10話
夢だ。また同じ夢を見た。これで何度目か、それを数えることすら、もうやめてしまったほどだ。
けたたましく鳴り響くアラームを微睡む意識の中で止め、うっすらと目を開けながら天井の一点を見つめる。
俺は、さっきまで夢の中にいた。久しぶりに夢を見た気がする。だが、夢を見るときは、決まって同じ内容なのだ。
これまで全く同じ内容の夢を、何度も繰り返し見てきた。そして、それを見た日は、決まって気分が優れなくなる。それも当然、内容が内容なだけにな。
夢占いなどというものを調べたこともあるが、決まって「不幸な内容は近いうちに幸福が訪れる」などというふざけた文章が書き連ねてあるだけだった。
俺の現状を見てもらえばわかるように、幸せなんぞが歩いてやってくる気配は、ミジンコ一匹たりともない。
かといって、幸せの方に向かって歩いて行けるほど、殊勝な性格ではないのだ。一日一歩も進めずに、ジリジリと後退していくだけの人生。
俺の人生のピークは、この世に生まれ落ち、産声をあげた瞬間であっただろう。きっとそうだ。
こんな人生に何の意味があるのだろう。できることなら、ホモ・サピエンス以外に生まれたかった。いま一番生まれ変わりたいのはアルパカだが、この際、多くは望まない。霊長類でいいから、人間以外の生物ならなんでもいい。
俺の迎える朝は、決まってこんな様子だ。同じ夢を見て、ただただ死にたくなる。当たり前のように呼吸をし、心臓が時を刻んでいることに後悔する。
だが、俺は今を生きている。どうしようもないくらいに、俺は「人間」なんだ。それを、実感する。
いつもの朝だ。また、今日も代わり映えのない毎日を送ることになるのだろう。俺は、何にも期待しない。期待しなければ、期待されることもない。そして、淡々と毎日を消化し、終わりを迎える。俺には、お似合いの人生だ。
ハッピーエンドもバッドエンドもない、それが平凡な人間の一生なのだと思う。
人が物語を生み出し、それを消費するのは、日常から逃避したいからだ。物語の中にある、非日常を覗き見ることによって、登場人物に自らを重ね合わせる。
俺も小説を読むが、非日常の疑似体験を期待するというよりか、一層現実の厳しさを思い知ることの方が多い。
ある意味で、本を読むことを通じて、生を感じているのかもしれない。非日常を垣間見ることによって、己の平凡さ、つまらなさを思い知ることができるから。
何も持たざる人間は、何者にもなれない。自分は特別な人間などではなく、「選ばれなかった側」の人間。物語を消費することで、自らを戒めているのだ。
やがて、意識がはっきりとし始めてくる。覚醒とともに、俺は上体をのっそりと引き起こし、ベッドから降りる。
カーテンを開け、朝日に目を細めた。部屋の中が一気に光に充たされる。
ひんやりと冷たいフローリングの感触を、素足で感じながら、俺はバスルームへと向かった。
朝一番にやることと言えば、洗顔と歯磨き。そうしないとスイッチが入らないというか、何をするにもやる気が起きないのだ。
これは、俺の中のルーティンの一つである。決まった行動をすることによって、スイッチを切り替える。細かい動作を含め、こうしたルーティンは他にもいくつかある。
アスリート、例えばプロ野球選手は、バッターボックスに入った際に、必ず決まった動きをしてからバットを構える。これがルーティンと呼ばれる行動である。決まった動作をすることで、集中力を高め、良いパフォーマンスを引き出すと言われている。
俺の場合はそんなに大層なものではないが、決まりきった行動をすることで気持ちを切り替えているのだ。
洗顔を終え、生活感のまるで感じられない6畳ほどのリビングに戻って、テーブルの脇に置かれた座椅子に背中を預ける。
俺の部屋には余計なものがない。テーブル、座椅子、ベッド、それから本棚か。あとはノートパソコンなどの必要な家電。
ただ、テレビは設置していない。なにせ、芸能人が美味い料理を美味そうに食べたり、面白おかしく喋ったりする映像が延々と垂れ流されているだけの番組を見ようという気なんて毛頭起きないからな。
ゴールデンタイムに放送されているテレビ番組は多くがそういった趣旨のものだろう? 何が面白いんだろうな。誰か教えてくれるか?
まあ、それを受け入れられないあたり、自分自身が少数派で社会に適合できないクズ人間である所以なのかもしれないな。
ともあれ、生きていくうえで困ることがなければ、それでいい。俺の「何事にも期待するべからず」という人生哲学からも、そういう結論に達しているからな。
俺は何も期待しない。当然、自分自身にも。まあ、こんなどうしようもない、いつ死んでもいいようなクズに期待するような奴は誰一人としていないわけだし、せめて俺くらいは期待してやってもいいのかもしれないがな。
そんな風に自嘲しながら、俺は煙草に火を点けた。煙を一気に肺まで送り込み、そして吐き出す。紫煙を燻らせている間は、何もかも忘れ、何も考えずにいられる。だから、この一時が俺は好きだ。
白煙がゆらゆらと、意思を持たぬペン先のような軌道を描いて昇っていく。このままぼうっとその様子を見ているだけで、一日が終わってしまうような気がした。
このままではいけないと、時計を見やる。すると、時刻は8時を回ったところだった。このまま支度をして、大学に向かえば十分間に合う。俺は煙草を咥えたまま、キッチンへと歩いていった。
白い深めの丸皿を取り出し、シリアルをザザッと適当に流し込む。その上からたっぷりと牛乳をかければ、朝食の完成である。所要時間は30秒。この手軽さから、俺は毎朝同じもので腹を満たしている。
こうした決まりきった食事も、俺の「代わり映えのない日常」を構成するピースである。
吸い終わった煙草の火を、灰皿の底で乱暴に押し消し、シンクの前に立ったままその場でシリアルを胃の中にかき込む。
ザクッザクッという租借音だけが誰もいないキッチンに響いていた。
簡素な食事を終え、身支度を整える。適当なシャツにジーパン。身を包むものなんて、なんだっていいんだ。最悪、お巡りさんに捕まらなければ、それでいい。つまり、裸以外ならなんでもいいってことだ。俺にこだわりはない。
自宅の、無駄に重い扉を押し開ける。空を見上げると、雲が一片たりとも見当たらなかった。
清々しい朝である。あんな夢を見たことを除けば。
そんなことを考えながら、俺は自転車に跨り、大学へと向かった。
変わらない日々。繰り返されるだけの日常。それが、また今日も始まったのである。