三話 剣の師。緑の娘と、黄金の美女。
グランベルクに命じられた翌日の昼、レダは迎えの侍従に連れられて奥の宮を訪れた。
奥の宮は、その字が示すとおり王宮の最奥に位置する、王妃たちの居所。
一夫一妻制のエルゼイン聖教を国教とするヴァルスタン王国で、唯一複数の妻を娶ることを許された王のための宮だ。
高い塀で囲われたその内側に、王以外の男が入ることは許されず、警護も武官を輩出する家から選び抜かれた女性が勤めている。
グランベルクに命じられて以降、『剣の聖女』の警護役となっていた二人の近衛騎士もそこへ入る手前で足を止め、案内役も侍従から奥の宮付きの女官へとかわった。
「どうぞ、こちらでございます」
女官は美しく整えられた中庭の見える、来客用の部屋と思しき一室へレダを通す。
そこには一人の先客がいた。
「アンタがあの陛下の宝珠か。
……ふぅむ。見たとこ女にするにゃあまだ早いが、剣を教えるにはちぃとばかし遅すぎる歳だねぇ」
レダを見るなりそう言って、「どうしたもンか」と独特ななまりのある口調でぼやくのは、珍しい緑の髪と目をした女性。
年は若く見えるが、胸や腰回りの肉付きが良い体つきに、年若い娘にはない濃厚な色香を漂わせているせいで年齢がよくわからない。
しかしもっとわからないのは、彼女のいる場所だ。
その女性はなぜか部屋の奥に置かれたガラス戸棚の上に乗って、うつ伏せに寝そべっている。
美しい陶磁器がおさめられた棚のガラス戸の上へ足を垂らし、幼子のようにぶらぶらと揺らしているせいで、丈の長いスカートに入った深いスリットから薄絹の靴下をはいた足が太股まであらわになっていた。
レダを案内してきた女官が、あきらめのため息をつきながら、それでも一言口を開く。
「イザベルさま、どうぞイスにおかけください」
愛想良くひらひらと手を振り、イザベルと呼ばれた緑の髪の娘が答える。
「まぁいいじゃないの。アタシが乗ってたって、この戸棚は壊れやしないよ」
そういう問題ではない、と言いたげな女官は疲れた顔で部屋を出ていき、扉の前に残されたレダは相変わらず戸棚の上に乗っているイザベルを見あげた。
イザベルは緑の目をすぅっと細め、レダから視線をはずしてつぶやく。
「護衛だか監視だか知らンが、物騒な奴がそばについてるねぇ。あンなのがいるなら、わざわざアタシが剣を教えたりしなくてもよさそうなもンだけど」
レダにはわからない気配を察知して「ふン」と鼻をならしたイザベルは、まっすぐに自分を見あげてくる金の髪の少女に視線を戻して訊いた。
「アンタ、剣を習いたいと本気で思ってンのかい?
ウワサの“神剣”さえありゃあ、無敵だって聞いたけど。剣を習うってなぁ時間もかかるし、つらいことも多いもンだ。
ムリして習わなくたって、“神剣”に守ってもらえばいいじゃないの」
それではグランベルクに勝てない。
レダは即座に答えて言った。
「けんのちからではなく、じぶんのちからでたたかえるようになりたいのです。
いざべるさまは、へいかよりつよいとおききしました。
どうかわたしに、けんをおしえてください」
イザベルはぶらぶらと揺らしていた足を止めて、けげんそうに片眉を上げた。
「アタシがあの陛下より強いって? 誰だい、勝手にいいかげンなことぬかした奴は」
そして、当の国王陛下が言ったのだとレダに聞くと、ため息混じりに訂正する。
「確かにアタシは陛下に勝つこともできるけどね、そりゃあ“戦う場所が森の中なら”って条件付きだ。他の場所であのヒトに勝てる確率は、まぁ、多く見積もっても三割くらいか。
……と言っても、今じゃあ森の中でだって、確実に勝てるとは思えないンだけどねぇ」
奇妙な条件に、レダは首をかしげて訊いた。
「わたしも、いざべるさまにけんをならったら、もりのなかでなら、へいかよりつよくなれますか?」
「そいつぁ何とも言えないねぇ。でも森の中って限定について言っとくと、アタシがそこで強くなるのは剣術によるものじゃないンだ。ヘンな期待はしない方がいいよ。
まぁともかく、アンタにやる気があるなら、教えるのはかまわない。
陛下からの依頼ってのもあるけど、ウチの旦那からも、“くれぐれも注意して訓練してやってくれ”って、頼まれちまってるからねぇ」
だんな? とまた首をかしげたレダに、そういえば名乗ってなかったか、と思い出したイザベルが答えた。
「アタシはラングレー伯爵夫人、イザベル。
いい歳して宰相になンぞ返り咲いちまったラングレー伯爵、ゴドリック・イグザイアの妻だよ」
戸棚の上で寝そべったまま語るような軽い肩書きではないのだが、誰がどんな関係だろうと気にしないレダは、ふぅん、とあっさり聞き流す。
その心の奥底で、小柄な鷲鼻の老宰相と緑の髪をした娘が夫婦として並び立つ姿などまったく思い浮かばず、美和子はとても驚いた。
一方、北の領地より王都に来てから、名乗るたび驚かれてばかりだったイザベルには、レダのどうでもよさそうな反応が新鮮だった。
「ふン?」と改めてレダの青い目を見おろし、言葉を付け加える。
「よく間違われるけど、ゴドリックよりアタシの方が年上なンだよ。それにあれがアタシを捕まえたンじゃなく、アタシがあれを捕まえて夫にすると決めた。
まあ、アンタには関係ない話だけど。
王都に来てからこっち、アタシが名乗るたびにヘンな目で見られるゴドリックが、ちっとばかりかわいそうでねぇ」
苦笑しながら言われるのにも、レダはよくわからず、ただ黙って聞いていた。
若い娘にしか見えないイザベルが実は老宰相より年上だと言われても、“この人は何か変だ”ということくらいしか、まだ十歳程度のレダには理解できない。
それに、そもそもレダにとっては剣さえ教えてもらえるのなら、イザベルが何者であってもかまわないのだ。
イザベルはまるで動じない少女の様子に、ふと笑って言った。
「ああ、アンタのその目はいいねぇ。故郷で飼ってた豹を思い出すよ。
自分の牙と爪と、親代わりのアタシのこと以外にはまるで無関心で、何が起きても知らン顔して昼寝ばかりしてるぐうたらな子だったけど。
危険を察知するカンと、狩りの腕は一等だった」
そして廊下が騒がしくなってきたことに気づいて扉から離れたレダを見おろし、「アンタもなかなかカンが良さそうだ」と楽しげにつぶやく。
レダは答えず、騒がしい足音がどんどん近づいてくるのに、本能的に扉以外の出口を求めて窓際へと身を引いた。
数秒後、扉はノックもなしに開かれ、黄金の髪を高く結い上げた美しい女性が勢いよく踏み込んでくるなり叫んだ。
「イザベル! 『剣の聖女』が来る時は、一番にわたくしを呼ぶと約束したではないか!」
ガラス戸棚の上から、イザベルはため息まじりに答える。
「呼びに行こうとしたら、そこのおっかない侍女サンに止められたンだよ。
それよりアンタ、今日は具合が悪いって聞いたけど、そンな大声出してだいじょうぶなのかい?」
黄金の髪の女性が口を開くより先に、そばに付き従っていた“そこのおっかない侍女サン”が言った。
「大丈夫なわけがありません。どうぞ気をお静めください、陛下。お体にさわります。
……それから、ラングレー伯爵夫人。そのような場所から王太后陛下を見おろすとは何事ですか。
今、すぐに、降りなさい」
侍女は初対面の時のコーデリアを彷彿とさせる厳しさでぴしゃりと叱り、「おお、おっかない」と苦笑したイザベルが戸棚から降りるのを、冷たい眼差しで確認する。
彼女たちのやりとりはよくあることなのか、侍女の主、王太后陛下と呼ばれた美しい女性はまるで気にするふうもなく、きらきら輝く青い瞳にレダを映して微笑んだ。
そして何を思ったのか、細い手に持っていた扇子をパチリと閉じて、その先端でレダを指し。
「服を脱ぎや」
一言命じた。




