(終)
小さな家と店が立ち並ぶ道路を歩いていくと村の人々はある者は興味深そうに、別のものは不信感丸出しでこちらを見ている。恐らく俺の匂いが気になるんだろう。
「なあ、どうだ? 罠みたいなものは感じるか?」
「さあな。今のところは何も感じないな。まだはっきりとは判らないが」
セシルはきょろきょろと周りを見回しながら、匂いを嗅いでいる。
「ここって、ひょっとしてみんなヴァンパイアなんですか?」
「ああ、そうだ」
「信じられない。そんな村があるなんて」
「もちろん、このことを知っている奴はほとんどいねえからな」
「あの、デビィ。あなたははゾンビでしょ? 何でレイと暮らしてるんですか?」
「それはいろいろあったとしか言えねえな」
「そうですか。それにしてもヴァンパイアもゾンビも本物の食事風景は凄まじいですね。恐くて血生臭くて僕にはとても出来そうにないです」
レイはセシルのほうを振り返るとにやりと笑った。
「判ってる。だからこそこの村へ連れてこようと思ったんだよ」
村長の家は道路から少し奥まったところにある広い庭の家だった。きちんと手入れされた庭には色とりどりの花が咲き、ラベンダーのいい香りが漂っている。
「さあ、どうぞお入りください」
居心地の良さそうな素朴な木製の家具の置かれた居間に案内され、奥さんがコーヒーとビスケットを持ってきた頃には俺の不安もだいぶ解消していた。
レイがセシルのことを村長に説明すると、彼は快くセシルの受け入れを承知してくれた。
「よろしくお願いします」
セシルは立ち上がると村長のほうにおずおずと左手を伸ばした。
「ああ、こちらこそ。まずは君を預かってくれる家を探さないといけないな」
「僕、腕が元に戻ったら何でもします。働かせてください」
「頼むよ。君のような若い人は大歓迎だ。ああ、それからレイさん。さっそくアシュリーを連れてくるんでここで待っててください」
数分後、外から話し声が聞こえてきてドアが開き、入ってきたのは砂色の髪を短く刈り込んだ精悍な顔立ちの初老の男だった。黒い上着に黒いスラックス。身のこなしからして只者ではないことが伝わってくる。その手にはペット用のキャリーバッグを下げている。
彼はレイの顔を見た途端、目を輝かせた。
「レイ様! よくぞご無事で!」
「アシュリー、君も無事だったんだね。会えて嬉しいよ」
彼はレイに駆け寄るとキャリーを置き、二人は互いに背中に手を回してがっしりと抱きしめあった。
「相変わらずお美しい。でもその髪の色はどうなさったのですか?」
「染めてる。俺は賞金首なんでね。用心してるのさ」
「そうですか。お母様譲りの金髪が……ちょっと残念です」
レイとアシュリーは隣どうしで腰を下ろした。アシュリーの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「ずいぶん探しました。1999年、あの男、ジェイクはお父様を殺害したのです。長老もです。きっかけはお父様がジェイクがハンター達と手を組んで自分達を狩らない代わりに従わない者の居場所を教えて殺させていることを知ったことです。でも、私は実際にお父様の殺害は目撃していません。襲撃される前の晩、お父様はジェイクの企みに気付いていました。そして、自分は決して逃げず、彼と戦う。でもお前は今のうちに逃げろと、私にこれを託されて……」
アシュリーはキャリーをテーブルの上に置いた。
側面の格子の間から雪のように白い蝙蝠が逆さにぶら下がっているのが見えた。その瞳はルビーのように赤い。
「これは……父の使い魔じゃないか。名前は確か……ブラン」
蝙蝠はレイを見上げてチチッ、と小さく鳴いた。
「レイ様の封印を解いてこれを渡して欲しいと。私はすぐにレイ様の棺のある森に向かいましたが、そこにはすでにジェイクの部下がハンターを大勢集めていたので、近付くことすら出来ず……本当に申し訳ございません」
「それは仕方がないよ。俺だって彼に出会わなかったらきっと棺の中で殺されていただろうし。アシュリー、彼はデビィ。俺の同居人だ」
俺はアシュリーに軽く会釈した。
「彼と暮らされているのですか?」
「ああ、でも単なる友人関係だ」
「そうですか」
アシュリーは俺の顔をまじまじと見ている。何だか少々居心地が悪い。
「失礼いたしました。デビィ様。レイ様と仲良くしてくださっていて嬉しい限りです。レイ様はずっとご友人がいなかったので」
アシュリーはキャリーの蓋を開けると蝙蝠を両手で抱えて持ち上げた。
「それではこれから儀式を行います。レイ、ブランがあなたの使い魔としてふさわしいかどうか。それはブラン自身が決めます。相性がありますからもし駄目でもがっかりなさらぬように」
アシュリーの手の上からブランが飛び立ち、レイの右肩の上に乗った。蝙蝠はしばらくレイの首筋を小さな舌で舐めていたが、いきなりガブリと噛み付いた。美味そうに喉を鳴らす蝙蝠の様子にレイが少しだけ顔を顰める。やがてレイの血を吸った蝙蝠はすいっと飛び立ってキャリーの蓋に渡された棒にぶら下がった。
アシュリーは心の底からほっとしたのか、初めて笑顔を見せた。
「終了です。これでブランは名実共にレイ様の使い魔です」
「ええと、使い魔ってどう扱えばいいのかな」
「特に難しいことはありませんよ。普段はあまり食べませんが食べ物が欲しい時は要求しますから、人間と同じものを。あとは毎日酒を与えてください」
『美味い酒を頼むよ、レイ』
蝙蝠が喋った。まあ、使い魔なら当たり前だが、セシルは身を乗り出して目を丸くしてブランを見ている。
「判った。でも普段はビールしかないよ、ブラン」
『それでいい』
「あなたと暮らしていくうちにブランはきっといろいろなことを教えてくれるはずですよ、レイ。お父様もブランには凄い能力があるとおっしゃっていましたが、詳しいことは決して話されませんでした」
「ありがとう、アシュリー。きっと父さんも喜んでるよ。君はこれからどうするの?」
アシュリーはそっとキャリーの蓋を閉めて微笑んだ。
「私はこの村に住みます。もしハンターが襲ってくるようなことがあったら命懸けでここの住人達を守りますよ」
「俺は訳あって、今住んでいるところは教えられないんだが、またミーナを通じて連絡するよ」
「お待ちしております」
今まで黙って事の成り行きを見ていた村長が突然立ち上がった。
「そうだ、アシュリーさん。あなたに空き家を提供します。お金は要りません。その代わり、この少年、セシルというんですが、一緒に暮らしてやってくれませんか?」
セシルとアシュリーは思わず顔を見合わせた。
「ええ、もちろん。構いませんよ。ちょうど話し相手が欲しいと思っていたところです」
セシルは緊張した面持ちで立ち上がり、アシュリーに手を差し出す。
「あ、あの。よろしくお願いします!」
アシュリーはその手をしっかりと握り返した。
「頼んだよ、アシュリー。彼もかなり大変な経験をしてきてるんだ。優しくしてやってくれ」
「かしこまりました。お任せください、レイ様」
レイの言葉にアシュリーは力強く答えた。
その晩、俺とレイとセシルは村長の家に泊めてもらった。アシュリーも別の部屋に泊まっている。
レイはキャリーの中で眠っているブランを時々眺めてはなにやら考え込んでいる。
「どうした、レイ」
「ああ、俺、ペットとか飼ったことないからさ、何だかちょっと嬉しいような、不安なような複雑な気持ちなんだ」
「大丈夫ですよ。きっとうまくいきます」
セシルがソファに蹲るように腰掛けてテレビを見ながら答えた。
「そうだな。まあ、そいつが生意気な奴だったらちょっと嫌かもな」
これは俺。
「彼は紳士だよ、デビィ。少なくとも父さんといる時はそうだった」
レイは遠くを見るような眼差しでふっと溜息をついた。
「まあ、止めよう。他の嫌なことも一緒に思い出しそうになるから。それよりそろそろ寝るぞ。明日は早めに帰ろう」
レイがいきなりシャツを脱いで絹のパジャマに着替えだしたので、セシルがちょっと顔を赤くした。もう昼間受けた傷はほとんど塞がっている。
「さて、ベッドが二つだが、君はどっちに寝る? セシル」
「あ、あの、レイと」
まあ、そうだろうな。
「あ、あの。もしよかったらお礼に僕の身体を」
その途端、レイは彼の顔を平手打ちにした。セシルはびっくりして涙目でレイを見つめている。
「いいか。お前は過去を捨てたはずだ。あの腕と一緒に。だからもう二度とそんなことは言うな。自分の身体を売るような真似は絶対するな。ただ、もちろん、金銭関係なしでお互いに心から愛し合える相手が出来た場合は話は別だけどな」
「判りました。ごめんなさい」
レイが毛布に潜り込むと、セシルも隣に滑り込んだ。
「もう何も心配するな。ゆっくり眠るといい」
疲れたのだろう。すぐにセシルが寝息を立て始める。
「デビィ、お前も早く寝ろよ」
レイはそういいながら、セシルの天使のような寝顔をいつまでも見つめていた。
翌日、7月4日の独立記念日。
村長はセシルとアシュリーを連れて家の外まで俺達を見送りに出てきてくれた。
「おお、そうだ。今日はバーベキュー大会があるんです。夜は花火も打ち上げます。どうですか? もうしばらく滞在されては」
村長の誘いの言葉にレイは少し名残惜しそうに答えた。
「そうしたいところですが、仕事があるので帰らないと」
「そうですか。それは残念だ。お二人ともいつでもまたいらしてください」
「ええ。そうさせていただきます」
セシルは寂しそうな顔でレイと俺を交互に眺めていたが、やがてぼそりと口を開いた。
「あの、レイ、デビィ、本当に……ありがとうございました!」
彼の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「ああ。元気でな」
「アシュリーとうまくやっていけよ、セシル。彼はいい奴だから」
「はい!」
セシルは涙を拭くと輝くように明るい笑顔を見せた。
「レイ様、デビィ様、これからもどうかご無事で」
「ああ。君もね」
アシュリーとレイはお互いの手をしっかりと握り締めた。
三人の姿が見えなくなると、俺達は森を抜ける道へと歩を進めた。
「なあ、レイ。あいつ、幸せになれるといいな」
「大丈夫。なれるよ」
今日も天気がいい。今、俺達にはここへきた時にはいなかった新しい同居人がいる。流れて行く雲を見上げながら、俺は帰ったら何を食おうかと考えていた。
「デビィ、帰ったらまずミーナに報告。夕食はその後だ」
「なんで俺の考えが判るんだよ」
「当然だよ。お前は感情が正直に顔に出るからな」
「うっ……、じゃあ昼飯はどうするんだよ」
「帰りのバスを待つ間、時間があれば、だ。心配するな。夕食の下準備はしてある」
まったく用意がいいな。こいつが女なら完璧な主婦だ。
レイは右手に下げたペットキャリーを感慨深げに見下ろすと、ぽつりと呟いた。
「俺達、ブランとうまくやっていけるといいな、なあ、デビィ」
「だ……な」
何だかちょっと不安になってきたが、きっとどうにかやっていける。そう思うことにしよう。
シルバークロス・タウンに着いたのは夕方だった。ミーナに報告をすると、彼女はほっとしたように顔をほころばせた。
「本当によかったわ、罠じゃなくて。で、その子があなたの使い魔ってわけね? レイ」
ミーナは興味津々でブランのキャリーを覗き込んでいる。
『その子じゃない。ブランだ』
「あらあら、ごめんなさい。ブラン。あなた、凄く魅力的ね」
『ふん、世辞を言っても何も出ないぞ、小娘』
「どうぞよろしく。それから私は小娘じゃなくてミーナよ」
『ああ』
「ミーナとはうまくやっていけそうだな、ブラン」
レイはにやにやしながら二人のやり取りを見ている。
「今日はね、昼間大通りで独立記念日のパレードがあったのよ。とっても綺麗だったわ」
「そうか、観たかったな」
「その代わりと言っちゃなんだけど、7日の日にささやかな七夕パーティを開くことにしたの。二人とも来るわよね? ああ、もちろんブランもね」
「ありがとう。出席させてもらうよ、いいよな、デビィ」
「ああ、美味いもの頼むよ、ミーナ」
「まかせて。特製寿司をご馳走してあげる」
ミーナの店を出る時、俺はレイに見つからないように再び、笹に結びつけた短冊に目を通した。本当に願いが叶ったらいいんだがな。
え? 何て書いたかって?
『俺達にいい未来が訪れますように』
俺とレイにとって何がいい未来なのか、それはきっと神様にしか判らないことだけれど、な。
<END>