十三話 聖典。神への問い。なんでもないの。
レダが王とすごす時間に慣れていく一方。
美和子は暗唱をするばかりではなく、コーデリアに聖典の内容について質問するようになった。
以前はすべての問いや要望を「まずは聖典をすべて覚えてからです」と却下していたコーデリアが、美和子が聖典をほぼ完全に記憶したことを認め、質問に応じてくれるようになったからだ。
そして質問を許されるようになると必然的に、「エルゼイン聖教について、自分は何を理解できないでいるのか?」を深く自問するようになった。
エルゼイン聖教の聖典は、神から人々を導く言葉を授かった教祖アドラの、孫によってつづられたものだと言われている。
内容はアドラの一生と彼が伝えた神の教えで、ヴァルスタン王国の建国についても含まれている。
教祖アドラは現在のヴァルスタン王国がある北の地に生まれた、猟師の息子。
青年の頃、当時各地で起こっていた様々な民族の争いに巻き込まれて両親を失い、西の地へ逃れた。
そして妻と息子を連れて放浪するうちに、ある日の夜、夢の中で至高神エルゼインから神託を受ける。
『戦乱に苦しむ民を救い、北の地に王国を築け。
羊飼いがお前達を守り、野の獣を退けるだろう』
アドラは神の言葉に従い、難民を率いて北へ戻る。
もちろん、人々は最初からアドラに従ったわけではなかったが、彼の導く先で不思議な出来事がいくつも起きるのを見るうち、だんだんと信じるようになっていった。
そして北へ戻る途中、アドラはひとりの羊飼いの少年と出会う。
ざくろの眼の彼こそ、後のヴァルスタン王国、初代国王。
アドラは乱暴でわがままなその少年に神の教えを説き、善悪を示し、成すべきことへと導いた。
しかし彼自身は王国が築かれるのを見ることなく、北を支配する蛮族との戦いの中で致命傷を負う。
「おお、神よ! 神よ! 神よ!
我が肉の器を癒したまえ! 救いたまえ……!」
アドラは叫ぶが、彼の体が癒されることはなく、息子にみとられて志半ばでその生涯を終える。
人々は亡くなった教祖を囲んで嘆き悲しんだ。
その三日後。
アドラは息子の夢枕に立って、告げた。
「炎によりて我が身を清めよ」
それはこれまで土葬が常だった人々に、火葬を指示する言葉だった。
父の体を焼くなど、そんなことは嫌だと拒む息子を、アドラは神の御許へ行くために必要なのだとさとす。
人は死後、天と地の狭間でその魂を“裁きの司”の天秤へ置かれ、善悪をはかられる。
至高神エルゼインを信じ、その教えを守って生きた善き魂であると判じられれば、天高き神の庭へ行くことができる。
ただし天へ昇るためには、魂を地上にとどめる肉の器を炎で清め、骨と灰として大地へ還さなければならない。
そしてまた、アドラは教祖たる自分の死に衝撃を受けるあまり、後を追おうとする人々を止めるよう警告する。
己の身や弱き者を守るためでなく人を殺すことは、大罪。
神に与えられた命は、たとえ己のものであっても殺せば罪となるのだ。
裁きの司に罪人であると判じられた魂は、大地の底で燃えさかる神の火で永劫に焼かれ、もだえ苦しむこととなる。
アドラの言葉を聞いた息子は、人々にそれを伝え、炎によって父を弔った。
また羊飼いの家に生まれたざくろの眼の少年も、その頃にはアドラに育てられて立派な青年となっており、師を弔うと北の地の平定を再開。
多くの苦難をのりこえて蛮族を退け、ヴァルスタン王国を建国した。
そして聖典は至高神エルゼインを讃え、ヴァルスタン王国の永続と繁栄を祈る言葉で結ばれる。
ひと通りの内容を頭の中で確認した美和子は、何を質問すべきかうまくまとめられないまま、コーデリアに訊いた。
「神はなぜ、アドラさまが救いを求めた時、助けてくださらなかったのですか?」
北の地へ戻る道すがら、難民たちの信仰を得られるほどの奇跡を起こしておきながら、アドラが死の間際に助けを求めた時、神は応じなかった。
それはなぜなのか?
「神に“なぜ”と問うのはおやめなさい」
少しでも多くのことを理解しようとあせる教え子をいさめるように、教育係は言った。
「それは一枚の皿を手に、天から降る雨のすべてをこれに受けきれるか、と問うようなものです」
人という器は、神という存在を受け止めるにはあまりにも小さい。
だから神の行為を解釈しようとすれば、その心をくみきれず間違った理解を得てしまう。
ならばそんな間違いをおかさないよう、最初から神への問いなど持たず、その教えをただ受け入れること。
コーデリアの答えは、言葉だけを聞くなら「自分の頭で考えるのはやめて神の教えに従え」というような意味になってしまうが、ここしばらく彼女の指導を受けてきた美和子には別の意味が読みとれた。
“神の教えを受け入れる”というのは、聖典を丸暗記して忘れないようにせよというような、受動的な意味ではない。
重要なのは、神の教えを守って生きることができる、強い意志を持つこと。
その意志をささえる信仰心を育むこと。
(でも、具体的には何をすればいいんだろう?)
これまで考えたこともなかったため、実際に何をしていけばいいのかわからない。
素直にどうすれば良いのかを問うと、やっとエルゼイン信徒としてのスタート地点に立った教え子へ、コーデリアは手をさしのべるように教えた。
「人を助けなさい。
見返りを求めることなく、持てる力を尽くして助けなさい。
誰かに助けてもらった時は、かならず心からの感謝を伝えなさい。
誰もいないところでも、常に善き行いができるよう己を律しなさい。
他人が見ていなくとも、あなた自身はあなたの行いを見ています。
そしてあなたの内に在る神もまた、その行いを見ているのです」
「はい、コーデリア」と生真面目に答えながら、美和子はふと心のかたすみでつぶやいた。
(そう、誰も知らなくても、わたしはわたしの行いを見ている。
ずっと、ずっと。すべてを、見ている……)
重い影をふくんだその声に気づいて、心の奥底に沈んでいたレダが顔をあげ、同じ体で生きるもうひとつの心へ訊いた。
(みわこ? どうしたの?)
なんでもないの、と乾いた声で美和子は答えた。
(気にしないで、レダ。なんでもないの)
自分に言い聞かせるように、繰り返し。
(なんでもないの)
レダは不思議そうに首をかしげたが、「ふぅん」とつぶやくと興味を失い、また心の奥底へ沈んだ。




