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剣の聖女は覇王と踊る  作者: 縞白
序章 狂王子の戯れ
3/37

三話 迫られる選択。与えられたのは一振りの剣。





 思いがけない言葉とともに名を告げた翌日。

 少年、グランベルクはレダに訊ねた。


「前はどんな世界にいた?」


 同じ境遇であると言われても不思議なほど親近感がわかず、警戒心がゆるむこともなかったから、レダは話したくなかった。

 けれど紅の目は沈黙を許さず、レダがちらりと視線を向けると、彼は無言の問いかけへ応えるように、腰に帯びた剣の柄へ手を置いた。


 話さないという選択肢はなく、即席で作り話ができるだけの機転もない。

 レダはおずおずと口を開いた。





 わたしは日本という国に生まれ、無口な父と優しい母のもとで、双子の弟妹とともに育った平凡な娘。

 特別な知識も技能もなく、ただ静かに穏やかに暮らしていました。

 本を読むのが好きで、家事と宿題を済ませた後、学校の図書室で借りてきた本を開くのが一番の楽しみでした。


 そうして生きてきて、ある時、突然。

 学校の階段で、後ろから背中を押されて……


 後は何も、覚えていません。





 自分の名も弟妹の名も口にしないよう、注意深く言葉を選んで話した。

 彼は興味がないのかそれについては追及せず、別のことに気をとめて言った。


「ほう。殺されて死んだのか」


 返す言葉もなく、少女は暗い顔でうつむいた。


 殺されるほど恨まれるようなことをした覚えはない。

 優秀な双子と違い、物静かで平凡な美和子はとにかく他人との関わりが薄く、空気のように存在感がなかった。


 それでも階段の上で背中を押した手の感触をはっきりと覚えている以上、否定のしようがない。



 美和子は、殺されたのだ。



 なぜ、どうして、と考えても答えの出ないことを悩むのに、グランベルクが訊いた。


「レダ。お前は第二の世界となるここで、どう生きたい?」


 地位か名誉か財産か。

 お前の一番の望みは何だ?


 身の丈に合わないものを望む気のないレダは、首を横に振って、答えた。


「ただ静かに暮らしていくことができれば、じゅうぶんです」

「それは無理だな」


 あっさりと否定した少年を、おびえた青い目が見あげる。


「どうしてむりなんですか?」

「お前は俺のそばに置く。ゆえに俺のそばにいてもおかしくない、有益な存在(もの)になってもらう。従って、“ただ静かに暮らしていく”のは不可能だ」


 レダは驚き、困惑した。

 自分には何の知識も技能もないと、はっきり言ったのに。


「どうして、そんなことを」


「お前はただそこにいるだけで俺を肯定する。そして唯一、俺を真に理解することができる、可能性を持っている」


 言われていることが理解できず、オウム返しにつぶやいた。


「あなたをりかいする、かのうせい…?」



「そうだ。己の望むまま生きたくば、俺を理解しろ。そして俺の思考に干渉し、己の望む道へ導け。それができぬなら、俺のために生きろ」



 あまりにも唐突な言葉に呆然としているレダに、少年は淡々と言った。


「俺はいずれ、世界のすべてを掌握する。お前はそのための、ひとつの有用な駒となれ」


 そして腰の剣を抜くと、慣れた動作でぴたりとレダの首に刃を当て、問うた。





「選べ。今ここで俺に殺されて死ぬか、俺のために生きるか」





 己を殺せる刃をひんやりと首に感じながら、全身をかたかたと震わせ、レダは恐怖に青ざめた。

 つきつけられた選択肢はどちらも嫌で、けれど選ばないという選択はすなわち自分の死を意味している。



 わたしはまた、殺されて死ぬのか。


 わけもわからず。

 何者とも知れないものの手にかかって、命を奪われるのか。



 不意に、腹の中で強烈な怒りと悲しみが渦巻き、レダは低くうめいた。



 何もしていないのに、なぜまた殺されなければならないのか。



 嫌だった。

 殺されて死ぬのだけは、絶対に嫌だった。


 かつてないほどに頭が回り、感覚が研ぎ澄まされていく。

 口の中が乾き、きりきりと胃が締めつけられるような息苦しさの中で、暖炉で燃える薪の匂いや外から差し込む一筋の陽射しのまばゆさとともに、目前で剣を握る少年の静かな息遣いを聴いた。


 死を目前にして恐怖と生への渇望にきらめくレダの青い目が、グランベルクの奈落のように暗い紅い目を真っ直ぐにとらえ、幼い声がつぶやくように言った。


「あなたは前の世界で、何だったの」


 少年は剣をレダの首に当てたまま、無表情に問い返した。


「何だったと思う」


 一秒が過ぎるごとに追い詰められていきながら、少女は答えた。





「人ではないもの」





 なぜそう思ったのかは自分でもわからなかったが、答える声に迷いはなかった。


 そしてその言葉を聞いたグランベルクは、初めて、笑った。

 剣を引き、刃を鞘へおさめて言う。


「やはりお前はそばに置く。覚悟しておけ、レダ」


 答えない少女を置いて、彼は部屋を出ていった。





 少年の姿が見えなくなった瞬間、レダの体からがくんとすべての力が抜けた。

 何を考えることもできず真っ白な頭でぶるぶると震えながら、気づけばベッドから落ち、はいずるようにして部屋のすみへ逃げていた。

 こごえるように冷たい壁にぴったりと背中をくっつけて、かたく、かたく、手足をまるめる。


 本能に、記憶に、体に刻み込まれた死への恐怖で、瞼を閉じることができなかった。


(怖い。こわい。こわいよ……)


 おびえる心を抱えて、どうすることもできずちいさな声でつぶやいた。


「かえりたい……」





 ◆×◆×◆×◆





 数日が過ぎ、レダはだんだんと体が回復してきたのを感じながら、逃げ出す機会をうかがっていた。


 剣を常に持ち歩くグランベルクに、気まぐれで命をもてあそばれるのは嫌だ。

 表面的には従順なふりをしておいて、とにかくここから逃げ出そう。


 けれど扉には常に鍵がかけられており、窓はちいさすぎて通れそうになく、部屋を形作る石はどれもがっちりと組まれていて動かせそうになかった。


(どうすれば逃げられるんだろう……?)


 ひたすらにそればかり考え続ける日々の中に、変化はまた突然訪れた。



「この剣をお前に与える」



 珍しく食事時ではない時間に現れたグランベルクが、布に包まれた一振りの剣を差し出してそう言った。


 黄金の柄に虹色の光沢を帯びた透明な宝玉がはめ込まれ、鞘には複雑な彫刻がほどこされた美しい細身の剣。


 刃物など、ハサミや包丁くらいしか持ったことのない美和子はおびえたが、レダはむしろ好機だとひそやかに喜んだ。

 無力な少女とあなどって武器を与えてくれるとは、思ったより甘いものだな、と。



 それは一人の少女の中に、二つの声が生まれた瞬間だった。



 生きてきた年数の長い美和子の記憶に押しつぶされることなく、金の髪に青い目の娘としてこの世界で生まれ育ったレダが目を覚まし、差し出された剣を渇望していた。


 グランベルクさえ殺せば、自由になれる。


 己を殺しかけた少年に、狭い部屋へ閉じ込められるという状況に置かれたレダは、当たり前のようにそう考えていた。

 美和子はそれに気づいて悲鳴をあげたが、心の中のその声は、誰にも届かず虚空に消える。


 一人の少女の中で、初めて二つの人格が争い、おびえる美和子が手負いの獣のようなレダに負けた。



「はい」



 幼い声がりんと響き、差し出された黄金の剣の柄に細い指が触れると、それは目がくらむようなまばゆい光を放った。


 レダは数度まばたき、一瞬白く染まった視界を戻す。

 そして、鞘からすらりと、刀身を抜き放った。


 神秘的なきらめきを宿した白銀の刃がさえざえと輝き、黄金の柄にはめ込まれた宝玉がまたたく。


 美しいその剣は、幼い手に握られると二つの変化を起こした。

 柄にはめ込まれた透明な宝玉が、レダの目と同じあざやかな青へと染まり、主に合わせて魔法のようにするすると己が身を小さくする。


 羽根のように軽く、しっくりと手に馴染み、全身を軽くしてくれる不思議な剣だった。


「認められたようだな。今よりその剣は、お前のものだ」


 この世界にこんな不思議なものがあるとは知らなかったが、深くは考えない。

 グランベルクの声を聞きながら、少女は微笑んだ。


 体を動かす主導権は、今や完全にレダが握っていた。


 彼女は母を失い、自分を殺しかけた少年に囚われて自由を渇望する、幼い少女。

 人を殺すことは禁忌だと教えられる前に、剣をその手に与えられた。


(こいつさえころせば、あたしはじゆうになれる)


 「やめて! そんなことしないで!」と叫ぶ美和子の声をたやすく聞き流し、レダはグランベルクの顔を見あげて言った。


「おまえなんかに、ころされたりしない」


 そして。





「あたしがおまえを、ころしてやる!」





 ひとかけらの迷いもなく、レダは手にした剣をグランベルクに向けた。





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