七話 聖女の旅路。雪の王都。美貌の王子と茶番。
人々から聖女のぬくもりを求められる時、レダは美和子にかわった。
美和子は人々からかけられる声に物静かな笑顔を返し、求められるまま聖句をとなえ、重い病にかかった者の震える手をとると、やわらかな声で彼らの安らぎを祈った。
魔獣や盗賊に襲われる時、美和子はレダにかわった。
レダは“神剣”イーリスを抜き、己の弱さを自覚しているがためにひとかけらの油断もなく、すみやかに敵を排除した。
二人でひとりの、『剣の聖女』レダを演じた。
王都までの長い道のりの中で、時折襲ってきた盗賊団を壊滅させ、立ち寄った街で頼みこまれて近くに巣食った凶暴な魔獣を討伐しては、疲れきって馬車の片すみで眠りに落ちた。
馬車が進むよりも早く、先々の街にはすでに『剣の聖女』の武勇譚が伝わり、レダはアイジスにいた時以上の注目を集めていた。
けれどレダも美和子も、誰とも親しくなろうとはせず、人々から距離をとりながらひたすらに王都を目指した。
もう誰も巻き込むまいと、二人とも言いはしなかったが、同じことを思っていた。
ともに旅行く人々は、『剣の聖女』に対する畏怖か、得体の知れないものに対する警戒か、あるいは他の理由からか。
必要以上にレダのそばへ行こうとはせず、その周囲で一定の距離を保って彼女を慕うか、無言で様子を見ていた。
道中、レダは何度か、ガロンからの視線を感じた。
けれどもう二度と、自分から声をかけることはなかった。
そして王都へ至る頃、彼の気配は消え失せた。
(これでいいの)
いつかメメリーを突き放した時と同じように、レダは思った。
(これでいい)
◆×◆×◆×◆
降る雪が、灰色の石で組まれた王都を白く染めている。
吐息の凍える冬の日に、レダはようやく王都へたどり着いた。
修道女として黒一色の衣装をまとい、まずはエルゼイン聖教の大聖堂へ祈りを捧げようと馬車から降りる。
そして同じ馬車から騎士や助祭たちが降りるのを待つ間、レダはぐるりと辺りを見渡した。
アイジスや道中にあった街とは比べ物にならない、巨大な都の中央付近にある大聖堂とその前の広場には、真冬の今でも多くの人が行き交っている。
聖堂で祈りを捧げるのは美和子の役割だったので、布に包まれた“神剣”イーリスを両腕でかかえた黄金の髪の少女は、大都市の中でとても頼りなく、はかなげに見えた。
「行きましょう、レダさま」
連れのウォルター助祭にうながされて、「はい」とうなずく。
けれど実際には一歩も動けず、レダはびくりとその体を硬直させた。
視線。
それがもたらす、なすすべもなく檻にとらわれるような感覚。
草を食んでいた兎が、森の奥から自分を見つめる虎の視線に気づくように。
唐突に、どこかから向けられたその視線を敏感に察知して、美和子はレダを呼んだ。
(レダ! 彼が、彼がいる……!)
黄金の髪の少女の中で、すみやかに人格が交代した。
かすかに姿勢がかわり、どこか獣じみた気配をまとった少女に、周囲の人々は気づかない。
ただ。
「レダさま?」
呼んでも動かないレダを不思議に思って、連れの人々が立ち止まる。
その時だった。
「お前が『剣の聖女』とやらか?」
尊大な響きのある男の声が、大聖堂の前の広場にこだました。
行き交う人々が立ち止まり、一台の白い馬車から降りてくる青年の姿を見ると、誰もが慌ててその場にひざまずく。
レダの周囲の人々も急いでひざまずいたが、黄金の髪の少女はひとり、その場に立ったまま動かなかった。
(周りの人の反応から見て、たぶん高位の貴族か王族。でも彼じゃない。だからわたし達は、ひざまずかないほうがいい)
心の奥底へ沈んだ美和子が、冷静にそう言ったためだった。
しかし彼女は、実際それほど落ち着いているわけではなかった。
絶対王政の国だと知ってはいたものの、彼一人が現れただけで広場のすべてが停止するのを目の当たりにして、血が凍るような恐怖を覚えていた。
なんという力だろう。
けれどこういう力を持った人にわたし達は捕まり、レダは彼を「殺したい」と望んでいるのだ。
いったい、どうすればいいというんだろう……
絶望的な気分に陥りそうになるのをこらえて、美和子は今現在のことを考えようと必死になった。
(レダ、グランベルクを探して。彼がこの場にいて出てこないのなら、これは『剣の聖女』の試しなのかもしれない)
レダの目に、グランベルクは探すまでもなくたやすく見つかった。
何の皮肉のつもりか。
彼は初めて会った日、レダを殺しかけたあの時と同じ、黒いフード付きのコートで全身をおおい隠した格好をして、青年が降りてきた白い馬車の御者台に座っている。
「我が名はアリステア・ロウファード。ヴァルスタン王国が国王の第一子である」
馬車から降りてそう名乗るのは、蜂蜜色の髪と宝石のような緑の目をした、白皙の美青年。
同じ馬車から他にも三人の青年が降りてきて、アリステアのそばにつき従う。
彼らは皆どこか似ていたが、それぞれに美しい顔立ちをした青年たちだった。
その中でも群を抜く美貌のアリステアは、周囲の人々がひざまずいているのを当たり前のように流し、新しいオモチャを見るような目でレダを眺めていた。
「なんだ。思ったよりちいさいな」
レダはその視線や声をすべて聞き流して、心の中で美和子に訊いた。
(みわこ。いまここで、あたしがにせもののせいじょだっていったら、どうなるとおもう?
あそこにいる、ぐらんべるくってやつが、あたしにけんをあたえたんだっていったら?)
真実を語ることで、自分を捕えるあの男に一矢報いることができるなら。
レダとて好きで『剣の聖女』を演じているわけではない。
自分が『剣の聖女』ではなくなり、グランベルクがそれによって何らかの痛手を受けるのではないかと考えると、たまらない誘惑にかられた。
美和子にはその気持ちが痛いほどよく理解できたが、同時にそれは自殺行為だということもわかっていた。
(むりだよ、レダ。わたし達はただの孤児で、彼は王族。
わたし達が「この剣はグランベルクに与えられたもので、わたしは『剣の聖女』に仕立てあげられただけ」なんて言っても、誰が信じるの?
彼が「そんなことをした覚えはない」と言ったら、それでおしまい。
ここはエルゼイン聖教の本山、大聖堂の前なんだよ。わたし達はすぐに捕まって、神の名を騙った罪で裁かれる)
(……わかってる)
レダはつぶやくように返した。
(わかってる)
その間にも何かを言っていたアリステア王子は、無言のレダへふいに命じた。
「今ここに、お前が仕えたいと望む“二十二番目の御子”がいる。
お前が本物だというなら、神に定められた己の主を間違えることなどあるまい。
さあ、探し出して見せよ」
ばかばかしい。
レダは唇をゆがめて笑いそうになるのをこらえ、何の表情も浮かべないよう苦労しながら思った。
なんというばかばかしい茶番だろう。
けれど今はまだ、付き合っておこう。
いずれ彼を殺す、その時のために。
広場にいるすべての人々が注目する中で、レダはゆっくりと歩いていった。
たくさんの人がいるはずなのに、不思議と静かなその場で、しんと冷えた冬の空気が肌に痛かった。
そうして、アリステア王子が乗ってきた馬車の、御者台のそばまで行くと。
そこに座る黒いコートの人に向かってひざまずき、心の奥底の美和子から教えられるまま言った。
(神の命により、お仕えに参りました)
「かみのめいにより、おつかえにまいりました」
顔はあげたまま。
眼差しだけは射抜くように鋭くも、その唇には微笑みをのせて呼びかける。
(御子さま)
「みこさま」
黒いフードの奥で、奈落の底のように暗い紅の目が、そんな彼女を見おろして笑ったような気がした。




