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プシュケの心臓  作者: 密室天使
第2章 とりあえず生きてみた
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第二十話 兄(11)

 ぼくは幸せなのかもしれない。

 ぼくは不幸せなのかもしれない。

 分からない。

 分かったらきっと、苦労しないんだろうな。

 寂々とかげる夜。

「千尋はさ、高校卒業したらどうするの?」

 と。

 ベットに腰かけていた静絵が問うた。

「多分……大学に行くと思う」ぼくは窓の縁にしりを乗せ、夜風に当たっている。涼しい。

「それは」と静絵は言いよどむも、「この村を出るってこと?」と訥々とした口調で、伏し目がちにぼくを見た。

「おそらく」

 石倉市に大学はない。高校はぼくの通うところ一つだし、そもそもここは辺境の地だった。教育機関は少ない。だから、高校を卒業した生徒は大きく二つのグループに分かれる。

 一つは家督を継ぐか、どこかの店に住み込みで働くグループ。

 一つは故郷の石倉市を離れ、上京するグループ。

 緑葉家は一般的な核家族なので、継ぐべき家業はない。また、これといったつてもないので住み込みをするのも難しい。緑葉家は両親の代で石倉市に転居した家族だったので、縁戚のつながりが薄いのだ。

 幸い、成績のほうはそれほど悪くない。先生からも大学に行くことを勧められた。返事はしてないが。

 静絵は真一文字に唇を結んでいる。

 沈黙が降りた。

「わたし、これからわがまま言うね」と静絵は顔を上げて、「千尋と離れたくない」と切々と語尾を震わせた。「千尋がいなくなっちゃったらわたし、生きていけないよ」

「静絵……」

「千尋の未来を考えたら、こんなこと、言っちゃダメなんだ。でも……正論に押し潰されるほど、わたしの想いも弱くない……! 想像すらできない。千尋のいない毎日が考えられないんだ」

 静絵は泣きそうな表情をしている。痛々しいんだ、その顔が。まるで親にすがる子供のようで……。

 どうしたらいいのだろう。

 どれが正解なんだろう。

 こんなぼくに正解が導きだせるのだろうか。

 そもそも、正解とはなんなのか。ぼくと静絵において、もっとも最良な選択とは一体なんなのだろうか。

「静絵」ぼくは己が手を彼女の手と重ねた。「おれ、考えてたんだ。ずっと、考えてたんだ」

「…………」

「おれは高校を卒業した後、都会の大学に入ろうと思ってる。……何もおまえを見捨ててのことじゃない。そんなわけないだろ。おれは教師になる。教師になって、いっぱいお金を稼いで……それで、おまえと暮らしたいと思ってるんだ。このままダラダラとおまえと付き合ってたら、おれたちダメになる。堕落するんだよ、静絵……おまえだって分かるだろ? このままじゃダメだってことくらい。いずれ、ばれる。明白だ。こんな風に危うい綱分かりをしていたら、いずれ必ず、父さんか母さんに知られてしまう……最近、おれたちが度を越して仲がいいもんだから、母さん、おれたちのこと、不審に思ってる。これは予想じゃない、予感だ。母さんはうすうす気づいてるんだ、おれたちが禁忌に踏み入れようとしていることに。そこで、おまえに決断して欲しいことがある。おまえがどうしてもというなら、おれは大学には行かない。この村に留まる……おれは誓ったんだ。おまえを大切にするって。でも……これは破滅の道。道は続いていない。破局。そして、もう一つ、選択肢がある。おまえの元を離れるという選択肢……つらいかもしれない、わびしいかもしれない。でも、でも……おまえが本当におれとの未来を望むなら、おれを見送って欲しいんだ。この先ずっと、おれとともにいたいというのなら……」

「千尋……」

 さんざん勘案した。これからどうすればいいのか、ぼくが取るべきことはなんなのか……想を練り、熟慮を重ね、考えを絞る。静絵を第一とする人生。そのための行路、軌跡を作るための案を……。

 バカなのかもしれない。

 ぼくは悪しきことを考えている。実の妹に我が未来を使おうとしている。愚考と愚行。倫理に反し、道徳に背き、大義に外れようとしているんだ。けど、だからといって静絵を捨てることなんてできない。狂ってるんだ、ぼくは。

 静絵は。

 静絵は――。

 泣いていた。

 潸々(さんさん)と泣いていたんだ。

「……静江?」

「ごめん……ごめん……ごめん……」

 静絵はたわごとのように誰とも知らず、謝っている。謝り続けている。そんな狂態。

「わたし……子供だから、子供だから……社会では生きていけない。誰かの保護があって、ありのままのわたしを愛してくれる人がいないと、わたしという人格が保てない……わたしは社会不適合者で、引きこもりの女だから。よりにもよってお兄ちゃんを好きになっちゃうバカだから、誰かの助けがないと生きていけないんだ。だからわたしは……千尋がいないと生きていけないって……でもそれは、千尋のことをないがしろにしてて、自分がかわいいだけ。千尋を大切にしていないんだ。本当に千尋が好きだったら、千尋の思うとおりにさせなきゃいけない、ちゃんと自分でも考えなくちゃいけない、自立しなくちゃいけない……! 大人にならないとダメ。そしてわたしは、大人じゃない……千尋は大人だね。きちんと未来を見据えてる。嬉しいな。千尋、ちゃんとわたしのこと、考えてくれてるんだ。嬉しいよ、千尋」

「大丈夫だよ。大丈夫だよ、静絵」

「……決めた。わたし、働く。わたしも千尋の力になりたい……ッ!」




   ◆◆◆




 これが。

 これがただの恋人同士の会話だったら、どれだけ幸せだろう。純粋に相手を想い合う、一般的なカップル。でも、残念なことに、ぼくたちは一般的なカップルなんかじゃなかった。兄と妹の、禁じられたカップルだった。

 ぼくはやるせない気持ちになって、窓の外の景色を見た。

 広がっているものは、木々越しに見える渺たる海とたゆたう船舶だけだった。いつもの光景。ため息。ぼくは気が滅入った。

 静絵は成長した……と思う。

 働く意欲を見せてきた。これはすごくいいこと。その後静絵は、自ら両親に自分の気持ちを伝えた。わたし、働きたい……と。両親はともに欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の態で、幸せそうに笑顔をこぼしていた。しかし、なぜ働こうと思ったのか、という理由を聞けば、その笑顔はたちまち曇ってしまうだろう。ぼくは慄然としたものを覚えながらも、口を閉ざしたままその場に突っ立っていた。

 しかしながら、問題があるとすれば静絵の雇用先だった。中卒でひきこもりの静絵を雇ってくれるところがはたして、あるかどうか。母は静絵の就労のために狂奔していることだろう。でも、見つかるかどうかは……分からない。おそらく、無理なんじゃないかな、なんて後ろ向きなことを考える。

「どうしたの? 辛気くさった顔しちゃって」

 と。

 女の声。

佐島(さじま)……」

 眼前には隣のクラスの佐島月子(さじまつきこ)がいた。

「まるで、明日地球が滅びるみたいな顔してるけど……どうしたの、一体? お姉さんに話してみなよ」と佐島はイタズラっぽく笑うんだ。

 ぼくは頬杖をといて、「おまえこそどうしたんだよ。藤宮(ふじみや)のクラスは三組だろ」とからかうように言ってみた。

 すると案の定、佐島は顔を赤くして拳を振り上げた。かわいい。「ち、違うよッ。廊下を歩いてたらブルーな君を見つけただけだから」

「そっか」

「そうだよ」

「佐島」

「なに」

「明日地球が滅ぶらしいぞ」

「え……はは、緑葉君は冗談がうまいね……」

「…………」

「……マジ?」

「嘘だよ」

「だと思った」佐島は脱力した。その後、ぼくの前の空席を陣取る。「で、何か悩みでもあるの、緑葉君?」

 悩みはある。

 でも。 

 誰も解決できない。

「今、もしかして昼休みなのか?」とぼくははぐらかすように言った。

 佐島は大きなため息をついた。「うーん、重症だよ、これは。緑葉君は時刻の読み取り方も忘れてしまったみたいね」と柱に取り付けてある時計に目を向ける。

「おれは時間に囚われない人間なんだ」

「むしろ、定石に囚われない、というべきね。詠太郎と一緒で」

「藤宮と同列か……光栄というか、恐れ多いというか……」 

「緑葉君は詠太郎が変人だっていいたいの?」

「まぁ、常人ではないだろうね」藤宮が常人だとしたら、とっくにこの世は崩壊している。

「うう、否定できない私がいる……でも、そんな詠太郎と付き合えるなんて、緑葉君も十分すごいと思うけどなぁ」

「なんだか他意を感じる……それはおれも性格的に変だってことか?」

「性質的に、だよ。緑葉君の周りには、やけに変な人が多いじゃん。詠太郎しかり、蛾々島さんしかり……なんだろう。変人をひきつけてる……? 緑葉君はきっと、そういう性質だと思うんだ、私は」

「変人専用の磁石になった覚えはないけどね」

「それとね、緑葉君。君、それなりにもてるって知ってた?」

「え……はは、佐島は冗談がうまいんだね……」

「嘘じゃないって。本当だよ、本当。緑葉君、結構かっこいいし、優しいし……でも、ちょっと中身は変わってるけど」

「最後の一文はいらなかった」

「とにかく、もっと自信を持ちなよ。緑葉君ならいけるって。当たって砕けろって言うすばらしき恋の格言もあるんだしさ」

「ちょっと待った。なんでそういう流れになるんだ? まるで、おれが佐島に恋愛相談をしているかのような」

 佐島月子は手の甲に頬をつけて、楽しそうにぼくを見た。

「……佐島?」

「青春だなぁ。緑葉君ももうそんな年頃なんだね」佐島はすっかり自己完結している。「緑葉君、好きな子いるでしょ?」 

「は」

「とぼけなくてもいいよ。高校生の男子が窓の外を見てため息をつくなんて、それはもう恋の悩みしかないでしょ。違う?」

 どうしよう。

 微妙に違う。

 沈黙を肯定ととったのか、「私の目はごまかせないんだから。よし、これから昼休みが終わるまで私が相談に乗ってあげるから、何でも話してよ」と佐島は目を爛々とさせて身を乗り出した。

 うむ。

「実はさ……」

 と。

 ぼくは男子生徒に絶大な人気があるも、個人的にさほど興味もない女子に関する話を、佐島に切り出した。 



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