十一話 聖堂朝夕。ヴァルスタンの王。虚ろな言葉。
まだ薄暗い早朝、レダは部屋の扉がたたかれる音で目を覚ました。
客室にあったのは寝心地の良いやわらかなベッドだったが、王宮という場所で緊張しているせいか、孤児院や修道院のかたいベッドに慣れてしまっているせいか、あまりよく眠れなかったのでまだ疲れがとれていない。
それでもコーデリアとともに用意された服へ着替えると、廊下で待っていた王宮付きの助祭に急きたてられ、聖堂へ向かった。
美しい花や木でいろどられた庭園の中央にある、白い石造りの聖堂は、王族の誕生祝いから婚礼、葬儀まで、すべてが執り行われる場所だが、建てられた当時のおもむきを残す質素な建物だ。
装飾はほとんどなく、優美とはいえないが、がっちりと組まれた巨大な白石がかもしだす雄々しい空気を全体にまとい、これ以上なく深い貫禄をもって大地の上に鎮座している。
一方、その周りを貴族的な華やかさで飾る庭園は、威風堂々たる聖堂とまったく雰囲気が合わず、見る者の目に浮ついた違和感を与えていた。
明らかに聖堂と庭園が釣り合っていなかったが、それに気づく余裕もなく、レダはコーデリアとともに聖堂へ入った。
そして昨夜命じられた通り、国王の朝の礼拝に参列する。
王は朝の礼拝を終えるとレダを呼び、他のものには一言「下がれ」と命じた。
コーデリアも司祭も、付きそうことは許されず、人のいなくなった聖堂に王と少女が残される。
扉は開かれたままで、近衛騎士が二人そこにいたが、距離的に王とレダの会話が聞けるほど近くはない。
(レダ。気をつけて…)
金の髪の少女のなかで、礼拝のために体を任されていた美和子が奥底へ沈み、代わって昨夜の晩餐で国王に興味を示したレダが表へ出た。
(うん)
王は「ここへ来い」と呼び、レダを最前列の長椅子に座らせると、自分はすこし離れたその前にある、石造りの台へ腰を下ろした。
それは神への捧げ物を置くための石台で、本来ならば人が座って良いものではなく、孤児院や修道院でそれを教えられていた美和子は心の奥底で驚いた。
エルゼイン聖教はヴァルスタン王国の国教だが、国王は敬虔な信徒というわけではないらしい。
そんなことを考えながら観察する美和子にかまわず、レダは正面に座ったきり沈黙する王のどこか気だるげな、にごった緑の目をしばらくまっすぐ見つめて思った。
(やっぱりこのひとは、あたしとおなじだ)
あまりにもはっきりとそれがわかる為に、レダにはなぜ彼が玉座にいるのかがまったくわからなかった。
だから思ったまま彼に聞いた。
「どうしてあのいすにすわっているの?」
王はレダの無礼に怒らず、逆にふと笑った。
「玉座のことか」
低く、沈みこむようなその声に、レダは一瞬聞きほれた。
貴族が集う晩餐の席や、司祭が居並ぶ礼拝の場で聞いた声より、耳に心地よく感じたのだ。
それは他者を無思考に追い込んで従わせる威圧的な支配者の声ではなく、ひとりの人としての声だったからだろうか。
けれどすぐ、声よりも彼の言葉に意識を戻す。
「あれは見栄え優先で造られておるせいで、多くの者が思うより座り心地が悪いのは確かだが。我があれに座っておることが、不思議か?」
レダがこくりとうなずくと、王は穏やかな笑みを浮かべたまま言った。
「答えを得たくば、しばし話に付き合え」
はなしってなに、と小首をかしげるレダに、王は独り言をつぶやくような口調で語り始めた。
「ヴァルスタンの国王にまつわる、ひとつの言葉がある。
“ざくろの眼が豊穣をもたらす。”
王家の血筋に時折現れる紅い目の王子。それが国王になると国が豊かになるという言い伝えだ。
事実として、国を建てた初代の王も、治水と開墾に手腕を発揮した七代目の王も、隣あう二つの国を侵略して領土を広げた十二代目の王も紅い目をしていたというが。
国史には紅い目を持ちながら王位を継ぐことなく早世した王子の名も、多く記されている。我はグランベルクもいずれ、人々に知られず消えたその中の一人になるだろうと思うておった」
レダはいまひとつ話を理解できずに聞きながら、王の顔から笑みが消え、眉間に深いしわが刻みこまれるのを見ていた。
「建国の王と同じ、ざくろの眼を持つ子。
王家の血をもっとも濃くついだ、病弱な王子。
宮の闇の底で生まれ、あれはそのまま消えるはずだった……」
だが、死ななかった。
しばらくの沈黙の後、王は何の感情もない声で淡々と言った。
「次に玉座へつくのはグランベルクだろう。我がそれを見ることはあるまいが」
なぜそう思うのかと問いたげなレダに、王はそれ以上語らず、「話の続きは夕方の礼拝の後だ」と告げて立ち上がった。
しかし去り際に、一言を残す。
「そなたには必要なさそうだが、ひとつ忠告しておこう。
誰も信用するな。
ここは人の棲処ではない」
「ひとじゃないなら、なにがすんでいるの?」
レダの問いに、王はまた、かすかに笑った。
「知らぬ方がよいこともある」
◆×◆×◆×◆
王の元から解放されたレダを迎えにきたコーデリアは、眼鏡の奥の目に不安をにじませて訊いた。
「レダ。何か…、いえ、なにも、何もありませんでしたね?」
コーデリアが苦手なレダは、すぐに美和子と交代。
表に出てきた物静かな少女が「お話をしただけです」と答えると、教育係の修道女はようやくほっとした様子で胸をなで下ろし、お腹を空かせた教え子を食堂へ連れて行ってくれた。
そして食事の後、与えられた部屋へ戻ったレダは、内包する人格のひとつに大きな精神的変化を経ていたものの、表面的には修道院での生活と同じようにコーデリアの指示で聖典を暗唱した。
部屋の外へ出るたび、「慣れない場所でお二人が困ることがあるといけませんので」と言ってついてくる、監視役と思しき助祭の視線がきゅうくつだったが、その他は修道院にいるのとほぼ変わりない。
軟禁状態で来客はなく、静かに閉ざされた部屋でコーデリアの指導を受ける。
ただひとつ。
夕方の礼拝後、また王に呼ばれて人払いされた静かな聖堂で向かい合って座ることだけが、修道院の生活にはなかったことだった。
「ヴァルスタンの王の質は、“暴虐”だ」
王はレダに聞かせるためというよりも、とりとめもなく浮かんだ思考を言葉にするかのような口調で語った。
その向かいの長椅子に座る少女の内では、再び美和子が沈んでレダが代わり、彼の緑の目をじっと見上げている。
「欲するものがあれば奪い、手に入れたものは独占し、気に入らぬものは殺す。そして最後には、己も殺されて死ぬ。
それがヴァルスタンの王。
国史には事故死や病死と記されるが、皆が知っている。王は次代の王に殺されて死ぬものであると」
では目の前のこの男も、父たる先王を殺して玉座についたのか。
思って美和子は心の奥底でおののいたが、レダは平然と訊いた。
「ぐらんべるくにころされるのを、まっているの?」
王は答えず、唇の端をつり上げる。
どこか獰猛な肉食獣を思わせるその笑みは、レダに彼がただ座して待ってやるほど温厚な質ではないのだと改めて知らしめ、自分がなぜここにいるのかを悟らせた。
「だからわたしはここへよばれた。ぐらんべるくを、うごかすために」
言いながら、けれどレダは自分にそこまでの影響力があるとは思っていなかった。
しかし王には何か、確信があるらしい。
唇を笑みにゆがめたまま言った。
「我はヴァルスタンの王。
望むものを手に入れる方法ならば、生まれる前から知っている」
ならばなぜ死にたがるのか。
理解できないレダの耳に、その言葉はどこか虚しく響いた。




