宣言するが、そう事態は簡単に収まりそうには無かった。
先に鋭く睨みを利かせただけではなく……彼らとしては万が一、本当にクレイが単独でエレマオヴルフを殺害していた場合の戦力的な意味での危険性も兼ねて、中々実力行使に踏み切ることが出来ないのであろう。
それでも彼らにも己の力で食っている以上、荒野に落ちる砂粒程度であろうともメンツは存在することであろう。仮に、仲間を殺され獲物を横取りされたとなっては面目丸潰れなのである。
クレイとしても無益な折衝は御免被りたいが、自身が不利益を被ることはもっと御免被りたい。故にクレイは、有事に躊躇うことはない。相手が誰で、あろうとも。
しかし、一対二十の睨み合いの均衡状態で――動いたものは、全くの第三者であった。
「――彼の言っていることは、本当のことだよ」
――巨。
クレイの抱いた印象は紛れも無くそのようなものであったことで、恐らく他の者たちが彼へと抱くイメージもまた同じようなものであろう。
そして、何より――間違いなく、強い。それは誰しもが、一目見ただけで理解させられることであろう。
他者よりも遥かに巨大で強靭な様を晒しながらも、そこいらのチンピラのように誰彼構わず威嚇するような低俗な品性は微塵も感じられない。寧ろ、何処か丸みを帯びた愛嬌と穏やかさすら感じさせるほどである。
声の主は、見上げるほどの巨漢であった。
クレイは見上げ、男たちは後ろを振り返り――彼らは、突然現れたその巨体に圧倒されているようである。
「おい……アイツ、あの有名な……!」
「まさか!? 本人だったら、もっと高級な酒場にでも行ってるだろ!」
「だ、だよな……まさか、こんなとこに居ない、よな?」
クレイの中には、その巨漢に関する情報は存在していなかったが――彼は中々に、有名人なのかもしれない。顔を現すだけで、オーディエンスのこの沸きっぷりである。
どんなに少なく見積もったとしても、優に二メートルは超えるに違いな山のようなその巨躯。酒場の床にどっしりと二本の脚で立つ様は、まるで大木のようなものであった。
その手の皮は分厚いなどというレベルものでは無く、まるで装甲車の外皮染みていた。
素肌に纏った薄い布切れは、上下続きで胴回りを長い帯で締められている。
今朝クレイは会話を交わした傭兵の男もそれなり以上に筋肉質であったが、それとも全く比べ物にならないほどの強靭な体格を保有していた。恐らくこれは、多大な筋肉の上に膨大な脂肪の鎧を纏い造り上げた肉体であろう。
何よりその頂上部を見ることは叶わないまでも、確認することは出来る限りでは圧倒的に印象に残るであろう――MAGEの存在。それはまるで、王冠のような神々しさすら携えていた。
そう、彼のような変異体や暴走機械にも決して劣らないほどに強固な、己の肉体のみを武器とする男――即ち、RIKISHIである。
彼の登場に慄きながらも、クレイと言葉を交わしていた徒党代表の男は、突然事態を決定づけるかのような言葉に喰らい付いていた。
「なっ、何を根拠にそんなことを……!」
「うん、土竜を倒す瞬間――おいが、見てたんだ」
「何ッ――!?」
「おいはそのとき偶々、仲間の車に乗って荒野を走っていたんだけど……遠くで起こってた惨状が、目に留まったんだ。煙と小さな小さな銃声に加えて――雷撃の音。それでおいは双眼鏡で覗きながら、変異体なんかに襲われている人でも居るのかもしれないと思って仲間に車を走らせてもらったんだけど――近付く内に、そこで何が起こっているのかが分かったんだよ」
「……続きを頼む」
「――死体が転がっている中、バギーに乗ってでっかい土竜に向かって往く……其処の彼の姿が、見えたんだ。初めはおいも、賞金の掛けられたあの土竜に挑んだ何処かの徒党が壊滅して、その最後に残された人が必死で抵抗してるのかって思ったよ。けど、実際は違ったんだ。彼は、紛れも無く狩人で捕食者なんだ」
「…………」
「後はもう、其処の銀髪の彼が言った通りだよ。凄まじい手際で土竜を仕留めた彼は、散らばった遺体に手を合わせた後――炎上したバギーを捨てて、軽トラックに荷物を載せて街の方向に戻って行ったよ。それがさっき彼の話に出てきた、君たちの車だろ?」
「で、でもよ……そんなことを……」
それでも――と。
周囲は、ざわめきを増す。
途轍もない風格を放つRIKISHIの目撃証言を聞かされても、未だ釈然としない男を中心とした集団へと、再び巨漢は口を開いた。
「――君たちの仲間の遺体はきちんと死体袋に仕舞ってから、おいの仲間の車に積んで来たよ」
「えっ……」
「だから君たち、後で見に来ると良い。それを見れば、仲間の死因が人為的なものでないってことくらいすぐに分かるよ。おいは、嘘吐かない――SEKIWAKEの名に懸けてね」
その台詞を聞いて、代表格の顔が驚愕に染まる。
「そこまでッ……分かった。仲間を、確認させて……くれ」
「うん、それじゃ行こうか。身体が残ってるんだから、きちんと弔ってあげないとね」
――そうして踵を返して、動くだけで地響きすら起こりそうな体躯でありながら、音一つ立てないで歩み出すRIKISHI。
クレイへと絡んできた集団を先導し酒場を去ろうとする巨漢へと――此処でクレイは、声を掛けた。
「RIKISHI殿、貴方のお蔭で要らぬトラブルを回避することが出来た――感謝する」
「いいっていいって、おいは事実を言っただけだよ」
「名前を――聞かせては、貰えぬだろうか? 私は、クレイと云う者だ」
「えっと、名乗るほどの者じゃないんだけど……おいは一応、周りからは『星の海』って呼ばれてるかな」
「ありがとう、星の海殿。あぁ、それから君……これが車両の鍵だ。ほら、お返しする」
「あ、あぁ……」
それじゃあ――と。
クレイより鍵を受け取る男たちを引き連れた星の海は、酒場から出て往った。
されど――周囲で聞き耳を立てていた者たちは、大騒ぎである。
「マジかよ!? アレって、マジでホンモンかよ! ホンモノの星の海かよ!」
「いやいやいや! んなわけねぇって! ハッタリだろ!?」
「で、でもよ! フツーの奴に、あんな凄みがあるわけねぇだろ!」
「うぉおおおおおおお初めて生で見たぜ!」
「あれが噂に聞くSEKIWAKE、か……。纏うオーラが、まるで別格だぜ」
やはりと言うべきか――巨躯のRIKISIは、相当に力を持った者であったらしい。
「全く……世界は広い、な」
――今日はもう一杯だけ、愉しむことにしよう。
*
【RIKISHI】
それは、古来より存在する神聖なる戦士の名称。
完全無欠に、己の肉体のみを頼りとして戦う重量級の男たちを指す言葉である。
RIKISHIが活躍する闘いをSUMOUと言い、この際には一切の武器を用いることは許されない。
それは互いの身の安全のためなどでは無く、あらゆるものを圧倒する力を持つRIKISHIの前では武器は意味を為さないためである。
戦闘時に彼らが纏うことの出来る防具も同様であるが、唯一MAWASHIと言う古代の神木に巻き付けられた装飾付の注連縄のみの着用を許されるものであり――RIKISHI本来の全力を出すための装備なのだ。
故にそれ以外の装備は、RIKISHIにとって足枷にしかならない――力を押さえ付けてしまう拘束具のようなものであろうか。
加えて、彼らは身一つで戦うというその特性故に、車両に乗ることは出来ても運用しての戦闘には全く向かない。
相手が変異体であろうと機械であろうと何であろうと、RIKISHIの繰り出すHARITEの前に立っていられる者は存在しないのだ。
そしてRIKISHIは、その実力に応じた階級ごとに身分が判れており、RIKISHIとなった以上――誰もが、今は無き幻の番付であるYOKOZUNAに憧れる。
YOKOZUNAとは、神の如き力を持ち得る者と言い伝えられているが……文献も碌に残っていない現代では、詳細も未だ不明である。
此度登場した星の海の階級であるSEKIWAKEは、現存する番付の中ではOZEKIに続いて上から二番目に位置する。
鋼鉄で覆われた強固な戦車すらもHARITE一発で撥ね飛ばし、捕えられたらSABAORIでスクラップに変えてしまう。