14話
ホイッスルと共に次の試合が始まった。キックオフは自チームからだ。ボールを受け取った俺は、後方の味方にすぐさまボールを渡した。すると、敵チームの一人がスッと俺の近くまで寄ってきた。敵チームの一人に対してぴったりとディフェンスに付く、所謂マンマークという戦術である。先ほどの試合を見ていたなら仕方ないとも思うが、こんなに露骨にマークされると不思議と対抗意識が燃えてくる。
スペースに移動した俺は、味方からのパスを受けた。俺をマークしていた相手は、それに反応してすぐさまボールを奪いに来た。
「(やる気があるのか……?)」
緩慢な守備など、俺の前には存在しないも同然である。軽くフェイントをかけて躱し、ゴールへと突き進む。力の差を見せつけるかのように一人、また一人と抜いていく。素人相手に大人げないとは思ったが、根が負けず嫌いだから仕方ない。許してくれ。
俺はペナルティーエリアの手前で、ゴール前に飛び出した青山にスルーパスを出した。決定的な好機を、彼は見事に射止めて見せた。
「最高のパスだったぜ、太郎!」
青山はそういいながら手を高く挙げ、駆け寄ってきた。俺は渋々ハイタッチに応えた。他のチームメイトも戦果を収めた俺たちに称賛を送ってくれた。こうして褒められるのも悪くないものだ。
相手チームにもサッカーの心得のある者が数人ながらいたはずであるが、結果として五点差もつく大勝をまたしてもあげることとなった。少し出来過ぎな気がするが。
今回の分の試合が終わり、チーム間の力量の差が歴然としていることに方々から不満が沸き起こった。
「お前らのチーム強すぎるだろ。それに、なんで経験者なのに名乗り出なかったんだよ。不公平じゃないか」
対戦を終えた相手の中のゴリラみたいな顔をした一人が俺の下までやってきて、そう言い放った。顔が怖いし、近い。鬱陶しいな。
「はあ? お前何様だよ。喧嘩売ってんの?」
しまった、また心の声が勝手に表出してしまっていた。ゴリラの怒りがどんどんと増していくのがわかった。このまま胸でも叩きだすんじゃないか。
確かに、最初の時点で名乗り出なかったのは悪いことをしたと思うが、俺自身、元々はこんなことになる予定ではなかったのだ。たかが授業のおままごとサッカーごときで熱くなって……勘弁してくれ。
「いやー、すまない! 実は俺が黙ってくれって頼んだんだよ。こいつが上手いって知ってたからさ。ちょっとした出来心なんだよ」
横から入ってきたのは、青山だった。彼は、それから怒れるゴリラを諫めるように、上手くこの場を取りまとめる方向へと話を進めていく。これがコミュ力の違いか。
ゴリラは完全に納得した様子ではなかったが、青山の巧みな話術に絡めとられ、いつしか何に対して怒っていたかも忘れたようだった。俺たちに踵を返すと、首を傾げながら胸をドンッと叩いた。あ、やっぱり叩くんだ。ていうか馬鹿で助かった。ありがとう脳筋。
「太郎もいい迷惑だよな。みんなきっとお前に嫉妬してるんだぜ」
「嫉妬?」
「こんな遊びみたいな試合だったけどさ、やっぱりわかる奴にはわかるんだよ。お前の凄さが。みんな注目してたよ、俺も含めて」
「俺は……正直目立ちたくない。注目されるのも、めんどくさい。次はもうボールを触りたくないね」
「……多分、そういうところだと思う。お前が嫌われるの」
「……え?」
青山は、その先に言葉を続けようとしたが、俺の目を見て躊躇したようだった。いささか決まりが悪いのか、目線を足元へと落とした。
「会ったばかりの奴に色々と突っ込まれるのは気に食わないよな。すまん」
「いや、別に気にしてないけど」
ところで、と彼は身に纏う負の空気を叩き捨てるかのような声色で話を切り出してきた。
「サッカー部入らない?」
「さっきも全く同じやり取りしたぞ……。お断りだ」
「そこを何とか!」
「嫌です」
「うーん、この感じならいけると思ったんだけどな。まあ、この話はまた今度にするか」
どうやら、まだ諦めるつもりはないようだ。
「そうそう、聞こうと思ってたんだけど、太郎ってどこの高校出身なの? やっぱ有名校?」
「……瑠璃ヶ丘」
「……マジ?」
「マジ」
そのとき、青山は何かに気付いた様子で「あっ」と頓狂な声をあげた。
「お前の顔、覚えてるぞ! 瑠璃ヶ丘の三条翼だろ!」
「……知ってんの?」
「そりゃ有名人だからな。ていうか、平然と嘘の名前教えるなよ……」
悪かったなとだけ言い返し、俺は青山の顔も見ずに再び歩き出した。しかし、諦めない青山は俺の横に並び、矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
どうしてサッカー辞めたのか、そういえばある日を境に全く名前を聞かなくなったが、何かあったのかなど立て続けに湧いてくる疑問をそのまま俺に対してぶつけているようだ。
こいつは恐らく無自覚に人のことを傷つける奴なんだろう。よく言えば鈍感。悪く言えば無神経。それでいて本人に悪意はなく、いたって純粋なのだ。こういうタイプの人間が一番タチが悪いと俺は思う。人には、聞かれたくないことの一つや二つあるだろう。
「す、すまん……。俺たちまだ知り合ったばかりだもんな……」
無意識に誰かを傷つけるという点だけなら、こいつも俺も同じか。どうやらまた、心の内で考えていたことが声になって外に漏れだしていたようだ。
いかにも怪訝そうな俺の顔を見て、さすがの青山も何かを察したらしく、それ以上は何も聞いてこようとはしなかった。また話そうとだけ言い残して、他の友人の下へと走っていった。なんだか悪いことをしたような気がする。
はぁ、と大きなため息をつき、背中を丸めるようにして、ひとりグラウンドを後にした。
◇◇◇
更衣室で着替えを済ませた俺は、大学構内を当てもなく彷徨していた。スマートフォンを握りしめて、どこへ向かうでもなくただ歩いていた。考えていることはただ一つ、渚からの返信についてだった。
先刻の講義が始まる前に送信したメッセージを渚は読んでくれているだろうか。そして、返事をしてくれたのだろうか。確認するのが恐ろしい。しかし、見てみないことには何も始まらない。頭では理解しているのだが、身体が拒否反応を示すかのように、強ばってしまう。
俺はその場に立ち止まって、右手を見つめた。手のひらに乗せられたスマートフォンの画面は暗転したままだ。もし、渚から何かしらのメッセージが届いていれば、通知が表示されるはず。反応がなければ、お馴染みのロック画面が映し出されるだろう。その審判を下すのは、ボタンを押すという行為のみ。
スマートフォンのスリープを解くという何気ない行動が、こんなにも躊躇われることだとは思いもしなかった。青天の霹靂である。
自らの意識が外界の時間軸からどんどんと乖離していく。一瞬間が無限に引き延ばされているようだった。そんな俺の意識を現実に引き戻したのは、ピョコンという珍妙な通知音であった。
それと同時に、黒く塗りつぶされたスマートフォンの液晶が色彩を取り戻す。
『メール:大学図書館からのお知らせです』
たったいま届いたのは、大学からの通知メールだった。他にも数件のメールが通知欄に残っていた。すべて事務的な連絡だけだったため、後で読むことにしてスクロールを続けた。
そう、俺がいま求めているのは渚からのLINNEだけだ。本命は果たして届いているのだろうか。
『LINNE:なぎさ:今日は3限のあとから暇だよー』
……あった。渚からのメッセージ。
俺は、しっかりとこの目で確かめるために、急いでLINNEのアプリを起動した。
『三条翼:今日、会えるか?(12時50分)』
『なぎさ:今日は3限のあとから暇だよー(12時53分)』
俺と渚のトークルームには、これだけのやり取りしか記録されていない。しかし、俺にとっては何よりも大きな一歩である。初めて誰かと交わしたLINNEでの会話。真っ先に俺の心に去来したものは、安堵の二文字であった。
不安も大きかったが、やはり返事が来たことで安心できた。
渚も三限で終わりなら都合がいい。俺は、続けてメッセージを送った。
『三条翼:俺も3限で終わりだから、喫茶店にでも行こう。話したいことがある(14時30分)』
『なぎさ:いいよ!いま授業終わったところ!(14時31分)』
『三条翼:図書館の前で待つ(14時32分)』
渚からは「OK!」とキャラクターが言っているスタンプが送信されてきた。それを確認した俺は、図書館まで滑るようにして向かった。
到着して間もなく、待ち人は姿を現した。自然と笑みがこぼれる。
「よう」
「ごめんね、待たせちゃったかな」
「いや、たったいま俺も来たところだ」
「そっか、それならよかった」
渚と再び会えたことで、俺の不安は若干ではあるが払拭された。だが、未だ違和感は残ったままだ。渚の記憶がまるっと無くなっていたこと。その不可思議な現象について、明らかにしなければならない。
「とりあえず、どこか喫茶店でも行こうか」
「いいね! ちょっと気になってるお店もあるし、そこに行ってみない?」
「わかった、場所は渚に任せよう」
渚によると、大学からほど近いところにその店はあるらしい。聞いたことのない名前だったが、この際場所はどこでも構わない。
大学構内から一歩外に出て、程なくして目的地に到着した。周りは静かな住宅街で、学生の住むアパート群の中であった。こんなところに喫茶店があったなんて知らなかった。
店の外観は普通の民家のようであったが、入り口に置いてある黒板と扉に提げられている「OPEN」と書かれた札から、そこが何かしらの店であることを想像させた。恐る恐る外の窓から店内を覗いてみると、薄暗い上に人の気配が感じられない。ホントにここで大丈夫なのか?
一抹の不安を覚えて渚を見やると、俺と同じようなことを考えていたような目をしている。マジか。
「初めて入るけど、大丈夫かな……」
「まあ……とりあえず中に入ってみるか……」
ドアを押し開けるとカランカランという軽快な音が鳴った。
「いらっしゃい」
その声の主はカウンターに立って、サイフォンの手入れをしていた。どうやらちゃんとした喫茶店のようだ。恐らくこの人物がマスターであろう。柔和な笑顔が印象的な中年男性である。
俺と渚は入り口から一番遠い奥のテーブルに座ることにした。
「何にする? 俺はブレンド」
「うーん、わたしもそれで!」
マスター(と思しき人)に注文を告げ、俺は早速渚に今日の本題を投げかけた。
「突然呼び出してごめんな。ちょうど予定が合って本当によかった」
「ううん、三条くんから声をかけてくれて嬉しかったよ。私も会いたかったし」
「ちょっと渚に聞きたいことがあったからな」
「うん、どうしたの?」
渚はきょとんとした顔で聞いてきた。
「今朝、不思議なことがあったんだ。それも、渚に関わることで」
「……どんなこと?」
今度は一転、興味深そうに俺の目を見つめてきた。何か圧のようなものを感じたが、俺は続けた。
「昨日、渚と遊んだ記憶がなくなっていた。もっと言えば、渚に関わること全てが俺の記憶から消えていた。これって、普通じゃないだろ?」
「……うん」
「でも、俺はまた思い出すことができた。今もちゃんと思い出せる。だから、あれはなんだったんだろうって……こんなこと突然言いだして気持ち悪いかもしれないけど、本当に起きたことなんだ」
「三条くんはおかしくないよ、それに思い出してくれてありがとう……」
「ただ、思い出せたのはある人に会ってヒントをもらったからなんだよな。それがなかったら完全に忘れたままだったかもしれない」
「ちょっと! それ、どんな人だった?」
渚は突然立ち上がってそう叫んだ。一瞬、時間が止まり、世界から音が消え去ったかのように思った。俺は、驚愕の表情で渚を見た。ちょうどコーヒーを持ってきたマスターも呆気にとられている。
その様子を見て冷静になったのか、渚は慌てて座った。顔は火が出るんじゃないかと錯覚するくらい赤くなっていた。