4話
講義が終わり、時間割を確認すると、お互い二限が空いていることが分かった。
ならばということで、渚の提案により俺たちはキャンパス内を散歩することにした。
俺たちの通う大学は、都市部から少し離れた郊外の、しかも山あいに位置している。
すべての学部が一つのキャンパスに集まっていることもあって、国内でも有数の広さを誇るキャンパスとなっている。
「三条くん、あそこのベンチに座ろうか」
そう言って渚が指差したのは、木陰にぽつんと置かれたベンチだ。講義中だからか、辺りの人気はまばらである。
俺は誰に促されるわけでもなく、人数分の缶ジュースを近くの自販機から調達してきた。
「お茶でよかったか?」
「うわー! ありがとう! これ、お金」
「いいよ、これくらい」
「そんな、おごってもらうなんて悪いよー」
渚は小銭を俺に渡そうと必死だ。しかし、大した金額でもないため、わざわざそれを受け取るのはケチくさいような気もする。
「友達なら、当たり前だろ」
俺はここぞとばかりに、友達という単語を取り出した。しかも、いつもの声のトーンより気持ち低めだ。更にドヤ顔も追加してやろう。
なにせ、俺たちは今日だけ友達を演じているのだからな。
こちらの口から思わぬ言葉が出てきたからか、渚は少し当惑した様子だ。しかし、突如として、渚は何かを思いついたかに見えると、したり顔で俺に近寄ってきた。
「じゃあ、この借りは今度返すことにするね?」
なるほど、そう来たか。ここであえて俺に借りを作っておくことで、友達としての関係を継続させようという腹積もりらしい。
……よろしい。戦争だ。
「いや、気にしなくていいぞ。こんなの貸したうちに入らないから」
「私はどんな小さなことでもきっちり返すって決めてるの!」
そこで俺は、少し意地悪な質問をしてみることにした。
「じゃあ、仮に、渚に好意を持っている人がプレゼントをくれたときに、その人物が渚の苦手なタイプだったらどうする?」
普通ならば、相手と関わりたくないはず。もしくは、最初から受け取らないだろう。
「そうだね。まず、その質問は前提からして間違ってるよ」
どういうことだ?
「私は、誰かを嫌ったり、苦手に思うことなんてないから」
「おいおい、そんなことは、聖人君子でもない限り不可能だ」
少なくとも、俺には出来ない芸当だった。事実、好き嫌いのない人間がこの世界にどれだけいようか。
「私は聖人君子なんかじゃないよ。でも、性善説は信じてるかな」
「その性善説とやらは、俺にも当てはまるのか」
渚はにやりと笑って、当たり前じゃんと続ける。
「だって、現にこうしてお茶をおごってくれようとしてたわけだし。そんな人が悪い人なわけないって!」
ここまできたら、もはや馬鹿と呼んでいい領域かもしれないな。この先、本当の悪人に騙されないことを祈っているぞ。
「なるほど。お前がどんな奴にも借りを作らない、律儀な人間だということがよーくわかった」
「三条くんって、ひとつひとつの言葉にトゲがあるよね……」
渚は狼狽しながら、そうつぶやいた。
「とは言っても渚が忘れる可能性もゼロじゃないしな。まあ、それならそれで別にいいけど」
「……私がそんなに忘れっぽく見える?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「……私は、絶対に忘れたりしないよ。誰のことも。たとえ誰かが私のことを忘れてしまったとしても、私は忘れない」
そう語る渚の目には、どこか諦観の色が見えた。
なんだ? 何か地雷でも踏んでしまったのか? まだ出会って間もないのに、しかもこんな早い段階で俺はやらかしてしまったらしい。
これが戦場だったら、今頃あの世にいただろうな。
しかし、数秒前までの渚と、今現在の渚の纏う雰囲気はまるで違う。一体、どうしたというんだ。
単に明るくて、誰とでも打ち解けられる女の子なのだと思っていたが、どうやら裏がありそうだ。
そのとき、俺たち(正確には渚)のもとに近づいてくる人影がみえた。男女3人組だが、どれも見覚えのある顔だし、恐らく同じ学科の奴らなのだろう。面倒だと思いつつも、少しだけありがたいとも思った。
「渚ちゃん久しぶり。この前の飲み以来だよね!」
そういって話し掛けて来たのは茶髪の見るからに大学生然とした男だ。
「山田くん、この前相当酔ってたけど、大丈夫だった?」
「それがさ、道端で寝るわリバースするわで大変だったんだよね……」
横から入ってきたのは黒髪のメガネだ。
「おい佐藤! 余計なこと言わなくていいんだよ」
なるほど。こいつらは渚と飲みに行くくらいの仲なのか。いや、学科で集まって飲みに行ったとかいうパターンもあるな。
いずれにしても、渚とはある程度親交があるらしい。
「あ、あのさ」
話に取り残されていた残りのメンバーが口を開いた。
「あぁ、悪い盛り上がっちまって。お前はあの日来れなかったんだよな」
「いや、そうじゃなくて……」
俺と、そして渚を交互に見てから、そいつは言った。
「この人たち、誰?」
瞬間、空気が凍結する。静寂の中、茶髪とメガネは信じられないといった顔をしている。まるで狐につままれたかのようだ。
渚に目をやると、特に動揺した様子も見せていない。
「いや、確かにこっちの男は俺たちも初対面だけど、渚ちゃんは違うだろ?」
「お前も渚ちゃんかわいいって言ってたよな」
「えっと、あれ? おかしいな……」
沈黙を保っていた渚が立ち上がる。
「じゃあ、紹介するね! この人は、三条翼くん。私たちと同じ文学部の2年生なんだ。私がずっと探してるって言ってた人だよ!」
「ああ、誰も知らなかったっていう噂の……」
俺は知らないところで噂になっていたのか……。
「そして、私は糸魚川渚。もう、忘れるなんてひどいよー」
「えっ、ご、ごめん! 渚さんだよね。あれ……僕どうしたんだろう」
「昨日、告白して振られたからおかしくなったのかもな!」
「ちょっと、やめてよ!」
俺を除く4人は笑っているが、俺には解せない部分が何か所もあった。やはり、渚は普通じゃない。何か秘密を隠しているんじゃないか。
彼女たちが談笑している傍ら、俺はその謎について思いを巡らせていた。