九話 黄金の剣。血まみれて微笑む。剣の聖女。
二人の子どもが誰の手をも拒んだ黄金の剣に向かって歩いていくのを、どこか呆然と、人々が見ていた。
レダは剣の手前でメメリーを止まらせると、左足をすこし引きずりながら、残りの距離を歩いていった。
「……やめなさい、レダ」
力なく、ささやくような声で誰かが止めたが、レダはかまわなかった。
(これは、あたしのつるぎ)
そっと細い指を伸ばし、長く引き離されていたその剣の柄に、手をかける。
黄金の剣は、レダを拒まなかった。
それどころかふわりと柔らかな光を放ち、レダの体を優しく包みこむ。
(ああ、あたたかい……)
じんわりと優しい力が体を癒していくのを感じながら、レダは剣の柄を掴んだままひざまずき、頭を垂れた。
一秒がすぎるごとに強い力がわいてきて、今まで思うように動かせなかった体が軽くなっていく。
聖堂の中にいた人々は、息をするのも忘れてその姿に見惚れた。
黄金の髪を持つレダがうやうやしくひざまずき、黄金の剣の放つ光に包まれるそれは、この上なく神秘的で美しい光景だった。
細い体にまとうのが粗末な麻の衣であっても、剣をつかむ手が貴族の娘のように綺麗なものではなくとも、その光景の完璧さが失われることはなく。
その瞬間。
レダは聖堂にいるすべての人の希望となり、たしかな光を彼らの目に宿らせた。
けれどやすらぎの時は、長くは続かなかった。
聖堂の扉が打ち壊され、バリケードの向こうに剣を手にした兵士達が現れる。
これから何が起こるかを思い、心の奥底で悲鳴をあげた美和子に、レダは優しく言った。
(めをとじて、みみをふさいでおいで、みわこ。
すべてにせをむけて、かくれておいで。
これは、あたしがやっておく)
そして、顔をあげた。
◆×◆×◆×◆
レダは戦うことも、剣をあつかうことも、何も知らない子どもだったが、その手に握られていたのが至極の剣だったために、すべてを超越してその場に君臨した。
白銀の刃で水を切るようにたやすく人の胴を鎧ごと斬り落し、向かってくる男の剣を腕ごと斬り飛ばし、背後から襲いかかってきた男の剣を身軽く転がって避け、立ちあがると同時にその首を刎ねる。
レダの剣はすべてを斬った。
このため、その戦いで剣と剣がぶつかりあう音が響くことはなかった。
そして誰の手に触れられることをも拒んだように、黄金の剣は飛んでくる矢や石などをすべてはじいた。
飛び道具が無効化されるため、相手の兵士たちは武器を手にして挑むしかなかった。
しかもさらに凶悪なことに、剣は目に見えるものよりはるかに長い刃を持っていた。
レダが腕を一振りしただけですべてを切り裂く烈風が生まれ、避けたはずが避けきれず、その不可視の刃を読みきれずに絶命していく兵士たちが後を絶たなかった。
黄金の剣はあまりにも強かった。
だからそれに気をとられて、誰も気づかなかった。
レダに斬りかかる兵士が、時折なにもないはずのところでつまずくことに。
不意打ちをしようとした兵士が、急にバランスを崩してタイミングを逃したことに。
それが起こる前に、ちいさな影が走ることに。
誰も、だれも。
レダでさえ、気づかなかった。
血飛沫のなかで舞うようにやすやすと兵士たちを屠り、近くに動くものがいなくなると、レダは軽く腕を振って黄金の剣から血をはじいた。
剣は一振りですべての血を己が身からすべり落し、また一点の曇りもなく輝く。
返り血を浴びて凄惨に濡れたレダは、辺りに漂う強烈な悪臭の中、それを見おろして微笑んだ。
(きれいな、つるぎ。
あたしの、つるぎ)
「何者だ!」
教会の前、屍の中に立つ少女を見つけて、他の兵士たちが集まってきた。
レダは美和子の記憶から、できるだけ偉そうな言葉を選んで口を開く。
「わがなは、れだ。わがはらからにあだなすものは、すべからくばつをうけるだろう」
体がちいさいのだから、態度くらいは大きい方がいいだろう。
そんな単純な考えからそうしたが、美和子が聞いたら眉をひそめそうな尊大な言葉遣いで大人達にものを言うのは、意外と気分が良かった。
「罰だと? ガキが、頭でもおかしくなったのか」
兵士たちはバカにして鼻で笑ったが、まあそう考えるだろうなとレダも思ったので、それについては答えず言った。
「このままひけばよし。ひかぬなら、そなたらはわがつるぎのつゆときえるだろう」
レダの挑発に、兵士たちは遊ぶような顔で応じた。
「消えるのは嬢ちゃんの方だと思うがな」
そしてまた、レダの足元に骸が増えた。
最初はたかが子どもひとりとあなどっていた兵士たちも、時が経ち、レダの周りに物言わぬ骸が増えるに従って、無視し続けることはできなくなった。
「ええい! 誰かさっさとあれを片付けんか!」
将官と思しき壮年の男が怒鳴る声を遠く聞きながら、レダは自分を取り囲んだ三人の男を、順番に斬り伏せる。
(あわてない、いそがない、あせらない。
あたしのては、にほんだけ。
あたしのあしは、にほんだけ。
いちどにすべては、うごけない。
じゅんばんに、じゅんばんに。
みわこがひとつずつ、いものかわをむいて、おけいっぱいのいもを、きれいにしたときみたいに)
レダは呼吸を荒げないよう気をつけ、美和子が歌をうたいながらいもの皮むきをしていたのを思い出して、自分に言い聞かせた。
ものすごくたくさんあるように思えるものでも、一個ずつやっていけば、いずれすべてを終わらせることができる。
「あわてない、いそがない、あせらない」と繰り返し、深く息をして、切っ先を下げた。
「どりゃぁぁぁ!」
レダの三倍はあろうかという男が、大声をあげて斬りかかってくるのを横へ跳んで避け、切り上げる動作でその太い腕を落とす。
激痛に絶叫するのに、がら空きになった胴を背後から薙ぐ。
断末魔の悲鳴。
こだました後に残るのは、静寂。
レダは血まみれて微笑み、小首をかしげた。
「つぎは、だれ」
扉を打ち崩された聖堂の奥から、その姿をじっと見続けていた人々の中で、誰かがつぶやいた。
「ああ、聖女さま……」
「剣の聖女さま……!」
血まみれて微笑む、あれが我らの聖女なのか。
クリフトン司祭は言葉もなく、骸の中でりんとたたずむ少女の背を見つめた。




