四話 力の証明。子守唄。獣は奥底へ沈む。
「あたしがおまえを、ころしてやる!」
そう言ってレダが少年に向けた剣は、見えない壁に阻まれた。
石壁に思いきり激突したような衝撃にあい、幼い少女の体が後ろへ弾き飛ばされる。
その手から落ちた黄金の剣が、からん、と空虚な音を立てて床に転がった。
何が起きたのかはわからなかったが、レダは一度では諦めなかった。
落した剣を掴み、再びグランベルクに斬りかかる。
「やあああぁぁぁ!」
そしてまた、弾き飛ばされた。
「ぐっ……」
何度もそれを繰り返し、何度も床に倒れ、ようやく諦めたころには息を乱して額に汗を浮かべていた。
それでも美しい黄金の剣はどうしてか、決してグランベルクに届かなかった。
「それでいい、レダ」
平然とその場に立って、少年は剣とともに床に転がる少女へ言う。
「お前は今、自分に人を殺せる力があることを証明した」
幼い少女の中で、美和子は泣きながらつぶやく。
(確かに、殺されて死ぬのは嫌だと思った。
けれど、違う。
これは、ちがう。
わたしに人を殺せる力なんてない。
やめて、レダ。
お願い、やめて……)
少年はその声を聞きとったかのように言葉を続けた。
「レダ、お前は人を殺せる。ひとり悲劇の中に落されたような顔をして、己を憐れむのはやめろ。
これからのお前は、弱者ではない。
誰からも奪われず、誰からも侵されない、強者となって俺とともに生きるんだ」
レダは床の上で起きあがり、荒い息をつきながら獣のような眼差しでグランベルクを睨んだ。
彼はどこか満足げな様子でそれを見おろすと、黄金の剣を鞘へ戻して布で包み、またひとり部屋を出ていった。
◆×◆×◆×◆
「獣のような子どもですね。まったくもって、しつけのなっていない野生動物そのものでした」
嫌悪感をにじませて言う乳兄弟の侍従に、王子は布でくるんだ剣を渡しながら答えた。
「あれでいい。おびえて身をすくませるだけのものでは、何の役にも立たん」
「ですが、これを与えられて真っ先に殿下に斬りかかったのですよ?」
あれが有用な駒になるとは思えませんが。
レダの気づいていない覗き穴から中の様子を見ていたマクシムが、言外に「処分した方がいい」という意見を含ませて言うのに、ひややかな視線が返される。
「俺が良いと言うものを否定するのか」
少年は左手にはめた黄金の指輪をかかげて見せ、言葉を続ける。
「この手に『王の指輪』がある限り、『王妃の守護剣』が俺を傷つけることはない。この先も俺に仕えるのであれば、己の身の無事でも案じておけ」
自分の身くらい自分で守る。
マクシムはむっつりとした顔で思ったが、声に出しては言わず、優雅に一礼して応じた。
「はい、殿下。仰せのままにいたしましょう」
◆×◆×◆×◆
剣を手にして強烈な意志で体の主導権をとったレダは、その後、静かな狭い部屋で心の奥底へ沈んだ。
何をすることもなく、何をすることもできず、孤独の中で体を任された美和子は、歌をうたった。
「三番目の月がのぼり、あなたは生まれた」
金の髪に青い目。
痩せほそった手で優しくレダの頬を撫でた亡き母が、穏やかな声で毎夜歌ってくれた子守唄。
「空を見たいとひとみをひらき、鳥とともに歌おうとくちびるをひらく」
ほろほろと静かに涙をこぼしながら、長い、ながい時間、美和子は無心にそれだけを歌い続けた。
美和子の記憶の中にある歌は、うたえなかった。
帰りたくて、たまらなくなるから。
「今はおやすみ、いとしい子」
そうして、美和子が歌っている間。
心の奥底で獣のようにうずくまったまま瞼を開いたレダが、じっとその声を聞いていた。
「夜はとおく鳴く、獣たちの時」
わたしという記憶は何のために目覚めたのだろう。
前世のわたしは、なぜ殺されたのだろう……
考えてもしかたのないことを、時折、思いながら。
「風のささやきに耳をすませ、星の輝きのもと夢へ渡ろう」
ただ、歌う。
「今はおやすみ、いとしい子」
数日後、レダは南方にある街の、孤児院へ移された。
「俺の命があるまで、ここを離れるな」
グランベルクはそう言って去り、レダはわけのわからないまま、気がつけば見知らぬ街にひとり立っていた。
序章 終