(1)
この作品は「TRAP OR TREAT」の続きにあたる話です。
2012年、七月の初め。『キロプテル』の事件が起きてから九ヶ月が過ぎようとしていた。
初夏の日差しが窓から差し込む休日の午後、レイは大きく開いた窓から外を眺めている。長い金髪が吹き込む風を受けてさらさらと靡く。彼は窓を閉め、振り返ると俺に話しかけてきた。
「培養血液の本格製造まであと少しだな、デビィ」
「ああ、そういえばそうだな。月日の立つのは早いもんだ」
レイは窓の傍を離れ、俺の正面のソファに腰を下ろすと真剣な表情で俺の目をまっすぐに見つめてくる。
「なあ、デビィ。将来、モンスターの権利が認められたら俺達はどうなると思う?」
それは、あの事件以来、いや、その以前から常に俺の心の奥底に湧き上がってくる不安だった。だが、それを表に出すことは避けていた。
「さあな。正直、俺には判らねえな」
ペールブルーの瞳から目を逸らし、冷めてしまったマグカップのコーヒーを啜る。いつもより苦い。
「俺は大勢のハンターを殺してきた。だから、その報いを受ける覚悟は出来ている。でも、お前には幸せになって欲しいんだよ、デビィ」
「おい、レイ! 何度も言っただろう。お前と生活を共にすることを選んだ時点で俺も同罪だって。俺一人が幸せになったってちっとも嬉しくねえんだよ!」
「そうか」
レイは柔らかい、だが少し寂しそうな笑みを浮かべ、ふっと溜息をつく。
「まったくしょうがない奴だな、お前は」
仕方ねえだろう。お前はもう俺にとって何者にも変えられない大事な存在なんだから。
「まあ、そうなるまではまだ数年はかかりそうだし、ミーナ達もいろいろ考えてくれてるじゃねえか。それより熱いコーヒー淹れてくれよ。すっかり冷めちまった」
「ああ、そうするよ」
レイが立ち上がった途端、彼の携帯が鳴った。ミーナからだった。
ミーナに呼び出されてやってきたのは彼女の経営する古書店「ミーナ・Sの悪夢」だった。真っ黒なボブカットにこれまた黒いキャミソールとミニスカート。そしてすらりと伸びた脚に黒いハイヒールを履いたミーナは店の入り口で待っていた。ドアの横にはなにやら紙でできたモニュメントがたくさんぶら下がった草のような物が立てかけられている。その横には長方形に切られた色とりどりの紙。
「これは何だ、ミーナ。日本のクリスマスツリーかなにかか?」」
「ああ、これはね。笹っていう草なの。七夕の日にこの紙、短冊って言うんだけど、これに願い事を書いて笹に飾ると叶うのよ」
「タナバタ?」
レイがチェーンみたいな紙のモニュメントに触りながら呟いた。
「そう。七月七日。天の川を挟んで離れ離れになった夫婦の星、ヴェガとアルタイル、日本では織姫と彦星って言うんだけどね。その夫婦が一年に一度出会うことが許される日なの」
「へえ。どうして離されたんだ」
「仲がよすぎて二人とも仕事をしなくなったのよ」
そうか。俺達もいつか彼らのように無理やり引き離されてしまう時が来るのだろうか。
「あの……俺も願い事書いていいかな」
その時、俺はずいぶんと暗い顔をしていたのだろう。ミーナはちょっと戸惑ったような表情をした。
「ええ、構わないわよ」
「へえ、何を書くんだよ。いい女に出会いますように、とかか?」
「馬鹿、そんなこと書くかよ!」
「なんだ違うのか。それじゃ俺は先に中に入ってるよ、デビィ」
二人が店の中に入ったのを見計らって、俺は短冊の横にあったボールペンを手に取った。
店の奥にある自宅の一室に、俺は初めて足を踏み入れた。壁一面のホラー映画のポスターには古いハマー・フィルムのものも多い。アルミ製のラックにはホラー映画のDVDやBD。そして歴代キャラのフィギュアがぎっしりと並べられている。レイには聞いていたが、なるほど、これはなかなか圧巻だ。
「そういえば、今日はアリシアは?」
「彼女はお客さんのところに本を取りに行ってもらってる。彼女のことは信用してるけど、今回のことは出来るだけ秘密にしておきたいの」
ミーナの視線はレイに向けられた。
「これは今日、初めて話すことなんだけど、この街から百マイルほど西の森を抜けたところにヴァンパイアだけが住んでる村があるの。もちろんそのことを知ってる人間は私も含めてごく一部だけどね」
「驚いたな。今もそんな村が存在するなんて」
「そうね。昔はもっとあったみたいだけど、今はその村だけかしらね。私はその村に以前から輸血用の血液とかを調達しているのよ。でもね、今日は単にそのことを話そうと思ったわけじゃないの。レイ、あなたはアシュリー・クリプトンという人物を知ってる?」
レイはよほど驚いたのだろう。一瞬、言葉を失ったようだった。
「……ああ。父の側近だった人物だ。で、どうして彼の名前が?」
「三ヶ月ぐらい前だったかしら。村長から連絡があったのよ。アシュリーという人物がレイ・ブラッドウッドに会いたがっているから探してくれないかって。私がアメリカ中のヴァンパイアの情報を把握しているから、私に聞けば判るんじゃないかと思ったらしいの。ああ、もちろんあなたがこの街に住んでることは彼には言ってないわ。だから、一応探してみると言ってそのまま放っておいたの。もしかしたら、ほら、あなたの兄さんの罠かもしれないし」
「そう思ったのなら、どうして今頃になってレイに話すんだ、ミーナ」
俺の声は少し怒ったように聞こえたかもしれない。
「うん……まあ、そう思うのは当然よね。でも本当かも知れないでしょ? だから私もずいぶん迷ったのよ」
「大丈夫、判ってるよ、ミーナ」
レイは場を宥めるように穏やかに口を挟む。
「ありがとう、レイ。三ヶ月の間、放っておいた理由はね、すぐに返事をすればレイが近くに住んでることがバレてしまうかもしれないから、一応探してるふりをしていたの」
「ああ、なるほど。そういうことか」
「よかった。判ってくれたみたいね、デビィ。で、村長の話ではアシュリーと名乗ってる人物はアメリカ中を逃げ回ってて、ようやく村に辿り着いたらしいの。彼が言うにはあなたの父親の形見を預かっていて、それを直接渡したいんだって」
「形見……ということはやっぱり死んでるのか」
「そういうことになるわね。でも彼の話が仮に本当だとしても、この街に彼を呼ぶことはあまりにも危険すぎる。だから、レイ、もしあなたがこの話に興味があるのなら直接村に行って確かめて欲しいの。もちろん、無視してしまっても構わないわ。見つからなかったと答えておけば済むことだし」
レイは母の形見の赤い石のネックレスを手に取り、しばらく眺めていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「もちろん行くよ、ミーナ。場所を教えてくれないか」
「おい、レイ! 止めとけよ!」
「お前の心配はよく判ってる。でも、例え罠であっても本当に何が起こったのか知りたいんだよ、デビィ。でも危険だからお前は来なくても」
「ああ、畜生! またそれかよ! 危険だからこそ俺が一緒に行かなくてどうするんだ!」
レイは肩をちょっと竦めて苦笑した。
「やれやれ。そう言うと思ったよ、デビィ。お前を置いていくことなんて不可能だよな」
ミーナはそんな俺達を諦めたような顔で眺めている。
「まあ、そうでしょうね。でも約束してよ、必ず無事に帰ってくるって。あたしはあなた達のファンなんだから」
その後、俺達は彼女の取って置きのグリーン・ティーと饅頭とかいう黒くて甘い変なものが入った菓子をご馳走になり、村の地図やその他もろもろのことを書いたノートを渡された。
「こういう情報はアナログのほうが安心だものね」
ミーナはレイと俺が村に向かうことを村長に伝えるというので、俺達は明日、バスに乗って出発することになった。その後は久々のヒッチハイクの旅だ。
俺達が店を出る時、ミーナが俺を呼び止めた。
「ねえ、デビィ。今後のことをいろいろ心配してるかもしれないけれど、私達の味方はたくさんいるし、何といってもあなた達の提案や人脈があったから、私もモンスターの権利の為に動くことが出来たのよ。誰にも二人を不幸にさせたりしないから安心して」
「ありがとう、ミーナ。でもどうして俺の悩んでることが判ったんだ。ひょっとして俺の短冊を見たのか?」
「さあ、どうかしらね。でもあなたを見てれば判るわよ。まるで今にも何処かへ飛んで行ってしまいそうな小鳥を眺めてるみたいな目付きでレイを見てるんだもの」
「そ、そんなことねえよ」
「まあ、それはそれとして、ねえ、デビィ。何が起こっても必ず彼を守るって誓ってくれるかしら?」
「ああ、もちろん」
ミーナは軽く口角を上げて微笑んだ。
「よかった。幸運を祈ってるわ」